起死回生
あくる日、蒼介は仕事を休んで鷹也の様子を見に行った。朝も早いというのに、鷹也は起きていて、ベッドに座ってぼうっとしているように見える。
「鷹也?‥ここにいるのは辛いのか?」
ぼんやりしたままこちらを向くが、その瞳には力がない。精魂尽き果てた、そんな様子に蒼介は息をのむ。そして再び七海の泣き声が聞こえた。鷹也は一瞬、顔をゆがめ、そのままどさりと倒れこむ。
「鷹也!?」
抱き上げようとして思い留まり、部屋を飛び出した。その間に父や祖父と会話したことを必死に思い出す。病院に連れて行くという選択肢が出てこなかったのは、鷹也の苦手な場所だと刷り込まれていたからかもしれない。
(どうしよう!どうしたら!?・・あ!ええと?式?だったっけか!?ミヤちゃんなら聞けるのか!?)
雅が七海を抱き上げようとしたのを制し、自ら七海を抱き上げてあやしはじめる。
「鷹也が倒れた。とにかく!式?だっけ?にきいてくれ!?どんな状態なのかを!今すぐ!!」
蒼介の剣幕に雅は驚き、慌てて鷹也の部屋に走る。雅も、その時になってようやく「式に聞け」という義祖父の言葉を思い出したのだ。
「コンちゃん!出てきて!」
まずは自分の式を呼び出し、鷹也の様子を尋ねる。
『あーまずい。いますぐここからひなん!ここにいたらダメかもー。赤子のなきごえがげんいん。』
狐の式がすんすんとにおいを嗅ぐような仕草をした後にそう言った。雅は慌てて篁に電話をする。
すぐに車で篁が駆けつけ、環と二人でタオルケットに包んで家から連れ出す。巽からとにかく一刻も早く離れに避難させろと言われたためだ。
真新しい畳の上に真新しい布団が敷かれた。その上に寝かせようとしたとき、タオルケットに血がついていることに気づいた。
「え?」
篁が慌てて見てみると、鼻血が流れている。環と交代し、慌てて巽に連絡を取った。
(‥たぶん、完全に処理が追い付かなくなっただけだ。とにかく寝かせろ。くれぐれも触るな!)
鷹也は布団の上に寝かされた。顔色は真っ白で、額には大量の汗が噴き出ており呼吸も浅く早い。傍で様子を見ていたかったが、良いから離れろと父に言われて離れから出て行った。
「‥あんな幼い子供をあんな状態のまま、一人で置いておいていいものか?」
「そうですね‥心配です。ああ、式に様子を見に行かせましょうか?」
父の言うとおりにした方が良いのか、現時点ではそれも分からない。式ならば負担をかけることなく、正確に状態を把握するはずだと言われたことを思い出し、環が自分の式を呼び出した。
『リリイ、離れにいる鷹也の様子を教えてもらえるかしら?』
白烏の式がばさりと羽ばたいて離れへと向かった。
『うわ、このままじゃまずいー』
『だめだね?』
『湧水に運ぼう!』
妖たちが鷹也を抱え上げ、湧水池にそろそろと浸からせる。さほど深い池ではないが、寝かせられるほど浅くはない。妖たちは沈まないように支えながら、鷹也の傍に集まっていた。
『この水あればだいじょうぶかな?』
『さっきよりいい』
『大きくなったなー』
妖たちはそんな言葉を交わし、まだ止まる気配のない鼻血を心配そうに眺めるのだった。
環の式はその様子をつぶさに観察し、湧水池に浸かってから容体が落ち着いたことを確認した。
『‥妖たちが湧水池に運んだ。あのままじゃダメだと。池に入ってから、少しだけましになった。でも、いまはあまりよくない。でも、ここにしばらくいたらおちつく。しんぱいしなくていい。』
その報告に環と篁は顔を見合わせた。
「いやしかし‥湧水池?」
その時、篁の式である龍が顕現した。
「タツ?‥湧水に浸かると回復しやすいなんてことはあるのか?」
思わず問いかけると、タツは頷いた。
『‥あの子はそういう質のようだ。心配なら我が付き添うが?‥あの子にかかっている負担を、あの子の式が一部受けておるようだが、それも限界にちかい。』
「助けたい!何とか出来るものなら力を貸してやってはもらえんか?」
想像以上に悪い状態であったことに、篁は戦慄した。こんなことなら赤子が生まれた瞬間に引き取るべきだったと、今更ながらに後悔する。
浄化や祓い、神楽とは無関係に式を顕現させ続けるためには、それなりの消耗がある。あくまで神から賜ったものであり、力を借りている立場だからだ。
そして式の力が強いほどにその消耗も大きい。総代である篁の式も強力な力を持つ。数時間もすると倦怠感と眩暈に襲われるほどだ。
「鷹也があれほど消耗しているというのに、この程度で弱音は吐けんな。」
篁はそう呟いて笑った。とにかく回復してさえくれれば、それでいい。
環から近況報告を聞き、雅はずっと泣き続けていた。
「ごめんなさい、蒼介さん。ごめんなさい、鷹ちゃん。私、なぜもっと早くコンちゃんに聞かなかったのかしら。‥きっと鷹ちゃん、寂しいんじゃないかって。私が勝手にそう思い込んだせいで‥どうしよう‥あの子に何かあったら‥」
蒼介は子供のように泣きじゃくる雅を宥め、静かに声をかける。
「俺も式に聞くっていうのを、すっかり忘れてた。‥とにかくミヤちゃん、少し休んで。あとは俺が七海の様子を見ておくから。君も疲れ切っているだろ?」
