さくらの波
鷹也が机の上に避難し、子猫に説得を試みていた頃―
忘れ物に気づいたさくらと、たまたま鷹也の元に行こうとしていた雅が鉢合わせした。さくらから子猫の件を聞いて心配になり、そっと様子を窺っていたのである。
「‥鷹也さん、ネコが苦手じゃないと言ってたのですが‥」
さくらが心配そうに出て行こうとするのを雅が止める。
「体質的にね、生き物に触れないの。あの子。」
雅がかいつまんで事情を明かすと、さくらは慌てて飛び出そうとした。その手を掴んで引き寄せた雅は柔らかく微笑む。
「いいのよ。あの子、ダメとは言わなかったんでしょう?」
さくらは頷いたが、でも―と口を開く。
「わたしが断らせない勢いだったのかもしれません‥」
落ち込むさくらに、雅は笑いかけた。
「きっとね、あの子もこのままではだめだと思っているの。‥だから少しずつでも慣れようとしているんだわ。‥人よりも子猫のほうが慣れやすいでしょうしね。」
必死になっている我が子を見る母の眼差しは優しい。
「もしかしたら、さくらちゃんのため、かもしれないわね。」
特大の爆弾を落とされ、今度はさくらが硬直した。
「‥え、あ、そんな‥」
雅はうふふと笑うだけで何も答えない。さくらは顔を赤くしながらも、子猫相手に必死になる鷹也をかわいいと思うのだった。
その日の夜、夕食後にさくらは縁側に座っている鷹也から少し距離を置いて座った。
「‥鷹也さん?」
「ん?」
さくらは真剣な表情で鷹也を見やる。
「‥実は、雅さんから聞いてしまいました。貴方のこと、知っておきたいです。」
鷹也は目を閉じ、そしてこちらを見やった。
「‥そか。隠すつもりもなかったんだけど、何か‥悪い。」
「いえ!あの!怒ってるわけじゃなくてですね、その‥私も少し‥そういう体質もあって。」
さくらが言い淀みつつ俯いた。
「まあ生き物全般、波が出てる。植物だろうと動物だろうとね。だから今まで触ることは避けてたんだ。‥人間相手は特にね。子供の頃から人に触られると鳥肌やら頭痛やら、酷くてさ。それと悲しみや怒り、憎しみといった強い負の感情。これが合わさると、なかなかダメージがでかかった。」
さくらは痛ましそうに鷹也を見やる。
「あー気にしなくていい。‥これを話すとね『悲しい』とか『何で気づいてあげられなかった』とか、これも負の感情になる。それがまた俺にとってはノイズでね。‥だから人に話すことは避けてた。俺にとっては当たり前のことだから、マジで気にしないで。」
さくらは少し深呼吸をして自分の感情を落ち着ける。鷹也の負担になってはいけない、そう思ったからだ。
「ただネコたち?触ったというか触られたんだけど、そこまで酷くなくてね。自分でも驚いた。‥避ける癖が続いていたから、まあ慣れるには丁度いいのかもしれない。」
「ええと、慣れるとは?」
ついさくらは口にしてしまう。
「‥じーちゃん‥あーえっと俺の曾祖父がな、俺と同じで人に触れられない人だった。結婚もしてるし、一応じっちゃん‥篁な。子供も一人だけはどうにかなった。でも、それが限界だった。‥許嫁って話が出た時に、じーちゃんから後悔することのないようにと。‥そう言われたんだ。」
鷹也がそう言って笑うと、さくらは頬を染めて俯いた。
「‥もし、わたしが鷹也さんの手に触れたら、どうなります?」
さくらが思い切って尋ねると、鷹也は首を傾げる。
「いやさすがに触られたら即座に倒れるなんてことはないよ。鳥肌が広がって、そのうち冷や汗が止まらなくなって‥頭痛が出始める、かな?」
さくらはふふっと笑う。
「‥話してくれて、ありがとうございます。私もちょっとそういうのがありまして。‥幼い頃に、父や双子の兄と手を繋いだり、距離が近づくと体調を崩してました。‥父も兄も大好きだったのに。」
寂しそうにさくらは言い、鷹也はそれを黙って聞いている。
「ずっと駄目なわけでもなくて、でも寝込むことが増えたせいで祖父の家で暮らすことになったんです。祖父は大丈夫でした。‥いえ大丈夫なことが多かった。
初めて鷹也さんに会った時のこと、覚えてますか?」
鷹也は黙ったまま頷く。
「‥近所に同い年の男の子がいて、その子が本当に苦手でした。‥けど鷹也さん、なんかすごく温かくて穏やかで。わたし、会うのが楽しみだったんです。」
さくらはそう言って笑顔を向けてくる。
「‥さくらの波は俺に干渉してこないってか、ノイズになりにくかったな。だから俺もさくらが来ることを断ったりはしなかったね。‥さくらがこの家に住むって話が出たとき、断らなかったのもだからだよ。」
