七海
七海の小学校入学を機に、雅は以前勤めていた会社に復帰した。職探しを始めた矢先に、以前に短期間ながらも在籍した会社の上司に会って誘われたのだ。その会社は店舗や企業のコンサルをしており、雅にブランクもあることから時短勤務で少しずつ慣らし運転をしている形である。
これまでは家に母もいてくれたのが、帰宅すると霧江しかいない。流水は霧江とも仲が良く、一緒にお菓子作りをすることもあった。
「ただいま。」
母がいない寂しさから、七海はランドセルをぽいっと放り投げ、ソファーに乱暴に座った。今日は男子にからかわれて機嫌が悪かったのだ。
「七海、そんなふうにランドセルを投げちゃだめよ?」
霧江がおやつとジュースを持って、ソファーの前のテーブルに置いてくれる。
「はーい」
投げやりな返事をして、ふてくされている姿に霧江は苦笑いを浮かべた。最近すこしわがままが増えてきたようにも思い、霧江は七海の前にしゃがんだ。
「どうしたの?何か学校で嫌なことでもあった?」
「なんでもない!」
七海は癇癪を起こしてランドセルを掴み、部屋へと走っていく。
『なんでママいないの?きりえさんと、るみばっかり仲良くして!‥鷹兄にも会えないし!』
七海はふてくされたまま、ベッドの上に座って足をぶらぶらさせる。兄と会って話したかったが、家に行ったらおばあちゃんに怒られる。クラスの男子は頭にくるし、とにかくカリカリしていた。
「七海ちゃん?‥おやつとジュース持って来たわ。今日は宿題あるの?」
霧江が流水と一緒に焼いたのであろうクッキーと、ジュースを持ってきてくれた。だが、そのクッキーを見ると自分が仲間外れにされたような気になってしまう。
「うるさい!!もう!ママじゃないのに!流水と仲良くしてればいいでしょ!!」
どうやら自分が流水と一緒にお菓子作りをしたことが、七海にとってはお気に召さなかったらしい。これも一種のやきもちなのかと、つい霧江は微笑んでしまった。
「なにがおかしいの!?‥もうやだ!!」
七海はそう叫んで、霧江の横をすり抜けて走り出した。止める間もなく玄関から飛び出してしまう。
「七海!?」
霧江は慌てておやつとジュースを置き、後を追おうとした。が、流水に呼び止められる。
「きりしゃん、ちーいくの!」
にこにこしながらトイレに行きたいという流水を放っていくわけにもいかない。一瞬、迷った霧江だったが、どちらにしても一人で置いておくことは出来ない。式を篁の元に飛ばし、流水のトイレに付き添ったのだった。
七海は訳も分からないまま、走り続ける。近所の人が驚いたようにこちらを見ているが、七海にはそんなことなど関係ない。とにかく人目を避けたくて、家の少ない方少ない方へとひたすら走った。
周囲の景色が家並みから、木立の多い景色へと変わり、七海は走り疲れて歩き出す。それでも足を止めることなく木々の間を抜け、舗装された道路ではなく木の根や草の生える道へと変化していた。
「わあ」
木立を抜けた先、視界が開けて清らかな水を湛えた池が七海の目に飛び込んできた。周囲は柔らかな草に覆われているので、七海はぺたりと座り込んだ。
ひんやりした草の感触が足から伝わり、走ったために熱を持った身体に染み渡るようだった。この周囲は水が湧き出る場所も多く、この池も湧水が溜まって出来たものである。
七海にそんなことなど分かるわけもなかったが、ただこの池を見ていると不思議に心が落ち着いた。水面は穏やかだが、池のふちでは水がちゃぷちゃぷと音を立て、楽し気に揺れている。七海はただただその池を黙って見つめ続けた。
