破綻
今の家に引っ越しをして間もなく、夏休みに入った。大学バスケでは、これまで通りポイントガードとしてサブレギュラーにもなっているため、そこそこ試合にも出ている。
「今日は何のバイトだっけか。」
スマホのスケジュールを確認し、カフェへと向かう。ロッカーで着替え、ホールに入りながら挨拶を交わした。
「ご注文はお決まりですか?」
呼ばれて注文を受け、薄く笑みをうかべて対応する。そしてオーダーが出来たら運び、合間にテーブルを片付け、会計をする。いたってシンプルな作業であり、さほど困ることはない。クレーマーに遭遇したこともなかった。単純に上背があり、少しばかり目つきが鋭いために、客がクレームをつけにくいだけなのかもしれないが。
22時の閉店作業を終え、帰宅すると23時になる。帰宅して早々にやることがまずは風呂をわかすことだ。その後は部屋でパソコンを立ち上げ、レートや取引関係を一通りチェックし終える頃に風呂が沸く。
「はー‥やっぱ風呂最高!」
浴槽に浸かっていると、影や妖たちがわらわらと集まってくる。
『ふろー!』
『きもちーねー!』
『わーい!タカヤーおふねー!』
大学生独り暮らしには似つかわしくない、アヒルや船のおもちゃが傍らに置いてある。鷹也がそれを湯船に浮かべてやると、妖や影たちが我先にと乗り、遊び始めるのだ。
『タカヤーちゃぷちゃぷしてー』
『すすんだーー!』
『いくぞーー』
鷹也が手で波を起こすと、船やアヒルたちが進みだす。嬌声をあげながらはしゃぐ妖たちを見てると妙に落ち着くのだ。
『タカヤ?なんかげんきない?』
『かおいろわるい』
『だいじょぶ?』
『なんかタカヤのなみ、ちがう』
妖たちが“波”と称すのは、おそらく何らかのエネルギー波みたいなものだろう、と鷹也は推測していた。この“波”は人によっても違い、同じ人であっても体調や心情により大きく変動するらしいのだ。
「別に普通なんだけどなあ‥大丈夫だって。」
笑いながら言い、湯船でフッと明日以降の予定を思い浮かべた。篁からこちらへ帰ってこいとも言われているためアルバイトもかなり制限している。明日は他校との親善試合があり、出場するよう言われているのだ。
「うーん‥まあ距離問題なくなったし、気が向いたらでいいか‥」
風呂から上がると早速縁側に向かう。昨日古本屋で購入した本が数冊あるので、さっそく目を通す。傍から見ると本当に読んでいるのか?とツッコミたくなるほど、ページを捲る速度は速い。
大判の厚さ2センチほどの本はあっという間に読み終えた。一冊読み終えた後に概要のインデックスを自分なりに作成し、内容を整理して落とし込む。読む時間よりもこの頭の中での作業の方が、遥かに時間がかかっているかもしれない。
「‥あれ?朝!?」
周囲が明るくなっていることに気づき、慌てて時計を見る。
「あっぶね!」
慌てて服を着て、バッグにユニフォームとバッシュを放り込む。あとはポケットに現金を突っ込むと慌てて家を出た。
「‥腹減った?‥かな?」
まあいいやとそのまま学校の体育館へと向かう。相手校がこちらに来るため、行先は通っている大学だ。部室で着替えを済ませて他のメンバーと挨拶を交わす。
朝から昼までが親善試合で、午後は自由参加である。鷹也は午前中の親善試合でいつも通り指示を出し、いつも通り動き、いつも通り勝った。
「鷹也、お前は帰って休め。‥体調悪いだろう?」
顧問にそんな言葉を掛けられたが、思い当たる節はない。
「おかしいな?普通通りだと思うんだけど?」
鷹也の反論に、顧問は苦笑いを浮かべている。
「その顔色でいつも通りに動けているから、お前は怖いんだよ!倒れる前に休め!」
そういえば家に鏡なんてなかったな、と思いつつ言われた通り帰宅することにした。ああいう時の顧問は何を言っても帰れというだけなのを知っている。
汗だくになったユニフォームを帰りがけにコインランドリーに突っ込み、そのまま近くの古本屋へと入った。どうせしばらく時間はかかるのだ、また何か面白そうな本があるかもしれないと片端から物色していく。
つい読み耽りそうになる衝動を抑えながら、数冊を手にして会計する。専門書ばかりであるため、一冊数千円することも多かった。もちろん普通の本屋にもいくのだが、昔の古い文献を見て、現在の文献とどう変わったのか、あるいは新たな発見により、どんな見解が出たのかを比較するのも面白かった。
コインランドリーで洗濯も終わり、荷物をまとめて帰宅する。汗もかいたことだし、と、風呂を沸かそうとしたとき、突然両足が攣った。続いて背中にも痙攣が走る。
「‥あれ?」
床に倒れこんだまま、なぜかどうやっても動けない。呼吸は出来るため、今すぐどうにかなるわけではないだろうが、どうしたものかと考えているうちに意識が途切れた。
「いててて!」
篁が突然悲鳴を上げる。
「ブラン!?どうした?」
『タカヤがー!!倒れたー!』
鷹也の式である、白銀鷹のブラン、ここ数日鷹也には警告を発していたのだが、完全にスルーされていた。
