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掌の眼  作者: 瑠璃雀
別章 水澤家の歩み ー鷹也はいかにして災害ネコになったのかー
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幼馴染

 篁の家の斜向かいに月影家の本家がある。当主の賢一と篁は仲が良く、将棋仲間でもあり、釣り仲間でもあった。

 鷹也の離れは母屋とは離れているために、賢一と鷹也は殆ど面識がないままだ。篁も鷹也の質をどこまで話したら良いかを考えあぐねており、言わないままであった。


「‥今日は相談があってな。」

 ある夏の日、賢一は幼い女の子を連れて屋敷にやってきた。身体は細く、つややかな黒髪が背中にまで達する。白い服を着ているため、夜に見たら悲鳴をあげてしまいそうだった。

「相談?」

 環が茶を入れてくれ、女の子にジュースを置く。

「ありがとう‥ございます。」

 年齢を聞くと、どうやら4歳らしく、鷹也の一つ下になる。あまりに華奢で、心配になるほどだ。


 この女の子は、「さくら」と言い、孫だという。息子夫婦の家は車で30分ほどの距離にあり、両親と双子の兄、そしてさくらの5人家族だ。

 最近、父と兄二人が近づくと、さくらが体調を崩して寝込んでしまうらしい。医療系従事者が多く、父の弟が病院を経営しているため、何度か検査をしてもらったが原因が分からないという。

