両親
10月初旬の日曜日に開催される運動会。初めての小学校の運動会を、蒼介も雅も楽しみにしていた。団体競技は無理かもしれないが、かけっこなどの個人競技はあるはずだ。篁から渡される学級通信を見て、二人はその日を心待ちにしていたのである。
運動会の少し前、二人は霧江に七海と流水を預けて篁邸を訪れた。心なしか鷹也の顔色が優れないようにも見えた。
「鷹ちゃん!もうすぐ運動会ね!みんなで応援に行くから!!」
雅が満面の笑顔でそう告げる。
「お弁当も張り切って作るからな!‥見学の方が多くても、気にしなくていいんだぞ!」
蒼介も笑顔だ。
「運動会は、休むよ。」
鷹也は相変わらず乏しい表情で淡々と告げる。面倒そうな、気怠げな様子にも見えた。
「え?‥休み?」
思わず雅が声を上げるが、鷹也は無表情のまま頷いた。
「鷹也?‥体調、良くないのか?」
蒼介が心配そうに尋ねるが、鷹也は何も言わずにただ一点を見ているだけだ。
「でも!!初めての運動会なのよ!?」
雅の声がワントーン上がる。一瞬、鷹也の眉間に皺が寄った。
「‥むり。」
それだけ言い、鷹也はスッと立ち上がって母屋から出て行った。二人が呼び止める間もない。二人は顔を見合わせた後、忙しそうな環に暇を告げ、篁が戻る夜にもう一度来て話を聞くことにした。
「昼間はごめんなさいね、今日は少し慌ただしくて。」
夕食後に再び来訪した二人に茶を出しながら、環はそう声を掛けてくれた。
「いえ‥私たちこそ、お忙しい時間にお邪魔しちゃって。」
雅は恐縮して言い、姑と嫁は笑いあった。
「父さん!‥運動会休むって‥本当なのか?」
蒼介は早速本題に入る。
「ああ。無理はさせられん。」
篁はそう言って環が入れてくれたお茶を口にする。雅は肩を落としてため息をついた。
「‥あの子、幼稚園も行ってないから‥やっと行事に参加出来ると‥そう思ってたんです。お友達と遊んでいるところとか、かけっこしてる姿とか‥そういう写真が1枚もなくて!寂しいじゃないですか‥」
振り絞るように声を出し、雅は悔しそうに唇を震わせる。
篁と環は顔を見合わせる。気持ちは分かる、しかし、それ以上に鷹也の状況をよく知る二人にとっては、無理はさせられない。
「‥仕方ないのは‥分かっているつもりだよ。でも、でもさ!」
蒼介が落ち着かない様子で口を開いたその時
「ごめん、俺はそういうの、無理だから。‥俺のことはもう忘れてくれていい。」
その言葉に雅と蒼介は弾かれたように廊下に視線を送った。相変わらず顔色の優れない息子が、微かに口元に笑みを浮かべてそう言い放ったのだ。蒼介と雅は顔から血の気が引いた。
「えっ!?いや!お前何を言って‥!?」
蒼介がそう声を上げた時には、鷹也は踵を返して玄関へと歩き去っていた。
「鷹也!!」
慌てて立ち上がり玄関へと急ぐ。息子は玄関から外へと出て行った。
「待って!!」
後を追おうとして、その腕をガシッと掴まれる。
「‥親父!?いや‥あいつ外に!夜だし!すぐに追わないと!!」
慌てる蒼介の腕を掴んだまま、居間へと引き摺られる。
「落ち着け。戻って来るから心配するな。」
「だけど!!俺等のせいであいつは!!」
ガツン!眼の前に火花が散ったような衝撃があり、続いて痛みが走った。
「いでええええ!」
「落ち着け、とそう言っている。いいから来い。」
頭に拳骨を落とされた蒼介は、少々涙目になりながら居間へと連れ戻されたのだった。
「まずは二人とも、落ち着きなさい。‥あいつが話を聞いていたこと、蒼介、お前は気づかなかったのか?」
穏やかな口調ではあったが、篁の視線は厳しい。蒼介は項垂れてしまう。
「‥気づきませんでした。」
「私も、です。」
篁と環は顔を見合わせ、軽く吐息を漏らした。
「でも!父さん!どうして?あいつが‥鷹也が聞いているなら、止めてくれよ!無駄に傷つけることになったじゃないか!」
しかし篁は動じない。