「‥またか。」
篁は携帯を片手に“道”を通じて鷹也の家へと移動した。
「鷹也!」
声をかけても全く反応はない。仕方なく救急車を呼び、そのまま病院まで付き添う。血液検査やら一通りを受けた後で、いつもの医師がため息をついた。
この医師は月影家の分家が営む病院に勤務している、一族の医師だ。
「いつもの睡眠不足と脱水と栄養失調ですね‥。彼はどうやったらちゃんと生活してくれるのかな‥」
「いつもすみません。今は独り暮らしなんですが、たまたま家に様子を見に行ったら倒れていましてね。」
篁も申し訳なさそうだ。何せ過集中とでもいうのだろうか、食事や水分補給、睡眠を後回しにする悪癖が鷹也にはある。子供のときからそうなのだが、まだ以前は電池切れで突然寝る程度であった。食事は取らせていたために、一応ここまでの状況には陥らずに済んでいたのである。
いずれにせよこうなると数日は起きないので、篁はいったん自分の家へと戻った。
「おう。出かけていると聞いたが、戻ったのか?」
声を掛けてきたのは月影家の賢一である。
「‥ああ。すまなんだ。何かあったか?」
居間の座椅子を進め、自らも座り込む。座卓の上には環がお茶を淹れて持ってきてくれていた。
「さくらのことなんだがな、倅の智之からもせっつかれておって。許嫁の件だ。」
篁は目を細めた。
「智之くんも乗り気なのか?」
賢一が頷いて茶を啜ってため息を落とす。
「何せあの体質だ。さくらがまともに話せるのが鷹也くんくらいだからね。あの子は鷹也くんと同じ大学を目指していてな。寮もあるのだが、さくらは独り暮らしを希望している。‥さすがに心配でな。」
篁はこれこそ渡りに船だと喜んだ。
「ちいと来てもらえんか?もしかしたら互いの悩みの種が解消するかもしれん。」
篁は賢一にまずこの“道”を通れるかどうか、式に聞くよう尋ねた。賢一の式は鴉である。翼に白いラインが入っていて品格があった。
『ケンイチ通れるよ。珍しい、妖の道はじめてみた!』
賢一は物珍し気に見て、篁と共に“道”を通った。その間にこれから向かう先について、篁から一通りの説明を受けた賢一は、物置から一歩外に出て絶句する。
「こ、これ四年間のためだけに、鷹也君が?」
「‥まあ、あいつは少し特殊でな。こういう所でないと、落ち着かんのだ。‥ちなみにわしは一銭も援助しておらんし、借金もしておらん。この程度のことが出来るくらいには稼いでいる。」
賢一は家の中を見回して違和感を覚えた。そのことを口にしようと思っていたが、先に篁が口を開く。
「今なあ‥あいつ、倒れて病院で寝とる。」
篁の言葉に賢一が慌てる。
「あー心配せんでいい。集中すると食事と水分補給と睡眠を一切忘れる。‥困っておるんだ。」
賢一は再び大きなため息を落とした。
「この家なら部屋も余っていそうだ。‥同居するようさくらに提案してみよう。何より、篁のとこからここまで直に来られるのは、私もありがたいしね。」
その言葉に篁も大きく頷いた。
「まああいつも厄介な体質を持っているから間違いは起きないとは思うが。万一のときは?」
賢一は穏やかに笑う。
「お互いに厄介な体質持ちだ。万一が起きたなら、それは喜ばしいことだと思うが?」
祖父同士はニヤッと笑い合い、再び篁の屋敷へと戻った。
「あれ?どこだここ?」
二日後に目を覚ました鷹也はベッドの上に起き上がった。
「バカタレ!」
傍らには篁がいて、不機嫌そうに悪態をつく。
「‥え?じっちゃん、何でいんの?」
「お前のせいでブランにつつかれたんだ!しかもまた倒れおって!」
鷹也は周囲を見回して、ここが病院であること、点滴を受けていることに気づいた。
「あー‥そいやあ顔色悪いとか、顧問が言ってたな。思い当たる節はなかったと思ってたんだけど、そういやメシ食ってなかったっけか‥」
「水も飲まずに寝ずに何やっとるんだ!?」
相変わらず反省の色が全くない鷹也に、篁はつい言葉が荒くなる。
「えっとー‥ここ数日本読んでたら朝になってたな、そういや。あれ?バスケの試合前に水のペットボトル買ったはず。あー飲むの忘れてたのか。」
ボロボロと出てくる発言に篁はつい頭を抱える。
「三食と睡眠は絶対だ!」
「一日72時間ならたぶんクリアしてる!‥はず?かも?」
本気でクリアしているかどうか考えている様子の鷹也に、篁がキレた。
「一日は24時間だ、バカ者!!」
一族の者は大概震えあがるが、そうではない例外がいる。そしてその例外は尚も口を開いた。
「そもそも何で地球の自転周期に合わせて生活するんだよ‥別によくねえ?」
怒鳴ろうがキレようがこいつには全く無意味だったな、と篁は再びため息をついた。
「一日24時間で慣らされているんだ、我々は。大人しくその習慣に慣れろ‥」
「ん~」
全く分かっていないであろう返事を返し、鷹也は良く寝た!とばかりに伸びをしている。
「あ、俺いつ帰れんの?」
「もうお前、ここで一生点滴生活送るか!?」
そんなやりとりが日常の祖父と孫なのであった。




