霧江と流水
流水を出産し、雅が退院して流水と七海の世話に追われている真っ最中に、来客があった。
「え!?霧、ちゃん!?」
数年ぶりに会う、二つ下の妹に雅は驚いて硬直した。国内で住み込みの仕事をしては海外に行き、確か海外で結婚をしたと聞いていた。最近、メールのやりとりも無くなっており、心配はしていたのだ。
「‥ああ、ごめんなさい。出産後大変な時に来てしまって‥」
赤子の姿を見て、霧江はすぐに去ろうとしたのだが、雅がそれを止めた。勝ち気で生気に溢れていた妹が、げっそりやつれているのを見て放ってはおけなかったのだ。
流水を日向ぼっこさせ、育休を取ってくれた蒼介が七海をあやしている間、雅はお茶を用意して霧江に向き合う。
海外を放浪しバックパッカー生活を送っていた霧江であったが、離婚した後に子宮がんが発覚し、入院と治療を経て回復したのだという。
「‥そうだったの。」
雅は霧江の手をそっと握った。蒼介も涙目になって姉妹を見つめる。雅との交際時から蒼介も霧江とは交流があったが、二人の結婚式に霧江は現れなかった。そんな事情があったのか、と少々ショックを受けた様子である。
しばらくして霧江は近くのホテルに滞在しているからと家を後にした。しばらくはここと両親の間を行き来するつもりなのだそうだ。
「もうね、結婚もこりごり。それに病気で子供も産めなくなってしまったし‥」
寂しそうに笑う霧江の姿が印象的であった。
「霧ちゃんも色々大変だったんだな‥」
蒼介が紅茶を淹れながら深い溜め息をつく。
「そうね。顔色もすぐれなかったし、まだ生活も大変なのかしら‥」
そんな言葉を交わしていると、何とか出来ないかと考えてしまう。それから二人と霧江はその後頻繁に会い、今後について色々と話し合いをしていった。
現状、水澤家当主は蒼介の父である篁である。しかし蒼介は一族由来の力を持たず雅は嫁であるために、どちらも当主にはなれない。
この一族は水・火・風・土・月・日の系譜があり、蒼介は水澤家すなわち水系統の家である。雅は風系統であり、高校時代からこの一族の風系統の家に住んでいた。もちろん地元に残ることもあるのだが、高校から一族の他の家で生活し、その地に根付くこともある。蒼介には弟と妹もいるのだが、弟も妹も別の地にいる。
「‥やっぱり鷹也が次期当主になるのかな‥」
篁もまだ40代であるし、しばらくは問題ないだろう。だがいずれは必ず世代交代が訪れる。蒼介の弟蒼太は眼を発現しているため、当主候補ではある。しかし今住んでいる地で、結婚を考えている女性がいると父から聞かされてもいるのだ。
「俺達が出来ることは、金を稼いで屋台骨を支えることしかないかな‥」
蒼介も雅も高校時代からの付き合いであり、高校卒業後就職し、すぐに結婚したのだ。
「それなら、霧ちゃんも一緒に暮らさない?私もいずれ仕事には復帰したいし、霧ちゃんの体調を見ながら復帰の時期は考えるとして。‥子供を目にするのも辛いなら、無理強いは出来ないけれどね‥」
霧江は家事全般、全てこなせる。母の身体が弱かったこともあって、子供の頃から霧江が家事を良く手伝い、小学生の頃にはメインで食事を作っていたほどだ。
「そうだなあ。‥霧ちゃんが在宅で少しずつ仕事をしながら家事を手伝ってもらえたら、君も少し楽になるか?」
蒼介が真剣に考えてくれていることに雅は感謝した。実際、蒼介も仕事がかなり忙しくなっており、育休を取るのもやっとだったらしい。0歳児と2歳児のコンボに、ここまで手がかかるとは思ってはいなかった。環もちょくちょく様子を見に来てくれており、常備菜を差し入れてくれたりもする。それでも最近は七海もイヤイヤ期に差し掛かっており手がかかるのだ。
「‥今更になって思うけど、やっぱり鷹ちゃんがお利口さん過ぎたのよ。我儘も言わなかったし、言われたことどころか、言われなくてもちゃんとやってたんだもの。」
雅が流水をあやしながら呟く。
「ああ‥あいつは大変なことが普通とは違うところにあるからなあ。‥親としては寂しいよね。」
二人はそう言って笑い合う。最近は、蒼介と雅が代わりばんこに、鷹也に会いに行っているのだ。育児がどれほど忙しかろうと、それだけは決して欠かすことはしなかった。
その後、環や篁も交えて霧江と雅、蒼介で何度も話し合い、霧江が蒼介たちと同居することになった。これには今後蒼介が海外へ赴任する可能性が高いことも作用した。
「‥ありがとう姉さん。私に子育ての手伝いを持ち掛けてくれて。‥もう‥一生叶わないことかと‥」
泣きながら頭を下げる霧江に、雅も泣き、蒼介までもらい泣きをしていた。
