救世主?
夏休みの間に、鷹也は篁の家に呼び出された。そして広間のテーブルに着かされる。ここには蒼介と雅も来ており、緊張した面持ちで座っていた。
「失礼します」
襖を開けて入って来たのは、月影家のさくらと両親、祖父母である。全員が着席して挨拶を交わすと、環が入って来て、お茶と茶菓子を配膳していった。そしてそのまま篁の横に座る。
「前々から口約束はしていたが、改めて当人たちの意向を聞いてみたくてな。」
篁が口を開くと、さくらの祖父母である賢一とその妻桔梗、両親の智之と智佐子がうんうん、と頷いた。
「まずは鷹也、許嫁の話は覚えているか?」
「‥へ?あー‥将来さくらと結婚がどうとかってやつ?」
篁は次にさくらを見やった。
「つぎにさくらさん、許嫁の話は覚えておるかね?」
「え?あ、はい。‥一応。」
二人とも、どうも他人事のようだと祖父母、父母達は思っていた。
「智之くん、智佐子さん、二人は異論ないのかの?」
篁がそう問うと、二人は一斉に頷いた。前髪を長く伸ばし、痩せぎすで白い服を好むさくらは、男子たちから不気味がられる存在であったし、本人も進んで距離を置いているように見えた。このままでは、結婚すら出来ないのではと不安だったのだ。
「蒼介と雅はどうだ?異論はないか?」
二人は顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。鷹也の特殊性については、幼い頃から分かっている。それだけに篁に任せる気であったのだ。
「まずさくらさん、‥少しばかり特殊なやつではあるが‥鷹也と距離を近づけても良いだろうか?」
さくらは相変わらず前髪で顔を隠したままである。
「‥鷹也さんが嫌でなければ。」
篁は頷き、同じ質問をこんどは鷹也に向けた。
「あー‥まあでもさくらなら大丈夫かな‥」
こんな調子ではあったが、正式な婚約の前に二人を近づけて様子を見よう、といった話である。そもそも鷹也は篁のもとにおり、さくらも賢一のもとにいるという、二人とも祖父のところで生活しているという点では似ていた。
さくらの双子の兄と父を、さくら自身が苦手であったための措置である。仲が悪いわけではない、単純に近づきすぎると体調を崩してしまうためである。
このため両親たちは少し談笑した後、それぞれの家へと帰って行った。その後、篁と環、賢一と桔梗が残っている。環と桔梗は仲が良く、互いに薙刀の実力者でもあった。
「まずはさくら、鷹也君と同じ大学の推薦を受けているよね?」
「‥はい。」
「そして独り暮らしをしたい、という意向も聞いているが、なにぶん距離も離れているし、孫娘独りというのが心配でね。なので提案だ。鷹也君のところで暮らしてはどうだろうか?」
「ええっ!?」
さすがにさくらも驚いて思わず声を上げる。そして鷹也に一言断りを入れ、全員で向こうの家へと行くことになった。当然式に通行可能かどうかを判断した上での措置である。
「これは!」
まず驚きの声を上げたのは、さくらの祖母桔梗だ。スマホを取り出して現在位置を確認し、目を見開く。
「あら、良いところじゃない。‥落ち着くわ、ここ。」
のんびりと声を上げたのは環である。土地と家と空気と風と光、全てが調和しており、懐かしいような気持ちにさえなる。
「すごい‥」
さくらは前髪をかきあげて目を細めた。深い黒い瞳と、まるで月を落としたような、柔らかな白金色。この左右の瞳が違うことが、さくらの劣等感でもあり隠さずにいられぬ原因でもある。
妖たちが遊んだり日向ぼっこをしていたり、土地神が築山の上で寛いでいたりと、現実離れしたような空間になっていた。
「鷹也、部屋も余っているな?」
篁に聞かれ、鷹也は頷いた。
「さくらさん、独り暮らしするよりもここで同居してみてはどうだろうか?」
さくらが祖父母を見ると、二人はにっこりと微笑んで頷いた。
「私もここなら安心出来るよ。何より、篁の所からすぐだしね。」
「鷹也くんの所なら私も安心ですよ。」
そんなふうに言われ、さくらは目を閉じて深呼吸をした。
「‥鷹也さんは、嫌ではないですか?」
さくらが慌てて前髪を下ろしながら鷹也を見やる。
「うーん‥まあ‥さくらなら大丈夫そうな気がするな‥」
それがどういう意味なのかは分からなかったが、拒否ではないらしい。大人たちはこのやり取りで満足し、慣れるためにも少しずつ行き来してはどうかと提案した。
「そうだね、突然住むよりも‥少しずつ行き来を増やしてくれた方が俺もありがたい。」
鷹也が静かに言い、さくらが同意したことで決定した。
「あの、鷹也さん? 勉強するにもすごく集中出来そうで‥たまにお邪魔しても?」
「‥いいよ。」
そんな様子を、目を細めて見ていた篁がコホンと咳払いをした。
「実は少し相談があってだな‥こいつはどうも、食事と睡眠、水分補給を後回しにする癖がある。‥毎日でなくていいんだが、その‥飯の準備なんかはしてもらえるとありがたいのだが‥。」
さくらが呆然として鷹也を見ると、ついっと目を逸らされた。
「いいじゃない。食事の好みや量についても知る必要があるのだし‥さくら、せっかくだからそうしなさいな。」
