小学校生活
鷹也が小学校に上がる際、一番心配したのは雅だった。人との関わりも増えるうえ、手を繋いだり、身体に触れたりということもあるはずだ。
「鷹ちゃん、学校で倒れたりしないかしら?」
「ああ、極力避けるし。体育の授業があるんだろ?見学にしとくわ。身体よわいんでってw」
確かに自分と同じ色素の薄い肌と髪、瞳。家ではかなり大食漢なようだが、身体は細い。病弱と言われれば確かに通用するだろう。
「大丈夫だよ、心配しなくて。欠席日数多くても、卒業は出来るらしいしね。」
雅は我が子の強かさに唖然とするほかなかった。どうやら色々と調べ、考えてはいたらしい。入学式すら欠席すると言われ、泣く泣く出席をお願いしたほどだ。
「鷹也、小学校に行くにあたってな、伝えておきたいことがある。」
篁は鷹也を居間に呼んで座らせた。
「‥なに?」
座布団の上にあぐらをかき、目をぱちくりさせている。
「お前にとっては、学校の授業はつまらんものだ。それは覚悟しているか?」
既に配られた教科書を見ていた鷹也が、フリーズしていた姿を篁は確認している。
「‥うん。」
ため息をつきそうな鷹也に、篁は笑い出しそうになりながら表情を険しくした。
「お前は賢い。同年代の子どもとは天と地ほども差がある。だが、それに驕ることはあってはならん。」
鷹也は相変わらず目をぱちくりさせている。
「‥影とけっこう話した。とりあえず自分の努力とは無関係の能力、これは自慢するものじゃないって。それでいい?」
篁はフッと相好を崩して笑った。
「‥そうか。影たちもお前を見て、少しばかり不安になったのだな‥」
「別に俺は普通だし。」
少しばかり拗ねた様子の鷹也に、篁はため息をついた。
「お前の普通は、同年代の普通とは違う。そうなると、目立つ。色々な奴が寄ってくる。」
「うわそれ勘弁して‥」
本気で嫌そうな顔をして困っている孫に、篁は更に言葉を続けた。
「それが嫌なら、周囲を見ろ。そしてなるべく合わせろ。‥目立たないようにな。その程度、お前には出来るだろう?」
ニヤニヤしながら孫を煽る祖父は、傍から見たらただの意地悪爺さんだ。
「‥分かったって。とりあえず体育は休むよ。手繋いでとか二人一組でとか、無理だからね?」
篁は頷いた。
「それに関しては仕方ないだろう。学校イベントは全部欠席か?」
「‥うん。義務教育だから仕方なく行くだけだ。卒業出来ればそれでいい。」
事前に様々な打ち合わせをし、篁も先生たちに向けて手紙を書くなど、対応を進めた。
クラスの人数は30名。幼い頃から一緒に遊んでいたり、幼稚園で一緒だったりと、既にコミュニティが出来上がっている。
「‥あれ、だれ?」
「みたことない。」
「近所にいなかった。」
そんな声が聞こえてくるが、鷹也は完全にスルーしている。それよりも大人数の喧騒に、早くも内心ではグロッキー状態だった。
(早く終わらねえかな‥)
よく分からないイベントも多く、あっちに行ったりこっちに連れていかれたり、ウンザリしていたのだ。
(椅子に座って授業受けて、それで終わりじゃないのか‥)
ズキズキ痛む頭に手を当て、そっとため息をつく。そんな状態であるが故に、クラスメートから話しかけられても答える余裕すらなかった。
「あいつ無視する。」
「変なやつ。」
「むかつく。」
そんなレッテルを貼られても、それすらどうでも良い。授業が終わり、休み時間になると早々に教室を飛び出し、独りになる時間を確保することに必死だった。
帰宅するなり、疲れ切って横になる。そんな日が数日続いた。それでも早朝の里山巡りだけは欠かさないのは、楽になれるからでもある。
「大丈夫か?最近、食欲も無いようだが。」
最近では、山歩きというよりも山走りに近い状態である。
「学校行くとダメだね。頭痛と吐き気がずっと続く。‥義務教育とか、誰だよ作ったやつ!」
珍しく本気で苛ついているらしく、少し痩せたようにも見える。
