曾祖父と孫
2歳で初めて対面した後、年に一度は巽の元へ行くのが恒例になっていた。海に潜り、山を走り、道場で手合わせをする。篁と環も同行していたために、篁も巻き込まれている。
「いや、親父少しは手加減をだな!!」
「お前は、ずいぶんと鍛錬を怠っておらんか?」
普段は余裕のある篁も、父を前にすると必死になる。道場というより、床張りの広い和室である。そこで巽と篁、鷹也が入れ替わり立ち替わり手合わせをするのだ。
鷹也3歳時、巽が68歳、篁が44歳。このときも篁が本気で対応しなければ、即座に一本取られる。力と速さだけの勝負であれば篁の方が上だ。しかし技量と練度が全く違うために、簡単に勝つことは出来なかったのだ。
海に潜るのだけは免れたが、それ以外は付き合わされる。このため篁も父の元に通うための鍛錬を欠かすことは出来なかった。蒼介と雅が共に行ったのは、七海が生まれる前までだった。
蒼介も行けば当然のごとく巻き込まれる。4世代が道場で手合わせ大会となり、巽も嬉しそうに相手をしてくれたものだ。
鷹也が小学校入学前の春休み、巽の元を訪れた。
「‥はは。お前ももう小学生か。‥早いものだな。」
巽はそう言って日に焼けた顔で笑ってくれる。
「‥うん。」
鷹也の表情は優れない。巽と鷹也は海のそばの岩の上に座った。
「浮かない顔だな。行きたくないのか?」
「‥教科書?見たんだけど。あんなことのために行く意味が分からないんだ。」
巽はそれを聞いて笑い出した。
「お前にとってはそうだろうな!だから小学校は修業の場だ。」
「‥修行の、場?」
「そうだ。不特定多数の人間が多くいる中で、どう距離をとり、どう自分を慣らしていくか。そういう練習の場だな。‥ふむ、感知が年々広く深くなっているようにも見える。絶対に無理はするな。遠慮せずに休め。学校に行くことよりも、自分の身体を第一優先だ。」
巽はそう言って笑顔を向けてくれる。
「友達、作れとか言われるんだ。‥それも余裕があったらでいいの?」
「当たり前だ。まずはお前が対応出来る術を学ぶこと。学校というのは、きついこともあるが、いい環境でもある。だからもう一度言うぞ?絶対に無理はするな。」
巽の言葉に、ようやく鷹也は表情を和らげた。
「それとな、お前のきつさはお前にしか分からん。だからせめて、家族にだけはきちんと説明出来るようになれ。篁と環さんには俺からも話はする。だがな、お前が我慢せずに言えるようにならんと、俺も困るんだ。‥お前なら出来るだろう?」
鷹也は少しの沈黙の後で頷いた。
「よし、じゃあ潜るか?」
「うん!」
こうして海に潜り、鷹也の表情から硬さが抜けてリラックスしていく。潜る技量も上手くはなっているが、念のためのハーネスを外すことは巽が許さなかった。
鷹也が小学校4年生の夏休み、このときは七海と流水も蒼介たちと共に来た。七海は5歳、流水は3歳だ。蒼介夫婦は民宿に泊まり、篁夫妻と鷹也は巽の家に泊まっている。
巽の家に訪れた七海と流水は少し緊張した様子で、それでもきょろきょろしながら家に上がった。
「七海、流水、ひいお祖父ちゃんだよ。ご挨拶しような?」
先に挨拶を済ませた後、蒼介がそう言って二人の娘を促した。
「ナナミです。ごさい‥です。」
「るみ。‥しゃんしゃい。」
曾孫娘二人の様子に、巽も嬉しそうだ。妻の志乃もそれは嬉しそうに笑っている。
「お昼はちらし寿司を作るから、一緒に食べましょうね?」
志乃の言葉に二人は目を輝かせた。
「ちらしずしー!」
「ちあしじゅいー!」
きゃっきゃと喜ぶ二人を見ながら、蒼介と雅も笑っている。
一足先に海辺に来ていた鷹也に、挨拶を終えた巽が追いついてきた。
「‥七海、ちゃんか。あの子のエネルギーは強い。尖っているというのか。」
「うん。けど、それ以上に感情波が強くてね。エネルギーより先にそっちが刺さってくる感じ。」
巽は目を細めて鷹也を見やる。
「近づかれるだけでキツい時があるわけか。」
「‥うん。だから俺は一緒には住めない。けど、困っているなら助けるよ。」
鷹也はそう言って海を眺める。
