日向駆1
小学校が夏休みに入った直後、一族の男を篁が保護して連れて来た。
「鷹也、しばらくここで預かることになった。日向駆だ。」
まだ若く二十歳そこそこのようだ。頬がげっそりとこけ、目は虚ろでどこを見ているのか分からない状態である。
母屋に近い離れに寝泊まりすることになるらしい。
「‥ふうん‥」
鷹也は、特に興味を示すことはないようだった。男は鷹也を見てもいないようで、環に連れられて離れへと歩いて行った。
「なあ、鷹也?あいつの‥駆の感情波、お前なら分かるか?」
篁にそう尋ねられ、鷹也は目を細めた。既に部屋から出て行った後ではあるが、それでも追えるらしい。こんなことを頼んだら、負担になるのでは?と聞いた後に篁は不安になる。
「なんか全部内側に向いてる。‥自分を、責めてる?みたいな。外には全然でてこない。」
鷹也は少し考えた後でそう言った。
「‥やはり、そうか。すまん、こういうのを聞くのはお前には負担、だよな?」
「うーん‥きついときにはそう言う。けど、そこまでじゃないよ?」
篁はホッとしながら、そうして協力してくれる孫に笑顔で頷いた。
ふた月ほど前、日向家の次男だった駆は、両親と祖父母、兄夫婦を事故で失った。その前には曾祖父母も病気のために相次いで亡くなっている。本来その日は駆も共に行くはずの旅行で、運転も任されていた。しかし直前に体調を崩して行けなくなってしまい、事故は起きた。
通夜と告別式は駆が喪主となり、滞りなく執り行われ、当主の座を急きょ駆が引き受けることになった。ショックから立ち直れていない駆だったが、それでも努力をし、兄夫婦の忘れ形見である長男の空を引き取る決心までした。
どうやら大丈夫そうだと、周囲も安心した束の間、四十九日が終わった直後に駆は全く動けなくなってしまった。見送りを無事に終えて安心したのか、或いは引き取った長男の世話に追われたのか、空が近所の家に助けを求め、駆が呆然自失状態になっているのを発見されたのだ。
空は一旦、日向家の分家で預かることになり、駆は環境を変えた方がよかろうと篁が引き取ることになったのである。
駆が篁邸に来てから、寝て起きて食事をするだけの生活を送っていた。食事も当初は箸をつけない日が多かったが、少しずつ食べられるようになってきていた。
そんなある日、駆は畳の上に座り、庭をぼんやりと眺めていた。
「‥山行く?」
小学校に上がったばかりか、まだ上がっていないか、そんな年頃の子どもに声をかけられ、駆は面食らう。そして、自らが養子にした空のことがフッと頭をよぎった。
(空、よりも少し大きい?‥小学生?)
「山?」
ごく自然に聞き返していた。これまで、この家の人たちとは一言も話せなかったのに。
「うん。里山巡りするから。」
声はかけて来たが、自分が行くことを期待しているわけでもないらしい。
(空‥?いや違う。けど、こんな幼い子供を一人で山に行かせるわけにはいかない。)
見た目も年齢も全く違うのに、なぜか空とダブって見えた。
「一緒に、行こう。」
駆はそう言うと、靴下を履き、スニーカーを履いて外に出た。強い日差しについ目を細めてしまう。
「行こうか。‥その荷物、俺が持とうか?」
かなり大きめのリュックは、重さもそこそこありそうだ。細い肩に少し食い込んでいるようにも見える。
「いや、普段これ持って歩いてるから平気。」
素足にビーチサンダルですたすた歩いて行く姿にギョッとしたが、ゆっくりとついて行く。
「里山までは近いの?」
「うん、20分くらいだから近いよ。」
表情の乏しい子だなという印象だが、妙に話しやすいと駆は感じた。
「‥きみ、名前は?」
「鷹也」
「あの、大空を飛ぶ鷹かい?」
「うん。」
「かっこいいな。」
「何て名前なの?」
「俺は駆」
「空を駆けるとか大地を駆けるとか、かっこいいな。」
見かけによらず、言葉を知っていることに驚きながら駆は鷹也の後をついて行く。ほどなくして里山に入ると、鷹也は立ち止まってリュックを下ろし、ビーチサンダルを脱ぐ。
「あ、やっぱり履き替えるんだね。」
「うん、これだと滑るしね。」
そう言って取り出したのは草鞋だ。鼻緒がついているタイプではなく、縄でしっかり縛るタイプのもので、器用に縛っている。
「わ、草鞋?」
駆の言葉に鷹也はこくりと頷いた。
「これが一番楽だし、歩きやすいからね。」
