親と子
その頃、鷹也は二日月と星明かりだけの暗い山道を、ひたすら走っていた。何の感情もない、ただの衝動。頭の芯だけがカッとしていて、それだけが気持ち悪い。夜風は冷たいが、それも心地良く、獣道を抜けた先、渓流の中に身を投じる。
「‥はぁ‥」
さほど流れの速くない、深みになっている場所で横になる。清流が全身を柔らかに打ち、熱くなった身体と頭を冷やしてくれる。
そのままぼんやりしていると、妖たちが寄ってきた。
『こんな時間にかわあそびかー?』
『タカヤなにしてるー?』
『あたまあついー?』
『なみ、みだれてるー!なんかあったー?』
妖たちも鷹也の身体の上によじ登ったり、流されないようにしがみついたり、一緒に居てくれる。
「ここは楽でいいな‥君らといっしょだと、俺が楽‥」
『タカヤの近くはらくー』
『でもタカヤはニンゲンー』
当たり前の現実をつきつけられると、嫌な気持ちになる。
「それな。‥俺は中途半端なんだよ。‥どちらにも、寄れない‥」
すうっと目尻から涙が溢れる。それすらも清流が顔にかかるために、すぐに分からなくなった。
『タカヤ?タカヤがいるから、ボクらたのしーよ?』
『しゅぞくちがっても、ボクらはタカヤのナカマー!』
『ニンゲンだけど、ボクらのともだち!たのしーよ?』
「‥うん。ありがと。」
悲しみも怒りも、何も表面上には現れて来ない。感情の動きを自覚する前に、既に処理が終わってしまっている。そんな状態なのだ。心がザワつくような感じと、もやもやした感じ、それだけが僅かに残っているだけだ。それが具体的にどのような感情で、どんな想いなのかすら、自分でも理解が出来ない。
「‥まあ、歪、なんだろね。仕方ないな‥俺はそういうもんなんだろ。」
自分ですら理解出来ないものが、両親や祖父母に分かるはずもない。それでも、祖父母が理解してくれようとしていることは分かる。
『まあ面倒事ばっかりだったよ、でもそれが生きるってことだったのかもね。』
以前、影が言っていたことを思い出す。そいつは若いうちに亡くなったらしい。色々と面倒になって飛び降り、気づいたらそうなっていたらしい。
『思い残すことなんてなかったつもりだったけどさ、意外にあるんだよな!』
何を思い残したのか、聞いてみたが『ひみつ』と言われてしまった。しばらく話す機会はあったが、最後に挨拶に来た後、満足げに霧散していったのだ。
『また、どこかで!』
青空の下、日差しに溶けるように霧散した影の姿は今でも印象に残っている。
(‥さっきのやりとり、影が聞いてたら呆れられるかもな‥)
余りに人と関わらない鷹也を心配して、心の機微を話してくれる影がいる。説教とまでは言わないが、たまに耳に痛い話もしてくるのだ。
渓流から出て、岩の上に座っていると身体が徐々に冷えてくる。とはいえ、ほぼ寒さは感じない。なぜか昔から寒さには非常に強いらしい。心配されるが、それすらも面倒だ。実際に風邪を引いたこともない。
岩の上に座ったまま、夜風に当たっていると、かなり気分が良くなった。
「走るか」
再び鷹也は立ち上がり、さっき衝動のままに走っていたのとは違う、夜の山を探索するように走り出した。
その頃、蒼介と雅は、息子の様子を全て聞き、完全に打ちひしがれていた。子どもたちの生命エネルギーは非常に高い。そんな中で一日過ごすことが、どれほどまでに負担になるのか、二人にはとても想像出来ることではなかった。
「‥さっき会ったとき、顔色が余り良くなかったのは‥?」
蒼介がぽつりと聞くと、環が二人を見やる。
「疲れ切ってるのよ。式に聞いてみたら、耐久力が上がる以上の速さで、感知力が上がり続けていると。落ち着いては不安定になり、の繰り返しね。」
「え?そんな状態で山に入ったら!?」
環の言葉に雅が即座に反応する。居ても立ってもいられない、といった様子だ。
