大人たちの理解
その夜、鷹也が早々に眠りについた後、大人たちは居間で座卓を囲んでいた。
「‥あの子は俺と同じ体質だな。生体エネルギーの受信感知が異常に高い。」
早々に巽が口火を切る。蒼介と雅は聞きなれない言葉に顔を見合わせ、篁と環は「やっぱり」と呟く。雅と蒼介に対し、巽は穏やかな口調で話を続けた。
「人間はもちろん、動物、昆虫、植物、ありとあらゆる生物は皆、波のようなものを発している。その波を受信するアンテナを持つ者が、一族の中に稀に出るんだ。それを勝手に“生体エネルギー波”と呼んでるだけなのだが。近づけば近づくほど強く受信し、触れれば体調に異変を生じる。
そうだな‥ストーブとの距離が適切であれば心地よいが、近づけば近づくほど暑くなり、触れれば火傷を負う。そんなふうに考えてもらっていい。
本来この受信アンテナは、開眼した後に徐々に発現する。俺は開眼より前、7歳のときから発現した。最初こそ頭痛や悪寒程度だったが、人に触れると嘔吐や発熱、場合によっては気絶するほどだった。」
この話を聞いた雅は戦慄した。
「それじゃ‥一歳半頃から抱っこすると火が付いたように泣き出したのは…?」
巽は気の毒そうに頷いた。
「おそらく体調に影響が出たのだろうな。‥鷹也本人も、妖や影たちから話を聞き、ある程度は分かっていたらしい。だが、それを口にすることは憚られた。あいつなりに気を遣ったようだ。」
雅は堪らなくなって泣き出した。蒼介も呆然としながらも、雅の肩を抱く。
「それともう一つ、人には感情がある。この感情にも波があってな‥それに対しても受信感知してしまうようだ。人が大勢いる場所、強い感情が起きやすい病院、このような場所に行くと、完全にオーバーフローを起こす。受け皿が未発達な状態で大量の水が流れ込むようなものだ。これもまた体調に異変を生じさせる原因となるな。特に怒りや悲しみ、憎悪といった負の感情に対して。」
「そんな!じゃああの子!どうしたらいいんです!?‥まだあんなに小さいのに、こんなのって酷いじゃないですか!?どうして…」
雅も蒼介も涙が止まらない。
「‥しばらくは様子を見て、場合によっては独りにしてやった方が良い。篁、あの家には空いている離れがあるだろう?」
巽が尋ねると篁は頷いた。
「妖や影たちと、既に交流はしているようだ。奴らは総じてエネルギー量が低い上に安定している。鷹也にとってもその方が楽だろう。‥雅さん、蒼介、すまない。親として辛いのは分かる。‥だが俺はあいつの辛さが誰よりも理解出来るんだ。」
その後誰一人口を開かず、雅と蒼介の慟哭だけがその場に響いた。
「‥今日は休みなさい。旅の疲れもあるだろう。志乃。」
巽が促すと、志乃がスッと立ち上がり二人を客間へと誘った。
「篁、早いうちにあいつに古武術‥体術を徹底的に仕込め。間合い、距離の取り方、躱し方、そういったものをなるべく早く身につけさせた方が良い。」
二人を寝室に案内した志乃が、お盆に徳利とお猪口を持ってテーブルに置いた。
「環さんも飲むでしょう?」
志乃がにこりと微笑んでお猪口を差し出すと、環も笑顔で受け取る。嫁姑は仲が良く、同じ薙刀仲間ということもあって女同士会話に花を咲かせる。
その脇で巽と篁は久々に杯を交わした。
「親父‥さすがに二歳では早すぎやしないか?」
篁は半分呆れたように言うが、巽は真剣だ。
「お前、気づかんのか?ありゃ二歳児の知能じゃないぞ?‥おそらくとんでもない勢いで吸収する。どちらにしてもだ、手を繋いで歩けんのなら足腰の鍛錬も少しずつすべきだろう?」
普通なら親が手を引き、転びそうになればその身体を支える。走り回っても親が抱き止める。そんなふうに怪我を回避させるのだが、そのせいで体調に変化が起きるのだと言われれば、本人に気を付けさせるしかない。
「ああ、それと鷹也が開眼しているのは知っているんだな?」
篁は静かに頷いた。
「まさかとは思ったんだがな。神さまがな、“あの子が健やかに育つために必要になるだろう”そうおっしゃられた。」
巽は「なるほど」と頷き、篁を見やる。
「俺も小学生の頃に発現したんだがな。まあ、学校がきつくてなあ。話しかけられたくもねえわ、近寄られるのもごめんだった。‥とにかく一人で過ごすことが多かった。開眼もしてないと、誰とも話さんことが多かったよ。」
巽はそう言ってちびりと酒を飲んだ。
「感知持ち同士だと、なぜか相手がどの程度まで拾ってるのか、ある程度は分かる。‥俺も相当だったが‥あのガキは、俺がゾッとしたほどだ。学校なんぞ無理に行かせるなよ?」
父の言葉に篁はごくりと唾を飲み込み、改めて両親にも伝えて欲しいと告げる。
「明日、様子を見て‥だな。そう色々と話しても一気に理解は出来まい。しっかし、月と水の二系統といい、これほど前例のないことばかりなんてのは、俺も聞いたことがねえ。」
巽がそう言って酒を煽ると、会話に夢中になっていた環と志乃までがこちらを見ている。
「あなた、何を仰って?水と‥月、ですって?」
志乃が巽に詰め寄った。
「そうだ、水と月だ。‥俺だって目を疑ったさ。」
巽がそう言うと、三人が深いため息をつく。
「‥どんな子になるのでしょうね。」
ぼそりと環が言い、志乃もそれに同調して頷いたのだった。
滞在中、毎日のように海に潜り、水の中でそれは楽しそうに過ごしていた鷹也だったが、帰る前日も海で過ごしていた。