雅はしばらく泣いていたが、そのまま泣きつかれて眠ってしまった。蒼介は雅をベッドに寝かせ、再び泣き出した七海のミルクを作って飲ませてやる。
「‥頼むから元気になってくれよ‥」
今はただ、息子の無事を祈ることしか出来ない。
翌日になって、ようやく妖たちが湧水池から鷹也を引き上げた。タツからの連絡を受け、タオルケットを持った篁が受け取りサッと身体を拭く。
「鼻血も止まったようだな‥」
湧水池の温度は夏でも10℃前後と低いのに、身体は冷えていない。とはいえ、血の気が全くない様子に、篁も環も心配そうだ。
「病院に連れていかなくて良いのか?‥このままでは‥」
『大丈夫だ。布に包み、布団に寝かせておけばいい。妖たちがついている』
『ボクらタカヤといっしょー』
『くっついてるー』
『もうへいきー』
式の言葉に続き、妖たちもそう言ってわらわらと鷹也の傍らに固まった。それを見届けて篁は式を消し、居間の畳に寝転がる。
「大丈夫ですか?貴方」
「‥ここまで顕現させ続けるのは初めてだ‥」
篁は頭痛に顔をしかめ、目を閉じて大きなため息をついた。
「情けないな、あんな幼子が耐えているというのに。俺は1日でこのザマだ。」
環も式を顕現させ続けることの辛さは知っている。これほど長い時間顕現させ続けることがそもそも凄いことなのだ。
「‥少し休んでください。あとは私があの子の様子を見ますから。」
結局その日も、その翌日も、鷹也が目を覚ますことはなかった。篁も環も気が気でなかったが、それでも今は距離を置く。蒼介と雅も七海の世話に追われながら、篁たちに様子を聞いては落ち込んでいた。
『タカヤ!起きて!』
「‥ん?‥ブラン?‥あれ?ここどこ?」
目を覚まして周囲を見回し、何とか起き上がる。しかし立ち上がろうとしてフラリとし、その場に尻もちをついてしまった。
「‥気持ちわり‥」
離れといえど、トイレと風呂までついている。鷹也は這うようにしてトイレに行き、何度も何度も吐いた。寝ていた間も、その前も食事は取ってなかったため、吐くものなどなにもないのだが。
「鷹也!?‥大丈夫なの!?」
環が慌てて駆けつけて声をかけてくれる。ふらついている様子に手を貸したいが、それが出来ないもどかしさが歯がゆくて仕方ない。
「‥うん。気持ちわりいだけ‥あと頭いてえ‥」
再び嘔吐するが、もちろん何も吐けない。青白く頬がこけている様は、まるで病人である。
「病院行きましょう。このままではだめだわ。」
環が慌てて準備をしようとするのを鷹也が止める。
「やめて‥こんな状態で‥あんな所に行ったら‥耐えられない。」
辛そうに言い出す孫の姿に、環はその場に立ち尽くした。
『人が大勢いる場所、強い負の感情が起きやすい病院、このような場所に行くと、完全にオーバーフローを起こす』
巽の言葉を思い出したのだ。
「大丈夫だから。‥ここがいいんだ。」
尚も訴えてくる鷹也に、環はにっこりと微笑んだ。
「分かったわ。ごめんなさいね。‥こういうときは病院って習慣になってしまっているの。でも貴方はここでゆっくりしている方がいいのね?」
穏やかに柔らかく声をかけると、鷹也はこくりと頷いた。
「‥何か食べられたらいいんだけれど。ご飯は食べられる?」
「うん。おなかすいた。」
環がにっこり笑って頷くと、どうやら鷹也も安心したらしい。張り詰めていた表情が緩む。
「あなたはご飯を食べていなかったから、おなかに優しいものにしましょうね。ちょっと待っていて。」
そう言って環は足早にキッチンへ行った。
『可哀想に‥あの子は相当に生き辛い枷をつけられてしまった。大丈夫かしら。』
環はうどんを茹でながら静かに涙を流した。人の温もりが、近すぎる距離が、身体にダメージを与える。義父の言葉を半信半疑で聞いていたが、義父も同じように苦しんでいたのだと、改めてその性質の厄介さに心が痛んだ。
たっぷりの白菜と人参を柔らかくなるまで茹で、鶏むね肉を細かく刻んで肉団子にし、別に茹でたうどんと共に合わせる。小さな土鍋には塩味ベースのスープを作り、ここに具とうどんを入れて少し煮込んだ後卵でとじた。
環が再び鷹也の元に行くと、トイレから出て縁側にちょこんと座っている。妖が数体鷹也の周りに集まっていて、楽しそうに話しているようだった。
『タカヤ!めしくえータマキのめし、うまいぞ!』
こちらに気づいた妖が鷹也にそう声をかける。
「ありがとう、ばっちゃん。」
環は座卓に土鍋を置き、お椀にうどんと具材を取り分けて鷹也に渡した。
「少しずつ、ゆっくり食べるのよ?」
「‥うん。いただきます。」
箸と小さな木レンゲを器用に使い、ふーふーしながら少しずつ食べていく。確か今は4歳のはずだが、箸でうどんをつまんでは口に運べている。
「おいしい、これ。‥この味すき。」
そんな鷹也の言葉に環はつい笑顔になってしまう。
「そう、良かったわ。無理はせずにいっぱい食べるのよ?」
「うん。」
すでにうどんに夢中になっている鷹也を環は優しく見つめる。
『生き辛いかもしれない。でも、この子はきっと大丈夫。』