さくらはそれを聞いて微笑み、そして下を向いた。そして再び顔を上げたとき、意を決したような表情を浮かべている。
「‥鷹也さんは私にとっても大丈夫な人です。でも‥やっぱり時折、少し辛い時があって‥もしこのまま大丈夫じゃなくなったら‥そう思うと‥怖くて‥」
さくらの瞳からつうっと涙が零れた。
「‥ちなみに今がその辛い時、か?」
さくらは俯き、そして微かに頷いた。鷹也は何も言わずに目を閉じる。
「‥鷹也さん?‥」
目を閉じたまま微動だにしない鷹也に、さくらは困惑して声をかける。寝ているわけではなさそうで、額には汗が浮かんでいる。そして左手を伸ばし、さくらに触れる直前でその手を止めた。
「‥これか。」
鷹也は目を開け、再び閉じた後に吐息をついた。さくらは訳の分からないままに鷹也を見つめる。
「今まで感じたことのない、微弱な波形を見つけた。たぶんこれだろうね。‥波の高低差はそこそこあるようだし、波形もランダムだ。
あ、えっとな、たぶんさくらがダメだってタイミング分かるわ、俺。」
さくらは驚きに目を見開いた。
「この手のエネルギー過敏はマジで罰ゲームだったけどさ、さくらの波が把握出来たなら、まあ価値はあったかなw ま、そういう訳だから不安にならなくていい。」
そう言って笑う鷹也に、さくらは頭を下げ、小走りで自室へと飛び込んだ。
(‥わたし‥ダメかと思ってたのに‥)
父も兄たちも、いつも優しい笑顔で接してくれていた。それなのに自分が体調を崩してしまうことを、本当はどう思っているのか、さくらは本音を知るのが怖かった。
祖父母も優しく受け入れてくれていたが、実は負担に思っていたのではないか。そして時折その祖父までも遠ざけてしまうことに罪悪感を覚えて生きてきた。
さくらはベッドに座り込み、クッションを抱きしめて号泣した。自分以上に厄介な体質を抱えながら、それでも笑っている。そしてその厄介な性質を利用してまで自分を理解しようとしてくれた。
(‥鷹也さんの前では、わたしはわたしのままでいいんだ‥)
(負の感情は鷹也さんの負担になっちゃう‥)
しかし涙は途切れることなく、さくらはしばらく泣き続けたのだった。
「‥えっと、俺なんかまずいことしたかなー?」
もちろんさくらが泣いているのは、縁側で座っていても分かる。ただ負の感情とも言い難く、そのままにしておいても問題なさそうに思える。
「ま、いいか。」
そして鷹也はいつも通り深い思考に沈みこみ、その思考波を目当てに妖や影たちが集まってくるのだった。
さくらはひとしきり泣いて落ち着いた後、風呂を沸かして入る。温かなお湯に浸かると、身体が芯から温まり、それが深い安心感へと繋がる。
風呂から上がった後は着替えを済ませ、鷹也に一言かけてから家を出た。美容院で腰まで伸びていた髪を肩の下あたりまでばっさり切ってもらう。
「‥なんか、すっごくすっきりしました。」
そう言って笑うと、女性の美容師も朗らかに笑ってくれた。
「髪きれいですよね。ちょっともったいない気もしましたけど、雰囲気がかなり軽くなりましたね。」
その後で、再び確認をする。
「あの‥前髪はこのままでいいんですか?」
聞かれた瞬間に凍り付き、ぎこちなく笑う。
「‥はい。こっちは‥その‥そのままで。ありがとうございました!」
さくらは明るく笑って、いそいそと帰途につく。
「ただいま帰りました!」
縁側に座っていた鷹也がこちらを向き、笑顔になる。
「髪、切ったのか。」
「はい。‥なんかちょっと気分転換したくて。」
どうやらさくらは落ち着いたらしい。鷹也の周りにはいつの間にかネコたちも来ている。
「ネコたち、大丈夫ですか?」
鷹也は少しだけ困った表情を浮かべたが、それでも頷いた。
「‥うん。突然来られるとびっくりするけどな。」
「あ!この子たちの名前なんですが‥」
さくらは色々と考えていたが、まだ正式に決まってはいなかった。
「佐藤と鈴木と田中でよくねえ?」
鷹也がそう言ってネコたちを見ている。
「‥え!?あの‥ネコちゃんたちの名前‥ですよね?」
思わず聞き返したさくらだったが、鷹也は不思議そうだ。
「うん。‥佐藤。」 「にゃ?」
「鈴木。」 「にゃー」
「田中。」 「にゃ」
ネコたちが名前を認識していることに、さくらは崩れ落ちた。
(どういう命名センスしてるんですかこの人は!?)
さくらがつけようとしていた可愛い名前ランキングが音を立てて崩壊し、三匹のネコたちは新たな名前をもらったのだった。




