祖父と孫
「あいつは物を欲しがらないな‥」
篁は居間で茶を飲みながら環に呟いた。テレビにも興味がなく、同じ年頃の子どもたちが欲しがるもの、全てにおいて興味を示さない。
「そうですね、本と牛乳くらいでしょうか?‥あ、ノートパソコン欲しい、はありましたね。」
息子夫婦からは、一応鷹也の生活費を受け取ってはいる。しかし、篁はこれには手を付けず、口座を分けて保管していた。何せまだ幼い娘もおり、突然必要になることもあるだろう。
祖父と孫
「あいつは物を欲しがらないな‥」
篁は居間で茶を飲みながら環に呟いた。テレビにも興味がなく、同じ年頃の子どもたちが欲しがるもの、全てにおいて興味を示さない。
「そうですね、本と牛乳くらいでしょうか?‥あ、ノートパソコン欲しい、はありましたね。」
息子夫婦からは、一応鷹也の生活費を受け取ってはいる。しかし、篁はこれには手を付けず、口座を分けて保管していた。何せまだ幼い娘もおり、突然必要になることもあるだろう。
「鷹也、何か欲しいものはないか?」
篁が尋ねると、鷹也はしばらく黙って考えた。
「‥予算は?」
普通の5歳児が気にすることとは思えず、篁は苦笑いを浮かべる。
「気にせんでいい。それを聞くってことは、欲しいものがあるんだな?」
鷹也は頷いた。
「パソコン組みたい。」
篁は理解が追いつかず、目を瞬かせた。
「パソコンを‥組む?」
鷹也は頷いた。既にノートパソコンは持っている。そこでも着々と知識は広げているらしい。
「うん、やりたいことがあってさ。ノートだとスペック足りなそうだし、モニター複数台必要になりそうだから。」
篁は思わずため息をついた。やはりこの孫は同年代とはかけ離れ過ぎている。
「俺の知り合いに詳しいやつがいる。‥そいつとやりたい内容を相談しつつ、どのくらいの予算が必要なのかも含めて検討してはどうだ?」
篁の言葉に鷹也は目を輝かせる。
「いいの?やっぱり最初は詳しい人に聞きながらの方が、俺も助かる。ネットの内容って、どこまで信憑性があるのか、正直疑わしくてさ。」
鷹也はそう言って微かに笑う。以前と比較すると、多少感情が出るようになってはいるが、それでも大笑いするわけでもなく、怒ることもない。
「そうか、それなら近いうちに時間を作ってもらうとしよう。」
(‥あいつも変わった奴だが‥会わせても大丈夫だろうか‥)
一抹の不安はある。人と関わらず、パソコンに埋もれているような奴である。しかし、知識と技術に関しては何より信頼できる男でもあった。
その後、篁と鷹也は知人の元を訪れた。
「‥子どもとは聞いていたけど、そんなに小さいの!?」
開口一番、そいつは驚いたように声を上げる。小柄で細く、黒縁のメガネをかけた男だ。見かけによらず、太くて渋い声をしている。年齢は父の蒼介より少し年上だろうか。
「ああ。まあ年齢は気にしなくて良い。‥俺が既にこいつの話す内容を理解出来ん。」
男は興味深げに観察する。
「俺は篠原卓也だ。篁さんとは仕事の付き合いでな。‥君は?」
「水澤鷹也。今後、トレードやりたいと思っていて、いずれモニター複数台稼働させることになるのと、ワールドニュースを常時表示したくて。とりあえず最初はモニター一台を9分割で見られればいいかな。あとは論文系読みたい。キーボードも複数繋げてアルファベット表記以外の言語入力がスムーズに出来たらいいんだけど。」
卓也はその言葉に絶句した。
「‥は!?え!?‥待って待って待って!俺の理解が追いつかない!30秒時間くれ!」
篁は笑い出しそうになり、鷹也は首を傾げている。
「‥ええと、うん、分かった。トレードについては、年齢的に無理だけど‥もちろん分かってるよね?」
鷹也は頷く。
「ある程度、法律関係と税務関係は覚えたから。それは大丈夫。そのうちじっちゃんにお願いするけど、今はまだ準備段階。情報をどう扱って、それがどういう結果になるのかを見たいだけだしね。」
卓也はおかしそうに笑い出した。
「篁さん、この子やべーわ!!‥あはははは!‥いやでも面白い!!」
篁は複雑な気持ちで孫を見やる。
「で、鷹也。パソコン組むのに何が必要かも分かっているよな?」
「うん。マザボとグラボとCPU、HDDは外付けも含めて考えるか、内蔵HDDのスペック上げるか悩んでる。外国語の発音とイントネーション覚えるのにCD使ってるけど‥こっちでもそこそこ聞ける程度のサウンドボードはあったほうがいい?」