山に入ると、ペースが一気に上がった。170センチの駆と比較すると、手や足の長さからして全く違う。それなのに追いつくのがやっとという有様だった。それでも意地で何とか食らい付いていったが、息が上がってしまう。
「‥待って‥ハァハァ‥ちょっと‥ハァハァ‥」
その言葉に振り返り、戻って来てくれる。そしてリュックを下ろしてペットボトルとタオルを差し出してくれた。
「あり‥がと‥」
キャップを開けて半分くらいを一気に飲み干してしまう。
「この水、めちゃくちゃ美味い‥」
「湧水を沸かして冷ましたものだからね。」
鷹也もそう言ってペットボトルを口にしている。
駆は地面に腰を下ろし、斜面に身を投げ出した。葉擦れの音と、小鳥の囀り、それだけが耳に入って来る。木陰は涼しく、時折風が吹き抜けて梢を揺らし、木々のざわめきが耳朶を打つ。
「‥こんなにも‥音がするんだね‥」
自然の音は、これほどまでに心地良いのか、と駆は目を閉じた。背中に柔らかな草の感触があり、所々に木の根のごつごつした感触もある。
何度か深呼吸を繰り返し、山の気配を肺に取り込む。こんなふうに深呼吸をしたのは、いつぶりだっただろうか。
「さて、行くよ。」
スッと立ち上がり、同じペースで歩き出す。駆は時折、水で喉を湿らせながら、必死であとに付いて行った。足元は悪く、滑ることもあれば凹凸に足を取られることも多い。何度かバランスを崩して転びそうになったが、何とかこらえてきた。
「もうすぐ渓流があるから」
再びぜいぜいと荒い呼吸を繰り返す駆に、鷹也はそう声をかけた。なるほど、水の流れる音がどこからともなく聞こえて来て、駆はタオルで汗を拭った。せせらぎの音だけで気分的に涼しくなるのも不思議である。
(もうすぐっていつだよー!‥マジでそろそろ限界!!このチビどんな体力してんだよ!!)
ちょっとだけ持ち直した駆だったが、あれから10分は道なき道を歩き続けている。前を歩く鷹也は一定のペースであり、足元がふらつくこともなければ、バランスを崩すこともない。
「着いたよ。ここで休憩しよう。」
斜面を下った所に渓流が流れており、川辺には砂利と岩が混在している。足元に気をつけながら降り、砂利に腰掛けた。
「はーーーー!!疲れたーーーー!」
思わず口にしてしまった駆だったが、鷹也はリュックを下ろすと、中から何やら棒を取り出した。
「‥え?もしかして、竿かいそれ?」
「うん。釣りやってみる?」
せっかくなので竿を借りた。伸ばすとそこそこの長さになり、竿の先に糸と仕掛けをつけてくれる。
「そこいらの石の下に虫がいるから、そいつ餌ね。」
鷹也に言われておっかなびっくり石をめくり、虫を捕まえて針に刺した。そして少し場所を移動して、そろそろと釣り糸を垂らす。
しばらくすると、鷹也の方に魚がかかり慣れた様子で釣り上げた。
「うわ、ヤマメ!?」
大きさは、25センチはありそうだ。鷹也はリュックから小さなナイフを取り出して簡単に下ごしらえをした後、竹串を取り出し突き刺す。そして枯れ木を拾い集め、ライターで火をつけた。
「え!?ここで焼いて食べるの!?」
「‥そうだけど?」
なにを当たり前のこと言っているんだ?といった様子だ。そして直後に、駆にも当たりが来る。生命力に溢れた川魚の躍動感に、手が震えた。それでも何とか釣り上げる。
「うお!わ!イワナ!!」
大きさは鷹也がつったヤマメより、少し大きいだろうか。駆はおっかなびっくり手繰り寄せ、おっかなびっくり釣り針を外した。鷹也が同じように下ごしらえをした後、竹串を刺してくれ、焚火の周りに釣りたてのイワナとヤマメを置く。
鷹也は火が落ち着いたのを確認して、再び枯れ木を集めて来た。パチパチと火花が起き、煙が舞い上がる。ただそれだけのことに、駆は言葉もなく立ち尽くした。
鷹也はリュックから包みを取り出す。そこには大きな握り飯が4つ入っていて、二つを串に刺して炙りはじめる。魚の焼ける匂いと、米の香ばしい匂いが、駆の鼻腔をくすぐり、腹がぐぐうっと鳴った。
「もうちょいで焼けるから待ってな。」
魚も程よく焦げ目がついており、見た目にも美味そうだった。駆は清流で手を洗い、ペットボトルの水を飲んで胃を落ちつける。
(‥生きてるって、腹が減るってことなのか‥)
駆は自分の身体の声を聞き、ごく自然に深い呼吸を繰り返した。