「‥それは、家族以外でも起きることなのか?」

 篁の質問に賢一は腕組みをして頭を捻った。

「どうも、異性に対して時折そうなることがあるようでな。‥私に対しては大丈夫らしい。」

 元々食べることが好きな子だが、体調を崩すようになって食欲も落ち、寝込むことも多いことから賢一の家で預かることになったのだそうだ。


「‥ふむ。月丘には聞いてみたか?」

 賢一はゆっくりとかぶりを振った。

「あまり広めたくもないことだしな。‥まだ他の一族には誰にも言っておらんよ。」

 篁は頷き、茶を一口飲んだ。

「‥月丘の銀弥って爺様を覚えているか?」

 賢一は頷いた。確か今の当主の二代前がそうだったはずだ。

「月系譜の女性にはな、少し特殊な体質を持つ者が稀におるそうだ。‥そういった研究をしていると聞いたぞ。」

 篁の言葉に賢一は目を見開いた。

「いやでも‥そうか‥ありがとう。聞いてみるとしよう。」


「おじいちゃん?‥おみず‥ええと‥おいけ?‥みてみたい‥」

 さくらは庭のほうを見やり、賢一に尋ねた。

「ああ、いいとも。」

 立ち上がろうとする賢一を制し、環がにっこりと微笑んだ。

「私が行きましょう。‥まだ主人と話もしたいでしょう?」

 賢一はありがたくその申し出を受け、環はさくらを連れて玄関へと向かった。靴を履いて庭をゆっくりと散策しながら池の近くに行く。


「わー!おいけ!きれい!!」

 さくらは湧水池の傍に行き、しゃがんで水面を見つめる。

「‥誰?」

 湧水池の向こう側に鷹也が立っており、こちらを見ていた。

「あ、あの、わたし、つきかげ、さくら、です。おいけみたくて!」

「‥そうか。落ちないようにね。」

 鷹也はそう言って背を向け、自室の離れに戻ろうとする。

「あの!‥おなまえ、きいてもいい?」

 その言葉に振り返り、微かに笑みを浮かべる。

「水澤鷹也」

 それだけ言うと、再び背を向けて離れに戻って行った。

「‥たかや、さん。」

 さくらはその場に立ち、しばらく鷹也が消えた離れを見つめていた。

「あの子は私たちの孫なのよ。ここで暮らしているの。」

「まご‥わたしとお爺ちゃん、それとおなじ?」

 環は頷いて微笑みかける。賢そうな子だなと感じたのだ。


さくらが母屋に戻ると、賢一は腰を上げた。

「ありがとう、篁。まずは月丘に聞いてみたいと思う。何か分かったらまた来るよ。」

 そう言って賢一はさくらを連れて帰って行った。

「そういえば賢一さんには、鷹也のことを話してなかったのでしたね?」

 環に言われ、篁は頷いた。

「そのうち、とは思っていたのだが。‥俺もあいつのことをどこまで話したものかとな。」

 篁はそう言って頭をかいた。

「そうですね‥あの子がずっとあの状態なのか、年齢が上がって普通の生活が出来るのか‥もし普通の生活が出来るようになるのなら、わざわざ話す必要もありませんものね。」

 この先どうなるのか、それは篁にも環にも分からないことだった。少なくとも、父の巽は40過ぎまで苦労したと聞いている。

「‥鷹也が中学生くらいになったら、考えるとするか。」

 一般的に開眼するのは中学の1,2年生が大半だ。それまではごく一部にだけ伝えても良いかと、篁も考えた。賢一なら口も固いし信用は出来る。何より孫娘のことを最初に相談してくれたのだ。



 その頃、月影家では、さっそく賢一が月丘家に電話をしていた。現在の当主は銀次といい、50代の穏やかな男である。孫娘の現状と、篁から聞いた話を伝えると銀次は吐息を漏らした。

「‥曾祖父は記録を残してくれていましてね。確かにそういうケースはあるようです。内容を一部抜粋してメールでお送りしましょうか?」

 丁寧な物言いに、賢一は深い謝辞を述べた。一族特有の体質は聞いたことがあったが、系譜によってもそのような体質があるというのは初めて知ったことだったのだ。

「篁に感謝せねばな‥」

 さっそく送られたメールを見て、内容に目を通す。


【異性に対しての拒否反応】

 家族や親族、好悪に関係なく起きる。

 倦怠感・悪寒・片頭痛・食欲不振・嘔吐・意識障害 等 症状に個人差有

 常に体調不良になるとは限らず、波があるようだ

 幼児から老年まで発症年齢は様々であり、治癒したという前例はない


 要約すると、上記のような内容であった。賢一は何度も何度も読み返し、そして打ちひしがれた。

「治癒したという前例がない」

 この言葉が重くのしかかる。一生、結婚も出来ないのではないかという不安と、この先、学校に通うようになったらどうなってしまうのかという懸念もあった。

 さくらはこの家に来てから、食欲も出たようで食事もしっかり取ってくれている。にこやかな笑顔を見ていると少しだけ安心できた。


「お祖父ちゃん、あのね、たかやさんと、おはなし、したいの。」

 食事後にさくらはそう言って笑顔を浮かべた。

「‥たかや、さん?その子は、誰だい?」

 さくらは不思議そうに、可愛く首を傾げる。

「みずさわ、たかや、って。今日いった、おやしきで、あったの。」

 賢一は疑問に思ったが「そうか」とだけ言ってさくらの頭を撫でた。嬉しそうに笑う孫娘は、本当に可愛い娘だと思う。この娘が置かれた状況を考えると胸は痛んだが、それでもこの子はこうして笑ってくれるのだ。そして明日、再び篁の家に訪れようと考えた。