そして初めて、篁の家にもう一人長男がいることを打ち明けた。事情により、この家の離れで暮らしていること、七海や流水との交流についてなど。事前に話をした後に、鷹也を呼ぶ。
霧江から見た鷹也の第一印象は、とにかく子供らしからぬ静けさと落ち着きであった。
「鷹ちゃん、この人はね、私の妹なの。‥私たちと一緒に暮らすことになったから、話しておきたくて。」
雅がそう話しかけると、霧江は微かに笑みを浮かべた。
「羽水霧江というの。よろしくね?」
「鷹也です。よろしく。」
表情に変化がなく落ち着き払った様子に、霧江の方が面食らった。確か小1だと聞いていたはずだが、中学生や高校生のような印象すら受けたのだ。
「‥あ、鷹ちゃん。妹はね、あちこち海外に行っていたのよ。外国の話とか、興味があったら聞いてみてもいいかもね?」
雅がそう尋ねると、鷹也は微かに首を傾げた。
「霧江さん、て呼べばいい?」
唐突に聞かれて霧江は慌てて頷き、笑顔を浮かべる。
「叔母にあたるからおばさんでもいいのよ?」
「‥おばさんって年じゃなさそうだし、霧江さんて呼ぶよ。」
霧江は吹き出しそうになったが、明るい笑顔を向け、「ありがとう」と呟いた。
「あ、その国の言葉で話すには、会話をしないと身につかないもの?」
突然の質問に再び面食らったが、霧江は少し考えて口を開く。
「会話でもいいけれど、その国の音楽を聴いているとイントネーションや発音が分かるかしらね。聞いて口ずさめるようになれば‥って、ちょっと難しかったかしら?」
「‥ううん。そうか、ありがとう。」
鷹也は微かに笑みを浮かべ、そのまま軽く頭を下げて自室へと戻って行った。
「‥あの子、本当に小1?私も普通に返してしまったけど、理解してたわよね?というか、私の記憶にある小学1年生とかけ離れすぎてるんだけど‥」
環と篁も笑っている。
「あの子が初めての子なんだけど、やっぱりあの子が普通じゃないのよね?本当に体質以外では全く手がかからなかったの。‥そのせいか今が本当に苦労していて‥」
雅が涙目になっているため、霧江は笑顔で「大丈夫だから、私が手伝うから」と姉を慰めた。こうして蒼介と雅の家に、霧江も加わることになった。
霧江も最初こそ姉に気遣い、蒼介にも気遣っていたが、少しずつ慣れていった。蒼介が会社からせっつかれ、やむなく育休を切り上げられたのも、霧江のおかげである。まず劇的に変化したのが食事だった。
「‥霧ちゃんのエビマカロニグラタン‥なにこれ‥プロなの!?何でこんなに美味しいの!?あああ‥私こんなに幸せでいいの!?」
何を作ってもこの調子で、雅は感動しまくってくれる。蒼介も料理は得意だったが、霧江には遠く及ばなかった。
「‥霧ちゃん、天才か!?しかも俺、最近帰り遅いのに、出来立て用意してくれるなんて‥無理はしなくていいんだからね?」
蒼介も食事作りから解放されたことで、仕事に打ち込むことが出来ている。
「流水はあまり泣かないから、一度流水を連れて鷹ちゃんに会わせたいわね‥」
雅の言葉に、霧江と蒼介は顔を見合わせる。
「いいんじゃない?七海は家で見ているから、行ってらっしゃい。」
とはいえ、さすがに霧江と七海二人きりでの留守番は避けた。チャイルドシートに流水を乗せ、雅が篁の家に連れていくことにしたのだ。
「こんにちは。ほら、流水ちゃん、おじいちゃんとおばあちゃんですよー!」
篁と環は、笑顔で流水を撫でる。
「あー」
どうやらご機嫌らしく、少し声をあげた。そのまま居間に通され、離れにいる鷹也がやって来た。
「鷹ちゃん、七海の下の妹。流水ちゃんよ。」
恐る恐る近づくと、流水は鷹也を見た。まだ見える状態ではないはずだが、それでも顔を向けて見ようとしている意志は伝わった。
「‥流水?」
鷹也はそう呟いて、そっと指に触れる。
「っ!?」
流水が鷹也の指をぎゅっと握ったため、思わず声を上げそうになる。しかし、流水はすぐに手を離した。
「大丈夫?」
雅が声をかけると鷹也は頷いた。ただ驚いただけらしい様子に、つい笑顔になる。
「流水‥の方が、波がやわらかい‥」
鷹也はそう言って柔らかな眼差しで流水を見つめた。
こうして雅や蒼介が、流水や七海を連れて篁邸を訪れるようになった。鷹也の時とは違い、七海も流水も妖や影には反応しない。
(‥やっぱり、普通がこうなのよね。鷹ちゃんは開眼が早かったから。)
妖や影たちと穏やかに会話する鷹也を見て、雅は少しだけ寂しい気持ちになる。同年代の子どもたちとの交流がないせいだ。しかし、同時に嬉しい気持ちにもなった。孤立することなく、こうして穏やかな時間を共に過ごせる者がいるためだ。
(‥寂しいような、嬉しいような、何か複雑だわ。)
雅はそれでも元気でここまで育ってくれたことに、笑顔を浮かべていた。