式から連絡を受け、仕事で不在の篁の代わりに環が霧江の元へ走った。流水を環に任せ、霧江はあちらこちら走り回る。環が探してくれると言ってくれたのだが、どうしても自分で探しに行きたかった。
『ほほえましくて笑ってしまったけど‥バカにされたと思ってしまったのかもしれない。』
先日熱を出してしまい、身体の方はまだ完全に本調子とは言えなかったが、そんなことよりも七海のことが気がかりで仕方なかった。近所の人、数名が七海の姿を見たと教えてくれたので、その話を頼りに姿を探す。そこまで遠くへは行けないだろうとも思うが、全く分からない。自分の不注意が原因で、姉にまで悲しい想いをさせてしまうことは絶対に避けたかった。
流水をあやしながら、霧江の連絡を待っていた環だったが、一向に知らせが入らない。篁が仕事を切り上げて帰宅している最中だと式から聞かされる。と、環は鷹也のことを思い出した。
『あの子なら‥七海の居場所が分かるのでは?』
そう考えて、鷹也に式を飛ばす。
『タカヤ、ナナミがいえをとびだした。どこにいるかわからないって。』
家で微睡んでいた鷹也は、ブランの声で飛び起きた。
「分かった。」
それだけ言い、七海の波を追う。
「‥いた。」
鷹也はスッと立ち上がり、七海の現在位置に向けて走り出した。
辺りが薄暗くなり、汗をかいたためなのか身体がすっかり冷えてしまった。七海はぶるっと震え、そっと立ち上がる。初めて来た場所でもあったし、どこをどう走って来たかも全く覚えていない。寒さと心細さに、不安が募る。半べそになりながら周囲を見るが、当然人影もなく、さっきまで静かで落ち着いた場所だったはずが、暗くて静かすぎて怖い場所へと印象が変わってしまった。
「ママ‥鷹兄‥こわいよ‥」
風がふわりと吹き抜け、その冷たさに七海は再び座り込んだ。
「‥さむいよう。」
不安と寂しさに押しつぶされそうになっていたその時、人影が現れた。
「七海!?」
その姿を捉えた瞬間、鷹也は式に居場所を伝えた。普段、妖たちが多いだろうこの場所も、今は姿を消している。おそらく七海の感情波に驚いて、逃げてしまったのだろう。
「たかにーーーー!!」
七海は大声で走り寄り、ぎゅーっと鷹也に抱きついた。
『ぎゃあああああああ!』
様々な感情の波の直撃を受けた上に、がっしりとしがみついて離れない。内心で大いに悲鳴を上げ、サーっと全身の毛が逆立った。
「あのね、こわかったの!でも鷹兄きてくれた!」
七海は必死に声を上げ、なおもしがみついてくる。既に鷹也は失神寸前だ。そして安心したのか、七海はそのまま眠りに落ちた。ずるずるとその場に崩れ落ちる七海と、それに引きずられるように鷹也も崩れ落ちる。
『‥もう、むり』
鷹也もそのまま意識を手放した。
その後篁が一番に駆け付け、まずは七海を静かに背負って走る。
『‥たかにい、あったかい‥』
眠りながらも七海は兄におんぶされて運ばれていると、そう感じていた。
そして鷹也の方はというと、限界を迎えて気を失ったままだ。七海を置いて戻った篁も、下手に手を出すことが出来なかった。とはいえ、ここに置いておくわけにもいかない。
『タカヤどうしたー?』
『たおれてるー』
『あーなんかだめだこれー』
妖たちがわらわらと集まり、口々に言葉をかけたり、鷹也をぺちぺち叩いたり、対応は色々だ。
『ボクらではこぼー』
『うん、それがいー』
『みんなきてー』
さらに妖たちが集まって、鷹也を担ぎ上げる。
「お前たちが運んでくれるのか?」
篁が驚いて話しかけると、妖たちは一斉に頷いた。
『いまはニンゲンがさわったらだめー』
『ボクらならへいきー』
『タカヤともだちー』