 翌日、再び賢一はさくらを連れて篁の家を訪れた。

「‥どうした、浮かない顔だが。」

 一晩で別人のように憔悴した賢一を見て、篁は心配そうに声をかける。

「それは後で話すが、ここに“たかや”という子はいるのか?」

 一瞬言葉は詰まったが、篁は頷いた。

「‥孫だよ。少しばかり訳ありでな。‥実はそのことも話そうと思っていた。今は5歳だ。」

 賢一は頷き、さくらが話したがっていると伝えた。篁は驚いたが、環に声をかけ鷹也を連れてくるよう伝える。


 しばらくして、さくらと年齢の近そうな男の子が部屋に入って来た。

「鷹也、この人は月影家の賢一さんだ。俺の友人でもある。」

 確かに顔立ちも身体つきも、さくらと大差はない。しかし、表情とその佇む姿がとても5歳とは思えなかった。

「水澤鷹也です。」

 そう言って軽く頭を下げ、促されて篁の隣に座る。

「たかやさん。つきかげ、さくらです。」

 さくらはそう言ってにっこり微笑んだ。

「鷹也、さくらちゃんはな、お前とお話ししたいんだそうだ。‥大丈夫か?」

「‥話すくらいなら。」

 表情があまりなく、どこか冷たそうな印象だ。この年齢の男児にしては落ち着きすぎており、賢一は呆然と鷹也を見やる。


「‥池、見るか?」

「おいけ、みたい!」

 鷹也は立ち上がり、篁を見やり、その後、賢一を見やった。

「落ちないように気は配る。」

 不思議とその言葉と立ち振る舞いに強い安心感を覚える。賢一は頷き、篁も頷いた。それを見届けた後、さくらに視線を送って歩き出す。

「いっても、いい?」

「ああ、行っておいで。落ちないように気を付けるんだよ?」

 さくらはにっこり笑ってパタパタと鷹也の後を追った。環がお茶と茶菓子を出してくれたので、まずは喉を潤した。


「あの子は‥?本当に5歳かね?‥いや、普通なら子供同士で池になんて行かせないのだが。風格というのか、あの落ち着きっぷりは一体何なんだ。」

 篁と環は顔を見合わせて笑った。

「まあ、それはちゃんと話す。それより、俺に話がしたくて来たんじゃないのか?」

 篁の言葉に賢一は目的を思い出し、プリントアウトしたメールを篁に差し出した。



「お池には、おさかな、いない?」

 さくらは池の側に座って水面を見つめる。

「そうだね、ここに魚はいないよ。」

 近すぎず、離れすぎない距離に鷹也は座り、さくらが落ちることのないよう注意を払う。さくらは飽きることなく湧水池を眺め、落ちた葉がゆらめいているのをじっと見つめた。

(この子は妖が見えないのか。)

 周囲には妖たちがおり、さくらの周りにも数体いる。しかしさくらが気づくことはなく、鷹也に向かって話しかけてくる。

『この娘の波、なんかいいな!』 

『タカヤ、つらくないでしょ?』

 言われてみると確かにそうだった。七海や流水と過ごすときより、刺激が少ないように感じる。

「‥そうだな。言われてみるとそうだね。」

 妖たちに話しかけたのだが、さくらが振り返った。

「え?」

「ああ、ごめん。何でもないよ、ただの独り言だ。」

 鷹也は微かに笑みを浮かべてそう言った。さくらも気にすることなく、再び水面に見入る。鷹也は傍らにいる妖を撫で、同じように水面を見つめた。



「これはまた‥何とも難儀なことだな‥」

 メールを読み、賢一の話を聞いた篁は友人の苦悩を思いやった。

「あの子は無邪気に笑ってくれる。だがなあ‥だから辛い。前例がないからといって、絶対に治らんとも限らないが。‥将来を考えると不安で仕方ない。まあ、お前さんにこんなことを言っても‥仕方ないのだがな。」