「雅さん、気持ちは分からんでもない。だがな、あいつにとって山に入るのは、癒やし以外の何物でもないんだ。まずはそれを分かってやって欲しい。」
そう諭され、俯いてしまう。落ち着き払っている祖父母が恨めしくも思うのだ。
「まあ俺も子供の頃から里山廻りはしてたから、まあ慣れてるなら夜道でも大丈夫なのは分かる。軽く手合わせをしたときに、あいつの身体能力も見てるしね。‥でも感情が追いつかないよ。」
そう言って蒼介は苦笑した。
「俺等はさんざん親父に相談したしな。‥まあいい、今日は帰りなさい。間違っても山には入るな。」
篁がそう釘を刺す。
「明日の朝!また来ます!!」
即座に雅は言うが、篁は首を振った。
「今日、俺と環が話した鷹也の状況、それを二人でもう一度じっくり考えなさい。改めて話をするというなら、明後日の夜だ。それまでこの家に立ち入ることは許さん。」
蒼介と雅は反論しようとして口をつぐんだ。
「‥よくよく考えて、手放した方が良いと考えるか、それでも親で居続けることを選ぶか、その答えを明後日の夜に持ってきなさい。中途半端な感情論で決めたら、あの子を追い詰めるだけだ。」
重々しい口調で篁は言い、厳しい表情を浮かべている。蒼介と雅は、その様子に改めて覚悟を突き付けられ、それ以上何も言えなかった。
「分かりました。ご面倒をおかけしてすみません。‥ミヤちゃん、行こう。」
蒼介はそう言って立ち上がり、雅を促した。
「私も感情的になってしまい、すみませんでした。蒼介さんと、きちんと、話します。」
雅も二人に頭を下げた後に立ち上がった。
息子夫婦を送り出した後、篁は大きくため息をついた。
「本当にあいつは厄介な奴だ。」
環はそんな篁の様子を見て、くすくす笑っている。
「可愛くて仕方がないのに、何を言っているやら‥」
「うるさい!‥それより、飯の支度を頼む。俺は風呂沸かしてくる。」
篁はぶっきらぼうに言い放ち、鷹也が住む離れの浴室へと足を運んだ。掃除は欠かさないらしく、ピカピカの浴槽に栓をして湯を張る。
「‥まあ、可愛くて仕方がないのは事実だな‥」
余計なものが一切ないのに、浴室にだけはおもちゃのアヒルやらボートがある。妖たちがこれに乗って湯船で遊ぶのだろう。
それから1時間ほど経過した、深夜。鷹也が戻ってきた。
「こら、戻ったら声くらいかけんか。」
篁が庭に向かって声をかけると、バツが悪そうに鷹也が縁側にやってくる。
「風呂に入ったらこっちに来い。飯の支度がしてあるから。」
「‥うん。」
軽く返事をしてスッと気配が消える。
鷹也が風呂に入ると、妖たちがわらわらと集まって来た。
『タカヤでかけてたー?』
『夜中だぞー』
『子どもは寝ろー!』
そうは言いながらも一緒に風呂に入り、おもちゃに乗って遊んでいる。
「‥俺はどうしたらいいんだろね?」
一人湯船に浸かりながらそう呟いた。
「まあとにかく食え。腹が減ってはろくなこと考えんからな。」
ご飯に肉と魚、生野菜に漬物と味噌汁が並んでいる。
「‥ありがと、ばっちゃん。頂きます。」
最初こそ遠慮がちに箸を伸ばしていたが、一口二口食べるごとにどんどんペースが早くなる。かなり空腹だったらしく、おかわりも二回した。環もそんな孫の様子に嬉しそうに笑っている。
食事を終えた後、篁は鷹也に向き直った。
「お前は蒼介と雅の話を聞いて、どう思ったんだ?」
鷹也は少し困ったようにため息をつく。
「‥勝手なこと言うなよ、と。けど、父さんと母さんが心配?してくれてるのは分かる。七海と流水も小さいしさ、大変そうだとも思ってるよ。だから俺がいなけりゃその方が楽だろう?」
篁と環は顔を見合わせた。
「‥お前のその感覚が、普通ではないことは分かっているか?」
篁の問いに鷹也は少し苛立っているようにも見える。
「普通って何だろね?‥誰かが定義したものか?それとも社会通念上の規格みたいなものか?」
鷹也はそう言って射るような目でこちらを見てくる。この子のこのような態度は珍しいことだ。
