離れでの暮らしと支えるものたち
鷹也が目を覚ました日の夜、篁と環は蒼介の家に赴いた。蒼介も仕事が忙しくなっており、雅も七海の世話に追われてはいたが、二人とも鷹也のことが気がかりで仕方なかったようだ。
「今日の午後になって、ようやく目を覚ましたわ。」
環がそう口火を切ると二人は安堵のため息を漏らす。そんな矢先に七海の泣き声が響き、雅は慌てて居間に隣接している和室へ走った。
雅が戻ると、環は鷹也が起きてからのやりとりを丁寧に説明した。それを聞き、蒼介と雅は俯いてしまう。
「私が悪いんです。蒼介さんが試しに避難させてみようと提案してくれたのに。‥私は、鷹ちゃんを離したくなかった。きっと寂しいからだって、そう自分に言い聞かせてたんです。」
七海をぎゅっと抱き締め、雅は泣きじゃくる。その肩を抱き寄せる蒼介も涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
「気持ちは分かるわ。‥母親だもの。」
環がそう言って雅の背中をやさしく撫でる。
「あー」
七海が雅の顔をぺたぺたと撫でて声をあげる。
「お義母さん、ありがとう‥ございます‥ナナちゃんも慰めてくれるの?」
「俺だってさ、式に聞かないといけないってこと、完全に忘れてたし。」
「でもあなたは式の存在自体を知らないじゃない‥私が覚えてなきゃいけなかったのに。」
雅と蒼介が言い合う様子を、篁と環は穏やかに見守っていた。
蒼介が妻を宥め、しばらくして雅が落ち着いたところで、篁がスッと立ち上がった。
「鷹也は、あの離れで独りにさせる。‥親父とも話したし、もちろん鷹也とも話した。あいつにとっては、あの場所が何より落ち着くと。無論、鷹也は君たち二人の子で変わりはない。ただ、住む環境だけを変えたい。」
篁がそう言うと、蒼介も雅も反対は出来なかった。七海が家に来てから、明らかに鷹也は日に日に弱っていったのだから。食事の量も減り、具合が悪そうな様子も度々見られた。
「私たちが会いに行ってもいいのですよね?」
雅の問いに篁も環も「もちろん」と頷いた。七海と鷹也はしばらく会わせられないだろうが、自分たちが行く分には問題ないだろう。
話がまとまり、蒼介と雅は鷹也の私物を全て車に積んだ。
「‥おい、何だ、この本は?」
分厚いどう見ても専門書を見て篁が思わず声を上げる。
「‥あの子が古本屋で読みたいと買った本です。対象年齢に合うおもちゃや絵本は‥全然興味がないらしくて‥」
本の中には外国語のものも混じっているため、篁と環が驚いて顔を見合わせた。
「これ、どこまで理解しているんだ?」
蒼介と雅は顔を見合わせた。
「‥鷹ちゃんは分かる所まで分かる、そう言ってました。」
「何かもう当たり前になっていて‥。でも‥考えてみたらおかしいな?」
雅と蒼介がそんな言葉を交わして首を傾げる。それがどのような影響を及ぼすのかは分からなかったが、少なくとも自身の体調や状態をきちんと伝えられる能力があるのは確かだ。
(恐ろしく賢いのか?‥しかし、だから自分の状況を理解し、自分で出来る限りの対策を取っていたのかもしれん。普通の4歳ならば、ただただ泣き喚き、騒ぐだけだろうしな。‥良いことなのか悪いことなのか‥)
篁は内心でそう呟き、本を車へと積んでゆく。読書とパソコンに没頭すると、時間を忘れて集中してしまうらしい。
鷹也4歳。この頃から篁の屋敷にある離れで独り暮らしをするようになった。無論食事は環が作り、篁と環と共に食べ、洗濯も環がしている。この離れには風呂もトイレもあり、掃除は自分がやると言って自ら風呂を沸かし、のんびり湯に浸かっているようだ。
篁たちとの居住空間も広い庭と湧水池を挟んでおり、直接様子を窺うことが出来ない。このため鷹也に何かあれば、式が篁に直接伝えるようにもなっている。
『うわわ!何だこの波!!お前が原因か!?』
鷹也が縁側で本を読んでいると、ひょっこりと妖が現れた。普段よく見る妖ではなく、通りすがりであるようだ。