 賢一はそう言って肩を落とした。話すことで気が楽になるかと期待もしたが、そんなことはなかった。

「‥まあ、俺の話は以上だ。訳ありと言ったが‥あの子はどうなんだ?」

 これ以上考え込んでいても仕方がないと思い、賢一は篁に話を振る。篁と環は顔を見合わせ、頷き合った。

「‥かなり厄介な質を抱えていてな。」

 篁は自分の父のこと、鷹也が生まれた後のこと、そして妹たちが生まれ、ここでの生活を余儀なくされていることを全て話した。

「‥何と言ったらいいのか‥壮絶すぎる‥あんな幼子が?‥だからあれほどまでに達観しているのか?」

 話を聞いた賢一は、静かに落涙した。これまでに篁が体験したことを考えると、自分の悩みが酷くちっぽけなものに思える。

「‥あいつはそんなこと、気にしても仕方ないと思っているようでな。」

 篁はそう言って茶を飲んだ。

「全く‥あの子の状況に比べたら‥俺の悩みなど‥」

「バカを言え!悩みに大も小もあるか!」

 そう一喝され、賢一はハッとして篁を見やる。

「‥孫に悩む者同士、たまには愚痴の一つでも零しながら見守ろう。」

 篁の言葉に賢一はバツが悪そうに笑い、そして頷いた。



「お祖父ちゃん!」

 さくらがぱたぱた走っている後ろを、鷹也が歩いてくる。

「きゃ!」

 石に躓いて転びそうになったとき、鷹也が素早く近づいて服を掴む。

「‥走るとあぶない。」

 さくらは体勢を整え、笑顔で鷹也に礼を言った。

「さくらが魚を見たいらしい。‥外の川までだ。行ってもいいか?」

 篁と賢一は顔を見合わせ、笑顔で頷いた。

「ああ、行っておいで。」

 賢一が笑いながら頷くと、さくらも嬉しそうに笑った。鷹也はさくらを見やり、そのまますたすたと歩き出す。たまに振り返っているのは、ついてきているのかを確認しているのだろうか。


「‥しかし本当に落ち着いているな。さっきも転びそうになったのを咄嗟に防いでくれた。」

 賢一が小声で話しかけると篁も頷く。

「‥まあ色々と厄介な枷がついているせいなのか、恐ろしく知能が高いんだ。2歳頃からあんな話し方だからな。」

 互いの孫に、それぞれ厄介な質があるもの同士、通じるものが確かにあった。



 鷹也について歩いて行くと、屋敷の外に川が流れていくのが見えた。それを辿っていくと、少し大きな川に合流していて、木の橋がかかっている。

「‥わあ。ちがう川といっしょになるんだ。橋があるー!」

 さくらは少し速足になって橋の上から川をのぞき込んだ。

「おさかな!」

 鷹也はさくらの服を少しだけつまんで引っ張る。

「‥落ちるぞ。魚みたければこっちだ。」

 橋を渡りきった先は砂利になっており、川が間近で見られるようになっていた。さくらが楽しそうに声をあげて川に見入る。

「おさかな‥きれい」

 泳ぐたびに銀色の腹がきらりと光る。木漏れ日が川に落ち、その光が反射するのだ。さくらはしばらく川べりに座って魚を見続けていた。


 さくらは上機嫌のまま賢一の元へ戻り、鷹也は軽く挨拶をして自室へと戻った。

「楽しかったのかい?さくら?」

「うん。たかやさん、なんかあったかい感じがする。」

 こんなことを言うのは珍しいなと思いながら、賢一はにこやかにさくらを撫でたのだった。

「鷹也くんと一緒にいても、頭が痛くなったりはしないのかい?」

 さくらは嬉しそうに、こくんと頷いた。

「‥そうか。それは良かった。」

 篁も頷き、同年代に話せる相手がいることを、賢一は素直に喜んだ。

(まあ、あれほど落ち着き払っている同年代はいないだろうけどな。)



 それから度々さくらは鷹也と話すようになり、鷹也もそれに付き合った。会話のレベルが違いすぎるのだが、鷹也が上手く合わせているように思える。

「珍しいなあ。‥あのさくらちゃんは、話してて疲れたりしないのか?」

 篁が気になって尋ねると、鷹也は少し考え込んだ。

「うーん‥何ていうか。‥ノイズになりにくい、気がする。妖とか影とは違うけど、波が安定してるというか‥俺にあまり干渉してこない感じ、かな。」

 どうもうまくは説明出来ない感覚だが、ただストレスにはなりにくいということらしい。不思議なこともあるものだなと篁は思った。



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