「そうだな‥今回の例で言えば、多くの小学校一年生児童が取る行動や思考。それをベースに考えたとき、そのベースからは大きく逸脱している。俺はそう思う。」
篁は鷹也の鋭すぎる視線を受けてなお、真正面から受け止めて見返した。
「そう言われたら、その通りとしか言いようがないよ。」
祖父と孫はしばらく睨み合っていたが、環がパンっと手を叩いた。
「全く!鍔迫り合いはいい加減になさい!鷹也、蒼介と雅さんにあんな言い方したこと、ちょっと後悔しているでしょう?」
ズバリと言われ、鷹也は固まった。
「私がその程度のこと、分からないとでも?」
環はやわらかな眼差しを向け、そっと鷹也の頭を撫でた。触れるか触れないか、ほんの刹那の時。しかし手の熱は、確実に伝わった。
「‥大人でもね、体調がすぐれなければ機嫌も悪くなるわ。結果、酷い言葉をぶつけてしまうこともあるのよ。貴方が話を聞いていたのを私たちは知っていた。けれど敢えて聞かせたの。今後も同じようなことは必ず起きるわ。だから貴方と両親二人、ここできちんと認識をしておくべき。これが私たちの考えよ。」
環の言葉がまっすぐに伝わって来て、鷹也はしばらく沈黙した後に頷いた。
「‥そう、だね。確かにばっちゃんの言う通り、同じことがこの先も繰り返されたら、俺は父さんと母さんから完全に離れたかもしれない。あの時の言葉は‥後悔もしてるけど‥それで二人が離れるというなら、それはそれで構わないとも思ってる。仕方ないよ。」
穏やかに鷹也はそう言った。篁と環はそんな孫の言葉を聞き、「やはり」と頷く。
「まあ、そうはいかんと思うがな。お前だって分かっているのだろう?あの二人の愛情は深い。ただその表わし方が今のお前には重荷なだけで。あの二人が本当にお前のことを理解し、お前が受け取りやすい愛情を注いだなら、離れるつもりなどないだろうが。」
篁はそう言って笑い孫を見やる。
「あ~‥まあ‥ちょっとうるさいけど。‥きらいじゃ、ない。」
困ったように呟く鷹也に、篁と環は大いに笑った。賢くて器用なこの孫の、不器用さ。この不器用さが何より愛しくて仕方がなかった。
篁との約束の日、蒼介と雅は再びやってきた。居間に通され、緊張した面持ちで座る。
「確かに最近、七海と流水にかかりっきりになってました。‥でも‥鷹也は俺たちの息子です。もっとちゃんと見て話して、きちんと理解します。‥だから!俺たちの息子として育てさせてください。」
蒼介はそう言って頭を下げ、雅もそれに倣った。
「‥鷹ちゃんのこと、もっとちゃんと知りたいんです。これまで、忙しさを理由にしてしまってました。すみません。」
頭を下げたままの二人に、篁は顔を上げるよう言う。
「お前は、どうしたい?鷹也。」
篁は傍らにいる鷹也へと向き直る。
「‥俺はたぶん、七海や流水とおなじようには出来ない。するつもりもない。‥それでもいいの?」
まっすぐな視線に、二人はまっすぐに見返す。
「もちろん。理解してやれなくて悪かった。」
「鷹ちゃんは鷹ちゃんだもの。私たちが一番に分かってあげたいの。」
蒼介も雅も無表情なままの息子を見つめる。
「俺、住むのはここがいい。妖と影に囲まれたここが、俺にとっては楽なんだ。それでも?」
二人は笑顔で頷いた。
しばらくの無言の後、鷹也は立ち上がり、両親の元へと歩いた。
「‥ごめん。あの時は苛ついてて、ちょっと八つ当たりした。」
そう言って一瞬二人に抱きつき、即座に離れた。
「う‥」
「え‥」
息子が自ら触れてくれたことに、二人は固まった。鷹也の腕にはびっしりと鳥肌が立っている。
「ごめん、これが限界。」
蒼介と雅は泣き笑いで頷く。まだ微かに残る温もりが、悲しいほどに愛しかった。
「‥そういうことでよかろう?」
篁がそう宣言し、鷹也が首筋に流れる冷や汗を拭って微かに笑った。環もそっと目じりを抑え、蒼介と雅も笑顔で頷く。
庭からは虫たちの鳴き声が響き、空には月が輝いていた。