そうやって妖たちの協力を得て、鷹也は篁の屋敷まで運んで来られたのだった。
七海が目を覚ますと、心配そうな蒼介と雅の顔が自分をのぞきこんでいた。
「パパ!ママ!」
起き上がって両親に抱きつく。七海が眠っている間に、雅と蒼介は環から経緯を聞いた。霧江は、歩き回り、走り回り続けたことから高熱で倒れ、近所の人が通報して病院に搬送されていたためだ。
「あのね!たかにいがきてくれたの!わたしをここまで運んでくれた!」
それは嬉しそうに話す七海だが、二人はもちろん篁がここまでおぶってくれたことを知っている。
「‥そう。でもなんでナナちゃんはそんなところにいたの?」
雅が真剣な眼差しで問うと、七海はしょんぼりと肩を落とした。
「ママがいなくて‥きりえさんはるみと仲良しで‥わたしには怒るから。」
そして雅がやさしく宥めながら話を聞き、元はといえば七海がランドセルを放り投げたことが原因だと突き止める。
「パパとママが、ナナちゃんのために用意したランドセル。それをそんなふうに投げられたら、パパもママも悲しいわ。霧ちゃんは、そんな私たちの気持ちを分かってくれているの。‥ナナちゃんには分かってもらえないかな?」
七海はバツが悪そうに俯いて「ごめんなさい」と口にした。
「きりえさんは?」
蒼介がそっと七海の頭を撫でる。
「霧ちゃんはね、ずっと七海を探していたんだよ。でもどこにいるか分からなくて、具合が悪くなってしまった。少し休んだら帰って来るよ。」
七海は途端に顔を上げ、蒼介と雅をそれぞれ見つめた後、再び下を向いた。
「ごめんなさい。霧江さんにもあやまる。‥霧江さん、だいじょうぶだよね?」
七海の言葉に二人は微笑み、「大丈夫だよ」と声をかけた。身体を冷やしたせいか、七海も熱を出してしまい、再び眠ってしまうのだった。
篁の屋敷、離れに独り鷹也は寝かされていた。周囲には妖たちが集まり、鷹也にぴったりと寄り添っている。
「‥鷹也に頼んだのは間違いでしたね‥ここ最近、ずっとあの子は体調が優れなかったのに‥」
環がそう言って静かに涙をこぼす。
「そう言うな。あいつが見つけてくれなかったら、あんな所にいた七海を見つけ出せはしなかった。夜になれば冷える。それこそどうなっていたか分からんのだ。」
篁はそう言って環の肩を抱いた。鷹也のことは、雅と蒼介には話していない。雅が仕事を始めたことで環境も変わり、家の中も落ち着かない状況だ。そして霧江が倒れたことも彼らにはショックであるだろう。鷹也の状況を話したところで、彼らには何もできずただ待つ他ないのだ。
二日後に一度目を覚ました鷹也は、ひとしきりトイレにこもり、何度も嘔吐を繰り返し、環の作る食事を食べ、再び眠る。そんなことを繰り返していた。
落ち着きを取り戻し、普通の生活に戻るのに二週間を要した。
「‥ありがとう。でもごめんなさいね、貴方に無理をさせてしまった。」
環がそう声をかけると、鷹也はニヤッと笑った。
「ばっちゃんにそんな風に言われると、調子狂うんだよなあ。気にしなくていいよ、これは俺の問題。」
さらりと言われると環も笑顔を向ける。
「‥そんなことが言えるなら、大丈夫ね。で、いつから学校に行くのかしら?」
途端に鷹也は笑い出す。
「気が向いたら、と言いたいとこだけど。気が向くまでに十年くらいかかりそうだから、ばっちゃんに怒られるよなー」
環も笑いながら小言を言う。
「七海とか流水が同じように、どこにいるか分からなかったら聞いてくれていい。‥次は抱きつかれないようにすればいいだけだしね。」
鷹也はそう言ってニヤリと笑い、そんな孫を頼もしいと思ってしまう環だった。