「波?‥ごめん、俺には分からないや。」
『あれ?止まった。おまえ、もう一度その本よんでみろよ。』
再び本に目を落とし、没頭し始めると妖は鷹也の横に座って首を左右に振り始める。
「あ、悪い。読み始めたら君の存在、忘れた。」
『あははは!気にすんなー!お前が本読んでるときの波、なんかすごく気持ちがいいな!ここはむかし、タツミがいたんだよ。』
「‥ああ。俺のひいじいちゃんだな。今度、俺がここに住むことになったんだ。」
『おまえひとりかー?まだ幼子だろ?ずっとここにいるのかー?』
「しばらくはね。大きくなったら分からない。」
『そっかー!おまえからでてる波もなんかいーなー。ニンゲンの波は嫌なのもあるけど。タカムラもタマキも、おまえもイイ。おまえ、なんてよべばいい?』
「鷹也だよ。」
『タカヤかー!わかった!たまにくるからなー!』
「うん、またな。」
そんな出会いもあり、この離れに来る妖は日に日に増えていった。
『タカヤ元気になったー?』
『よかったなー』
ここで気を失っていたときに傍にいてくれた妖たちが、鷹也の周りに集まって来る。
「ありがとね。君らのおかげでかなり楽になった。」
鷹也が生まれて間もない頃、彼らは何かと興味を持って話しかけてくれていた。当然、会話は出来なかったが、彼らの温かな波が自分に向いていたことは分かっている。
「ここに住むことになったからさ。よろしく。」
『わーい!』
『おまえの波、すごい好きー!』
『一緒にいるー』
彼らは鷹也の肩の上や頭の上にまで乗って来る。重さは感じないが、温かな波動が沁み込んでくるようで心地よかった。
『‥君は、ここに住むことになったのかい?』
以前、話したことのある影だ。
「うん。妹が産まれてね、その泣き声が頭につきささるんだよ‥最初はさ、二階に避難していたら大丈夫だったのに、少しずつダメになった。」
鷹也はそう言ってため息をついた。
『そうか‥それをご両親には説明しなかったのかい?』
影はそっと鷹也の隣に腰掛ける。
「‥慣れないといけないかなって。父さんも母さんも、喜んでたしね。」
『あはは。でも君が倒れるまで我慢したら、却って心配かけるだろうに。』
その言葉に鷹也は困ったように苦笑いを浮かべる。
「あー‥そうなんだけど。もう何も考えられなくなってさ。」
『そこまでよく頑張ったね。大丈夫だよ、ここなら君は我慢することもないんだろう?』
鷹也は微かに笑って頷いた。
「いつも、ありがとね。妖もそうだけど、ここにいる影もみんな穏やかだな。」
『それは篁さんの影響だよ。あの人の波もまた、強くて穏やかだ。我らとも話してくれるしね。』
こうして妖や影ともよく話をした。長い年月を生きてきたらしい妖と、一生を終えた人の思念の残滓である影、これらが鷹也の話し相手である。様々な話を聞いたり、鷹也が影に質問したりとそんなやりとりの繰り返しが、確実に人格形成へと影響を与えていた。
「ばっちゃんのご飯おいしい」
肉や魚、野菜をもりもり食べるようになり、表情もすこし和らいだように思う。
「‥そう、それなら良かった。たくさん食べなさい。」
言われるがまま食べ、大好きな牛乳も飲む。細くて華奢だった身体も健康的な体型へと変化している。篁と環はその様子を温かく見守り、大切に育てた。
道場への送り迎えは、環の仕事となった。鷹也は楽しそうに道場へ通い、めきめきと上達しているようだ。帰宅してからは妖たち相手に体捌きの練習をする。妖たちとは触れ合うことが出来るため、一度に複数体の妖を相手にすることもしばしばだ。
『やったーさわったー!』
「ずりー!いまのは反則だろ!」
『でもさわったー!タカヤのまけー!!』
「くそー!」
人とは違う動きであるため、躱すのは至難の業だ。それでも遊びながら練習を繰り返し、妖たちと一緒になって笑う。
同年代の子どもたちとは関わりを持てなかったが、遊び相手と話し相手には事欠かずに生活出来るようになったのだった。