卓也は満面の笑みを浮かべて舌なめずりでもしそうな雰囲気だ。そこからは二人で議論が始まり、篁にとってはまさに別の国の言語としか思えない会話が繰り広げられる。
「じっちゃん、待たせてごめん。話、まとまった。後で絶対に返すから、30万円くらいかかっちゃいそうなんだけどいいかな‥?」
卓也はおかしそう笑っており、鷹也は困惑したように聞いてくる。
「‥ああ。かまわんよ。お前の好きなようにしたらいい。」
篁は観念した。鷹也のことだ、必要な部分とそうでない部分、こだわりと妥協をバランス良くした結果なのだろうと予測は出来る。
「ついでに組むのも手伝ってやるよ。一緒にやろうぜ!」
卓也が朗らかに言うと、鷹也は微かに笑みを浮かべて頷いた。どうやら変わった者同士で気が合ったのかもしれない。
家に帰る道すがら、篁は機嫌が良さそうな鷹也を見やる。
「卓也も人嫌いだから余り近づかんタイプだったろう?」
「‥うん。白熱すると身を乗り出そうとするんだけど、なぜかすぐに身を引いてくれる。勘が鋭いのかな?ちょっとザワザワする人。でも距離があるから大丈夫だった。‥面白い人。」
鷹也は考えながらそう評す。ある程度距離を置いてもダメなタイプも多いらしいが、卓也は大丈夫らしい。苦手なタイプが圧倒的に多い中、珍しいことだ。
見積金額を卓也に支払い、卓也が機材を全て購入して家まで持ってきてくれた。予めパソコンを置く位置も決めてあり、それ用の台は辰に聞きながら廃材で作ったらしい。表面は磨きあげられ、ステインで丁寧に仕上げている。配線用の穴も作ってあり、机の下に配線をまとめられるようになっている。
「すげーな!‥本体はここに設置で‥ああ、外付けハードを使う時はここに収納か。」
「うん、エアコンの位置から外れるから、夏はここにサーキュレーター入れれば放熱効率上がるかなって思うんだけど。」
設置条件から運転環境までを計算していることに驚きながらも、卓也は楽しそうにパソコンを組むのを手伝い、設定まで手伝った。
「何かあったらこのメッセかな。俺はほぼログインしてるから、何かあれば相談してくれ。」
「ありがと。たぶんファイアウォールについて、そのうち相談する。今は市販のでいいけど。」
共に作業しているのにも関わらず、常に一定の距離を保っているのが面白い。まるで磁石のN極同士のようだな、と篁は笑った。
その後、読書とパソコンに熱中する様子に少しばかり危機感を覚え、篁は鷹也を居間に呼び出した。
「明日から里山巡りを一緒にやるぞ。」
水澤家、及び一族共同所有の山が、この周辺には数多くある。祠や沢、山神、妖や澱の様子などを定期的に見て回る習慣があるのだ。
週に一度は道場に行き、毎日妖たちと稽古はしているが、外で友達と遊ぶこともないため、筋力と体力に不安がある。このため篁は、里山巡りをすることで運動量を増やそうと考えたのだ。
「へえ!面白そう!」
鷹也は早速食いつき、翌日の早朝から篁と共に山へと向かう。さほど高い山ではないが、道なき道を進むこともあり、篁のペースに追いつくのは至難の業だ。それでも必死に食らいつき、沢の状態や祠、滝や岩などの状態も確認する。
「‥静かでいいね。毎日来てるの?」
「まあ最近は仕事で身体を動かすこともなくなって来たんでな。散歩がてら来ているよ。」
途中で休憩を取っている間に、のんびりと話をする。
小鳥たちのさえずりと、木々が風に揺らされてざわめく音が響き渡る。そして渓流のせせらぎが耳に心地よい。
「俺もこれから一緒に行っていい?」
地面に寝そべり、目を閉じながら鷹也はそう言った。
「ああ、誘おうと思っていたんだ。‥山は楽しいか?」
「‥うん。何か落ち着く。」
家の離れもお気に入りの場所であるらしいが、それ以上に穏やかな表情をしている。
「‥あの離れにいても‥その、エネルギー波みたいなものは感じるのか?」
気になっていたことを篁は聞く。
「うーん‥何ていうのかな‥もっと前はさ、いろんな波が押し寄せてきて‥訳分からない感じ。最近は知ってる人の波が判別出来るんだけど。以前より重くなった。」
鷹也は目を閉じたまま呟く。
「それが静かになることがないってことか?」
「‥うん。けどここは比較的静か。‥何で?何か気になる?」
目を開けてこちらを見やる。
「お前、あまり感情を表に出さないだろう?‥もしかして、そのエネルギーとやらの処理に追われて、感情を出す暇がないのか?と考えていた。」