「そうだな、それでいい。お前が出来る範囲で出来ることをすれば、それで十分だ。お前が手を貸しすぎると、あの子達は自分の足で歩くことをやめてしまうからな。」
「それは‥そうだね。」
曾祖父がそうして自分に寄り添ってくれることが、鷹也にとっては心地良かった。
「じーちゃん、海に潜りたい。」
「そうだな、行くとするか。」
七海と流水は波打ち際できゃあきゃあはしゃぎ、鷹也は少し沖で海に潜る。移動手段も、滞在中の過ごし方も兄妹には差があった。
(今は俺も慣れたから、七海に対しても普通に接することが出来る。抱っこも出来るし、手を繋ぐことも出来る。‥が、こいつにはきついのだろうな‥)
巽はそう理解し、鷹也が「出来ない」ことをごく普通に受け入れたのだった。
鷹也が高校生になった頃、巽も80歳となった。
「じーちゃんもあと20年は元気でいろよなー!」
「お前な、年寄りをこき使うんじゃねえよ。」
そうは言いながらも海にも潜れば山も走る。足腰は強く、全く危なげがない。そして道場の手合わせでも、気は抜けなかった。何よりフェイクもブラフも通用しない。意図を完全に読まれているような不気味さがあった。
「フン、ずいぶんと上手くはなったが、俺を騙すには足りんな。」
ブラフの後の動きを正確に読まれ、一撃を食らって膝をつかされる。
「‥マジか。父さんは騙されてくれるんだけどな。」
「蒼介は甘すぎる。篁もその程度なら分かるだろうよ。それとブラフ直後に慢心するな、隙になっとる。」
「はい。」
手合わせするときの曾祖父は、鋭さも威圧もない。ただただ全てに対応される、といった不気味さがあった。そして一撃を入れてくるその瞬間、意識をずらされるような感覚があった。
「俺がくたばる前に一撃入れられるようになれよ?」
「‥うへえ。あと30年くらい頑張ってくれない?」
巽と鷹也はそう言って笑い合った。
そして大学1年の夏休み、珍しく巽が真剣な眼差しで鷹也を海辺へと誘った。
「お前、許婚がいるんだってな?」
「‥じっちゃんと、相手の爺ちゃんの口約束みたいだけどね。」
大した問題でもないといった様子に、巽は一つ大きな吐息を漏らした。
「お前には、話しておこうか。」
巽はそう言って海を眺めた。鷹也は黙ったまま、曾祖父の横顔を見つめる。
「俺はな、中学を出た後、すぐに働いた。学校という場所が嫌いでな。火乃宮のとこで働かせてもらった。感知持ちってことでよ、必要最小限の付き合いしかしてこなかったんだ。周りも気遣ってくれたしな。」
巽は何とも言えない表情で吐息を落とした。
「それで良かった、はずだった。けどな、そこで志乃と出会った。18のときだったか。‥交際が始まったときはそりゃ天にも昇るくらいに嬉しかったさ。」
まるで若き日の妻の面影を思い出しているような、そんな表情を浮かべ、その後に悔しそうに歯噛みする。
「ツケが回ったよ。人付き合いを避けていたがために、触れることはおろか、長い時間一緒に過ごすことすら苦痛だった。それでも志乃は俺に愛想つかせたりはしなかった。」
一度言葉を切り、鋭い視線で鷹也を射抜く。
「志乃はそれでも俺の傍にいてくれた。だから俺はあいつの望みを叶えたかった。‥子が欲しいというな。何とか俺も努力したが‥何せ行為後に数日或いは一週間、俺は起き上がれなくてな。それでやっと出来たのが篁だ。そして志乃には止められた。十分だから、と。‥でもな、あいつはもっと子どもが欲しかったんだよ。‥俺は叶えてやれんかったんだ。」
悔しそうに、呻くように巽は言った。
「お前が初めてここに来たとき、俺はお前を引き取ろうかとも思った。けどな、お前には‥そりゃ辛いかもしれんが。少しずつでもいい、慣れて欲しい。嫁の望みぐらい叶えられるようになれ!」
鷹也は黙ったまま巽の目を見返した。
「‥ありがと、じーちゃん。注文多いけどな!」
「そうだな!無理をするな、辛くても慣れろ、嫁の望みは叶えろ!‥でも全部が俺のお前への望みだ。」
巽はそう言って笑った。
「‥じーちゃんが話してくれたこと、無駄にはしないよ。」
鷹也もそう言って笑顔を向ける。
曾祖父と曾孫は、そうして海辺で語り合ったのだった。