「キツけりゃ休め。‥親父も小学校は行かないことが多かったらしいしな。身体壊したら復帰に時間がかかるだろう?」
まだあちらこちらに雪は残っているが、篁も鷹也も、ものともせずに山道を走る。
「‥そうだね、今日は休む。多少覚悟はしてたけど、あそこまでとは思わなかった‥」
そして帰宅後、少し遅めの朝食を終えた後に環は体温計を渡す。
「…え?」
鷹也はボーっとしたまま受け取り、体温計を挟む。
ピピッ 【39.8℃】
「疲れかもしれないわね、寝ていなさいな。」
環に言われ、鷹也は布団に潜り込んだ。
『風邪の症状がなくて熱だけなんだろう?そいつは過負荷だな。受信しっぱなしで、オーバーヒートしたみたいなもんだ。山に行くでも水に浸かりたいでも、好きにさせてやれ。俺は庭の湧水池に入って落ち着いてた。念のため、式に聞いてみろ。』
巽は電話の向こうでそう話してくれた。環が病院に連れて行こうか悩み、義父に相談したのだ。
(そうだった‥式に聞く、ということをつい忘れてしまう。)
環は自分の式を呼び出し、鷹也の様子を確認した。
『大勢のニンゲンの波を、いっぱいうけとってる。それでつかれきってる。』
その言葉を聞いた環はやはり病院に連れて行かなくて良かった、と安堵したのだった。
結果熱が下がるのに3日を要した。そして学校に行き、頭痛と吐き気が止まらず、給食も受け付けない状態になってしまう。
「水澤くん、大丈夫か?」
担任が声を掛けてくれるが、冷や汗が止まらない。
「‥早退します。」
何とか声を絞り出し、篁が車で迎えに来てくれる。
こんなことが頻繁にあり、クラス内でも存在感の薄い生徒になっていた。学校をよく休み、早退も多い。そして偶に学校に来た際、話しかけても上の空で反応すらない。生徒たちも先生たちもどう扱って良いか分からない児童になっていた。
それなのに、だ。テストを受ければ毎回満点であり、作文を書かせれば子どもとは思えない語彙と表現を使う。
「この子は…」
担任は確信した。おそらくは、知能が相当に高い。黒板の内容をノートに書き写すということすらしていなかったはずだ。
「今度彼が学校に来たら話してみるかな‥」
再び鷹也が登校してきた時、担任は教室を出ていく鷹也の後を追いかけた。
「どこにいくんだい?」
問い詰めるわけでもなく、不思議に思ったから尋ねた。そんな様子に鷹也は立ち止まる。
「‥人が多い場所がきつい。休み時間だけでも離れないと保たない。」
それだけ言い、足早に去って行った。
「音過敏とか‥かな?発達障害があってもおかしくなさそうだし‥」
いずれにせよ、10分休みに話すのは無理そうだ。給食後も姿を消すことが多いので、その時にしようと決心する。
「やっと見つけた。‥君は、もう小学校の履修内容は全て理解しているんだろう?」
担任は息を弾ませてそう告げる。
「‥え?」
「あはは!君の作文見れば分かるよ。漢字も普通に使っているしね。ああ、咎めに来たんじゃない。‥ここに座ってもいいか?」
鷹也は不思議そうに見やり頷いた。自然と距離を取ってくれたのはありがたい。
「僕もね、まあ教科書の内容とか黒板の内容、丸暗記してしまうタイプだった。‥ノートも教科書も必要なかったし、当時は高次導関数に夢中だったよ‥」
少しばかり恥ずかしそうに担任は話す。
「テイラー展開、とか?」
鷹也が面白そうに話すと、担任もニヤッと笑った。
「それな!まあ僕が夢中になったのはもう少し後、小5くらいだったけどね。‥いや、テイラー展開が出て来た時点で驚いたんだが。水澤くんは、何に興味がある?」
担任の問いに、鷹也は少し考える。
「広がってくんだ。一つの論文を読むとさ、数学・物理・化学、その思想が生まれた文化背景や地理や歴史まで。‥それを負い始めるとキリがない。‥こんな所に来る暇があるなら、本とパソコンに埋もれてた方がマシだよ。」
担任は目を細めてその話を聞き頷いた。
「そうだね。じゃあ君の小学校入学は、義務教育だから。それだけのこと?」