桔梗が笑いながらそう諭す。本来ならば、鷹也に対して叱ってもいいはずなのだが、環とは古い付き合いでもあるので、篁や鷹也に対しての理解もあるのだ。
「‥わかりました。」
祖父母たちが一旦その場を後にして、さくらは再び周囲を見回した。
「‥やっぱり落ち着きますね、ここ。」
「うん。‥色々考えてると時間が溶けてね‥」
きまり悪そうに言う鷹也にさくらはフフッと笑った。そして案内されて家の中を一通り見て回る。
「あの、鷹也さん?その段ボールは‥?」
部屋の隅にキレイに置いてある段ボールたちを見て、さくらが怪訝そうに尋ねる。
「机と椅子だけど?」
さくらは気を取り直して歩みを進めたが、高そうなパソコンたちまでもが段ボールに居座っているのを見て、つい額に手を当てる。
「あー‥そこは気にしなくていいかな‥一部屋、パソコン部屋にする予定で。えっと夏休みに色々工作する予定なんだ。」
市販のパソコンではまずありえない雑さで、部材とカバーのサイズが明らかに合っていない組み合わせの機械の塊になっている。
「あの‥キッチンに冷蔵庫とか電子レンジとかありませんね?」
さくらは気を取り直し、一応念のための確認ですけど?といった様子で鷹也を見やる。
「え?うん、不便だと思ってなかったな。」
「お食事は‥どうされてたんです?」
食事を後回しにすると聞いたが、家電がないこととも関係しているように思う。
「外で済ませてるかな。ゴミが出るのも面倒だし‥」
なるほど、とさくらは頷く。確かにこの家にはゴミが見当たらない。というよりもミニマリストでさえ驚くほどに物がない。
「ええと‥洗濯は?」
洗面室のあるべき所にそれは存在しなかった。
「自分の服とか下着は使い捨て。ユニフォームとか、バイトの制服はコインランドリー」
なるほど、とさくらは再び理解する。
『タイパを極めるとこうなるのかもしれませんね‥お金に困ってないからこそ出来ることでしょうが‥』
そして唯一の家電を見つけた。掃除機である。確かにリフォームしたてではあるようだが、それにしても埃がないのはこのせいだろう。
「トイレは二つあってね。そこと奥。‥奥は使ってないからさくら専用にしてくれていい。‥風呂だけは一つしかないんだ。嫌ならシャワーユニット入れてもいいし‥」
さくらはつい吹き出してしまった。変な所で妙な気遣いをしてくれるんだな、と感心してしまう。
「わああああ!」
お風呂を見てさくらは思わず声を上げた。まるで温泉宿にでも来たような、広くて雰囲気の良い浴室に一目惚れしたのだ。
「鷹也さん、鷹也さん、私もこのお風呂使っちゃっていいんですか?っていうか、使わせて頂けるとすごく嬉しいです!」
そんなさくらの様子に、鷹也はフッと笑った。
「さくらがそれで良いなら遠慮しないで使ってくれ。‥たまには温泉でも行くか?」
「はい!!」
そんなこんなで家の中を一通り見た後で、さくらは少し考える。
「あの鷹也さん?」
意を決して話しかけると、鷹也は振り返る。
「鷹也さんがもっと落ち着いて考える環境に出来たらって思うんです。少しお金かかりますが。」
それを聞いてキラッと目が光り、鷹也は物入れの中から買い物袋を取り出した。
「‥んじゃこれ。」
ポンと手渡されたのは帯のついた100万円の束である。
「え?…ええーっ!?」
「足りなかったら精算するから使って。あ、それとこれ家の鍵。パソコンはとりあえずこのままにしておいて欲しいかな。あとは、好きなもの好きなように揃えてくれていいよ。人手も必要だろうから、それにも使ってくれていいしね。‥そういや俺、じっちゃんとこに行かないといけないし。」
タッチキーまでも渡され、さくらはめまいがした。しかし一応信頼されたのかと思い、頷く。
「実家に戻る際には鷹也さんに連絡入れますね?篁さんのところに突然現れると、驚かせてしまうでしょうし‥」
鷹也は笑顔で応えたあと、再び物入れの中を物色した。
「さくらが必要なものもあるだろうし、あれじゃ足りないよな。家具でも何でも準備してくれていい。」
更に一束追加され、さくらは慌てて返そうとするが鷹也は気にする様子はない。ノートパソコンを手にした鷹也は、さっそく篁の家へと向かうらしい。
「んじゃ、戻るとき連絡してくれる?」
さくらがうなずくと鷹也はそのまま篁の屋敷へ通じる納戸へと向かった。幼い頃から鷹也とはよく遊んでいた。どんな人間かも分かっているし、何より必要以上に近づいて来ることがない。それは大学に入ってからも変わらず、今でも不思議な安心感がある。
鷹也を見送った後にタクシーを呼び、電気量販店や家具屋を転々とする。あの家には冷蔵庫や電子レンジどころか、食器もカトラリーも何もなかったのだ。
「せっかくの好意ですし、私が好きな食器や調理道具も揃えさせてもらっちゃおう。」
おそらくその程度のことでとやかく言われることもないはずだ。そしてさくらも、どこまで踏み込んで良いかは何となく分かる。
そう考えると、一人で買い物をするのが楽しくて仕方がなく、つい足取りが軽くなってしまうのだった。