「鷹也にも、お前たちにも、分かってもらわんとな。所謂普通の小学生と同じことは出来ないのだということを。」
「けど!!あの子、自分のことは忘れてくれって!!‥そんなの‥そんなこと、言わせる必要なんてないじゃないですか!」
雅は涙目で食って掛かる。
「‥そうね。でもね、あの子はそういう子。だからこそ、親である貴方たちに知ってもらわないといけなかったのよ。‥鷹也にもね。これが当たり前ではないことを、鷹也も知るべき。」
環は静かに言い、雅の手をそっと握る。
「父さん‥あいつは‥鷹也はどこへ行ったんだ?それも、分かっているのか?」
篁は茶を啜り、窓から外を見透かすように視線を送った。
「里山だろうよ。今晩は帰って来ないかもしれんな。」
「父さん!?こんな夜更けなんだぞ!?子供一人でそんな!」
今にも立ち上がろうとする蒼介を、篁は視線で抑える。
「知り尽くした山だ。妖たちもおる。今追いかけても逃げられるだけだ。放っておけ。」
「夜は相当冷え込むんですよ!?そんな悠長な!!」
雅も立ち上がろうとするが、環にしっかりと手を握られている。
「‥だから普通じゃないのよ、あの子は。いいから落ち着きなさい。今無理やり追いかけても、まず捕まらないわ。それに会ってあの子に何を話すの?」
環の静かな言葉に、蒼介と雅は言葉を失った。謝罪するのか、運動会に出てくれと頼むのか、あんなことを言った息子を叱るのか、頭の中をぐるぐると思考が巡る。
「‥すまんが、二人に通告だ。あのままのあいつを受け入れられないというなら、あいつは、鷹也は俺の養子にする。」
篁の突然の宣言に、蒼介と雅はその場に凍りついた。
「まだ七海も流水も幼い。幼稚園や小学校の行事も、普通に参加出来るだろう。お前たち二人も、それで満足するのではないか?」
蒼介は唾をごくりとのみこみ、信じられない、といった様子で父親を見やる。
「それは‥あいつが言った通り‥鷹也の存在を忘れろ、と?」
「そうだな。そして鷹也はそうなったとしても、それを仕方ないと受け入れる。そういう子だ。」
その言葉に蒼介も雅も凍りついたまま、ただ篁を見つめた。
「‥いや、です。鷹ちゃんは私たちの息子です。」
しばらくの沈黙の後、雅が一言、きっぱりと呟いた。
「そうか。‥まあ俺達もな、あいつの状態をお前たちに詳細までは話していなかった。これに関しては申し訳ないと思っている。」
篁がそう言うと、蒼介は目を閉じて吐息を漏らし、再び篁をみやった。
「俺達が慌ただしかったせいで、話を避けていたんだね。‥ごめん、聞かせて欲しい。」
そう言った後に雅を見やると、力強く頷いた。
「分かった。それでは少し長くなるかもしれんが。」
篁がそう言って話し始め、時折環が補足を加えていく。小学校入学後に息子が体調を崩していることは、蒼介も雅も聞いてはいた。しかし、二人の想像以上に休みがちであったことを改めて聞かされ、小学校に通うことの辛さを痛感させられる。
話の途中で、蒼介は気になったことを父に尋ねた。
「俺やミヤちゃんが鷹也に会いに行ったとき、もしかしてあいつは無理、してたのか?」
ぽつりと蒼介は呟いた。
「‥そこまでは言わないけれど、心配かけまいとしたのでしょうね。」
環はそう言って二人を見やる。二人が鷹也に会い、一緒に過ごした後もぐったりしてしまうことは多かった。それを気にすると、今度は疲れた姿を見せないようにするかもしれない、そう考えて篁も環も陰からそっと見守るだけに留めていた。
「勘違いするな。恐らく、自分を守るためでもある。不安な気持ちがまた、あいつにとっては刺さってくるのだろう。確かにあいつは我慢しようとする癖もあるが、自分にとって負荷にならないよう工夫もしているんだ。必要以上に気を遣わんでいい。」
篁の言葉に、蒼介と雅は神妙に頷いた。
「最近、つくづく思うんです。‥七海を見ていて、これが2歳児なのねって。鷹ちゃんとは全く別方向で大変です‥」
雅のため息交じりの話に、篁も環もついつい笑ってしまうのだった。