「うん。同年代の友達付き合いは不要。学校行事も不要。」
その言葉に担任は笑い出した。
「あははは!すまない。‥まるきり僕の小学中学時代と同じだなとね。‥そして、音か光か他の何かは分からないけど、過敏症だから人が多いのは苦手なのかな?」
余りにも簡単に言い当てられ、少し面食らったが、鷹也は頷いた。
「‥そうか、分かった。体育不参加とも聞いている。今後君はずっと僕が担任をやるから、何か困ったら言ってほしいのと。作文提出する前にこっそり僕の所に持ってくること。」
鷹也がつとみると、担任はニヤッと笑った。
「あんなのを提出したら目立つって。高校生が書いたと言ってもおかしくない内容だぞ?‥だから捏造するんだ。目立ちたく、ないんだろ?」
その言葉に鷹也もニヤッと笑い頷いた。
「よし!これで共犯者だな。‥その確認がしたかった。邪魔したね!」
それだけ言うと担任は立ち上がり、校舎へと戻って行った。
(なんか面白いやつだったな)
その担任も正に同じことを考えていたのだが、お互い知る由もなかった。
この担任との出会いは、小学生の鷹也にとって奇跡的な出会いだったかもしれない。何より「普通の小学生」に見えるよう、基準を調整してくれた教師だ。
ノートを取るようになったのも、「普通を演じるためだ」とこの教師に言われたからであったし、読書感想文や作文といった作品も二人で改ざんした。
担任の名は、新海良明といい、鷹也と頻繁に会って話をした。体調が優れずに休んだときには自宅まで来てくれ、篁とも懇意になったほどである。
数学や物理学での論議をすることもしばしばで、鷹也にとっては初めてディスカッションを出来る相手が得られたのだった。
一学期が終わると通知表を渡される。二重丸・丸・三角の三段階評価であり、体育以外はほぼ二重丸である。音楽や図工も卒なくこなしていた。
そしてこの日は蒼介と雅が二人で篁邸にやってきた。
「‥あれ?何しに来たの?」
特に休日でもないことから、鷹也は不思議そうに尋ねる。
「そりゃお前!」
「終業式ってことは通知表!」
二人が妙に目をキラキラさせている意味が分からず、鷹也はぽん、と手渡した。二人は通知表を広げて歓声を上げる。
「さすが!!いや、予想はしていたが!!」
「すごい!!鷹ちゃん天才!!」
二人は喜びにハイテンションだ。そして鷹也のほうは訳も分からずそれを呆然と見ている。
「‥あれ?嬉しく、ない?」
「こんなに良い成績取ったのに?」
なぜ嬉しく思うのか、理解が出来なかった。
「まあいい!今夜はみんなで外食に行くぞ!今日だけは霧ちゃんに娘二人を任せたからな!」
「今日は鷹ちゃんのお祝いだもの!さ、準備して行くわよ!」
訳も分からないまま祝われ、訳も分からないままご馳走を食べる。終業式中は保健室で休んでいたため、体調はそこまで悪くないが、良い状態でもない。
(父さんと母さんが喜んでるし‥まあいいか。)
鷹也にとっては謎のまま、謎の祝勝会が催され、二人は上機嫌で帰って行った。
「‥疲れた‥」
鷹也は帰宅するとすぐに畳の上で大の字にひっくり返った。
「ははは‥まあ、喜ぶのが当たり前だ。お前はこの成績を見て、嬉しいとか思わんのか?」
篁に問われ、鷹也は目を閉じた。
「出題者の意図を汲み取るだけの内容に何の意味があるの?そもそも前提知識があって、その内容のすり合わせだけなんだから、出来て当たり前だろ?」
斜め上以上の答えが返って来て、篁は笑う他なかった。確かにこの孫にとってみれば、その程度のことでしかないのだろう。
(‥蒼介も雅も、こいつの体質を知ってるとはいえ、学校でどれほど疲れているのかは、分からんからなあ。‥どこまで話せばよいやら。)
蒼介も雅も心配性で涙もろい。流水が1歳、七海ももうすぐ3歳だ。まだまだ手はかかる。それだけに鷹也の状態を事細かに報告するのは憚られた。
篁と環は、若夫婦たちとの話し合いをするタイミングと内容について、何度も確認をしあった。