以前から気になっていた、表情の乏しさと感情の薄さ。
「‥へ?‥あ~‥言われてみたらそうかもしれない。疲れるから余計なことはしないのかもな~」
その言葉に篁は固まった。確かに怒りも悲しみも、或いは喜びすらも、精神的な疲労を生じることはある。しかし、それを“余計なこと”と言い捨てることに恐怖すら感じた。
「あれ?俺、何かおかしなこと、言った?」
鷹也は起き上がって不思議そうにこちらを見てくる。
「‥いや。すまんな、お前が俺の感覚が分からないように、俺もお前の感覚は分からん。だからズレを感じてしまう。だがお前は辛いと感じることはないのか?」
ザザッと風が吹抜け、一瞬小鳥のさえずりが収まる。
「どうにかなるものでもないしね。俺が慣れればいいだけだろ?」
鷹也はそう言ってにやっと笑った。その表情に妙な頼もしさを覚え、篁も相好を崩す。
(決めた、次期当主はこいつだ。まだまだ先だが、俺はこいつに‥鷹也に引き継ぐ。)
蒼介の弟、蒼太を呼び寄せようとも考えた。しかし、このとき篁はまだ幼い孫に引き継ごうと決心したのである。
「よし、休憩は十分取ったな?」
「うん!」
再び二人は道なき道を歩き始めた。
晴天雨天に関わらず、二人は早朝から昼過ぎまで里山巡りを日課にした。最初こそ休憩を頻繁に入れていたが、徐々に歩ける距離が伸び、ペースも速くなった。のんびり歩いてた篁が、少しずつペースを上げても十分について来られるほどだ。
昼食時には渓流で釣りをし、釣ったヤマメやイワナを焼いて食べる。環が準備してくれた握り飯に焼き魚があると絶品だった。
「やること多すぎて一日があっという間なんだけど。」
鷹也はそう言って笑う。山歩きと読書とパソコン、そして道場通いと毎日の稽古。偶に篁と手合わせをすることもあった。
「鷹也!プール行くか?」
休みの日に、蒼介がプールに連れて行ってくれることも多い。学生時代は水泳部の部長を務めていた蒼介は、優秀なコーチでもあった。
「水の中は好きなんだけどさ、やっぱプールの水って臭いよね?」
鷹也の言葉に蒼介も笑って頷く。
「塩素の匂いな?まあ俺も嫌いだけど、泳ぐのは楽しいだろ?」
「うん!」
25mはあっという間にクリアし、50m、100mと着実に泳ぐ距離を伸ばしている。クロールに平泳ぎ、背泳ぎとバタフライも完璧だ。
「フォームもきれいだし、余計な力が入ってないな!」
蒼介もそう言って絶賛する。
「父さんほど速くないけどな?」
「あのな!そんなチビが俺と同じ速さで泳いだらホラーだろ!」
父子はそんな冗談を交わし、道場の手合わせとプールで過ごすことが増えた。
「じっちゃん、頼みがあるんだけど。」
鷹也が珍しく自分からそう声をかけて来たので、篁は少しばかり嬉しくなった。しかし、この孫のことだ。何を言い出すかと少しばかり身構える。
「じっちゃん名義で、株とFXの口座を作って欲しい。俺は年齢的にアウトなんだよね。取引名義人はじっちゃんで、実際の操作もじっちゃんにやって欲しいんだ。」
篁はさすがに開いた口が塞がらなかった。
「…正直、俺は今、どういう反応をすべきか悩んだんだが?株とかFXってのは、博打と似たようなものじゃないのか?」
「いや?まあ、そういうやり方をするのもいるみたいだけどね。最初からそんな大金勝負する気はないし、数千円程度の利益でいいんだよ。どういうものか、興味があるんだ。‥一応法律関係と税務関係は一通り覚えたつもりだから。じっちゃんに迷惑はかけないようにする。」
篁はとうとう笑いながらため息をついた。
「まあいいだろう。近々用意しよう。ただ、取引の上限も含め、俺が線を引くぞ?」
「うん。そうしてもらえると俺も安心だし。」
篁はまた別の知り合いに頼み、株やFXについて学ぶ機会を得た。孫と二人で勉強するのもまた楽しかったが、孫の理解力の高さと深さには改めて驚かされたものだ。以前篁が起こした会社を分家に譲渡したことから税理士にも伝手があり、確定申告についても再確認した。
それから、パソコンの前に二人で座り、鷹也の指示で篁が注文を出す。数か月で篁の口座は着実に増えていった。もちろん数百円から数千円単位であるし、特に問題はないのだが、仕組みを理解して確実に利益を上げているのが末恐ろしい。
「‥あいつ何歳だっけか‥?」
会話をするたび、何かをするたびに、つい鷹也の年齢を忘れてしまうのだった。