「海の中っていいな‥静かだ。」
そう言って鷹也は笑う。
「だろう?‥俺も昔から水の中に逃げ込むことが多かった。あとは山もいいぞ。何せ人がおらんからな。」
巽もそう言って笑った。
「また、来たいな‥父さんや母さんの都合もあるだろうけど‥」
帰る日が近づいているのを悟っているのだろう。少し寂しげな表情に、巽は声をかけようとして思い留まった。
(‥あぶねえ。ここに住むか?なんて‥聞いちまうとこだった。こいつは、こんな狭い所で暮らしちゃいけない。辛くても慣れて、広い世界に飛び込まないとな。)
「おう、いつでも来い。その時は体術がどれだけ上達したか見てやる。‥楽しみにしているぞ。」
海にぷかりと浮き上がりながら、そうして曾孫と曾祖父は笑い合った。
巽から子供の頃の話を聞かされた蒼介と雅は、半信半疑のままに、それでもメモを取り、こまめに質問もした。
「もしこの先、弟や妹が産まれたら、離してやることも考えてやれ。」
この言葉に、蒼介夫妻は顔を見合わせたまま黙り込んでしまった。
「お前のところに離れがあるだろう?敷地の外れにある小さな離れ、俺も昔はあそこによくいたもんだ。おそらくあの場所が一番いいだろうよ。‥準備しておけ。」
巽の言葉に篁も環と顔を見合わせた後に頷いた。環が時折掃除をしているが、改めてきれいにしておく必要があるかもしれない。
「俺には年の離れた姉がいたんだよ。‥だが、俺が生まれた後に亡くなったそうだ。大人になってから親父から聞いた。お袋、いなかっただろう?」
巽に問いかけられ、篁は頷いた。確かに祖父はいたが、祖母はいなかったと記憶している。
「まあ何せ、過干渉というか世話焼きというかな‥。とにかくスキンシップの多いお袋でな。親父が諫めたが直らんかったらしい。‥俺が何度も倒れたんでな、親父はお袋と離縁した。」
静かに巽は言い、吐息を落とす。
「もしや‥その姉さんというのも?‥感知持ち‥?」
篁が尋ねると、巽は無言のまま吐息を落とした。
「‥分からん。それが分かるやつがいなかったからな。ただ親父はそう思っていたようだ。」
そう言った後にハッとして巽は顔を上げ、篁たちと蒼介たちを見やった。
「親父といや‥篁、お前は親父のことを覚えているか?蒼介は覚えてないかもしれんが?」
確か蒼介がまだ小学生くらいのときに亡くなったはずだ。篁は当然覚えている。
「‥ちょっと変わった爺さんというか。本の虫というか。変人というか。」
その言葉に巽は笑い出す。
「はははは!まあそうだ。たぶんあの親父、とてつもなく頭が良かった。‥鷹也も相当だぞ?おそらく。」
これには蒼介と雅も少し嬉しそうだ。
「確かに、専門書とか読んでるし、新聞も読んでるもんな?」
「そうね。たまに鷹ちゃんと同い年の子に会うことはあるけど、赤ちゃんみたいだった‥」
どうにも同い年の子を持つ親たちと話が合わず、頭を捻ることが多かった二人である。
「もしかすると、“感知”によって、とんでもない情報量を受け取ってしまうがために、与えられたものかもしれんな。‥俺も学校なんざ殆ど行ってなかったが、学校の勉強で困ったことはなかった。」
巽はそう言って笑った。蒼介たちにしてみれば、良いのか悪いのか何とも言い難いことであった。
数日間の滞在を終え、5人は帰途についた。鷹也は少し不服そうだったが、口にすることはなく黙って従う。帰りの移動中も大人しく、人が増えるほどに顔色が悪くなり、ぐったりと椅子に身体を預けていることが多かった。それでも抱っこやおんぶは徹底して拒否し、必死に歩くのだった。
帰宅後、数日間は起き上がれなかったが、回復するとすぐに古武術を習い始め、巽の弟子のもと日々体術を学ぶようになった。その道場主は一族の系譜であり、巽から鷹也の体質を聞かされていたために、マンツーマンでの指導であった。
身体に触れる必要がある際は、竹刀を使って撫でたり位置を正したり、といった方法が用いられたため鷹也にとっても負担は少なかったようだ。
毎日楽しそうに道場へ行き、稽古をつけてもらって帰宅する。基本的には雅の運転する車で送迎をすることが多く、道場主の妻と話しが合ったため、雅にとっても良い気分転換になっていた。
ショックを受けていた蒼介と雅も、少しずつ落ち着きを取り戻した。早々におむつからも卒業しており、触れ合うことはほぼなく、それでも会話だけは欠かさなかった。鷹也は読書にのめり込むことが多く、図書館に行っては大量の本を借り、あっという間に読み終えては大量に借りるという、知識を詰め込む作業に没頭していた。
「ね、鷹ちゃん?公園に行って遊びましょう?」
「‥忙しい。」
本を読んでばかりでは良くないと、公園に誘っても鷹也は決して行こうとしなかった。
「きっと、お友達もいるわよ?」
「‥いらない。」
返事はそっけなく、取りつく島もなかった。
「あのね、お外で遊ばないと身体が丈夫にならないのよ?お友達と鬼ごっこしたり‥」
「‥ごめん、母さん。それがきついんだ。人がいるところに行きたくない‥」
雅はハッとして慌てて謝った。
「そっか‥鷹ちゃん、お母さんには分からないことが多いから、無理なときには教えてね?」
「‥うん、ごめんなさい。」
そんなやり取りを繰り返し、親子は少しずつ慣れていったのだった。




