新居での生活と異変
「鷹ちゃーん、ここが新しいお家ですよー!」
雅はそう言って笑いかけるが、鷹也は相変わらず表情が乏しいままだ。声を上げることも少なく、ただ何かをジッと見る癖がある。既に大人とほぼ同じ物を食べ、普通に歩く。発達が早い部分と遅い部分とが混在しているように見えた。
(ここには妖も影もいない。‥お義父様とお義母様の家ともそれほど離れていないし、お互いに行き来もしやすいわ。)
雅は業者に家のクリーニングを依頼した後、自らも徹底して掃除をした。家自体も比較的築浅で、二階建ての4LDKである。LDKには和室が隣接していて、交換したばかりの畳は、い草の良い香りがした。小さいながらに庭もあり、ビニールプールで遊ぶくらいは出来そうだ。
「ご飯は美味しいでしゅかー?」
蒼介が子供用の栄養バランスを考えて作った食事を、鷹也は黙々と食べる。好き嫌いもなく、出されたものをキレイに食べるのを見て、蒼介はいつも笑って喜んでいた。
料理が大の苦手な雅は、その分、洗濯と掃除を徹底しており、家の中は常にピカピカだ。そのためか、鷹也が風邪を引いたり熱を出したりといったことは一度もなかった。
それにしても奇妙なのが、子供用の絵本やおもちゃを買って与えても、少しだけ見た後すぐに放り出してしまう。その代わり、ありとあらゆる本をじっと見ているのだ。その中で特に興味を引いたのが植物図鑑であり、じっと眺めてはページを繰る。
二人は仕方なく年齢不相応とも思える、動物図鑑や昆虫図鑑など様々な図鑑を買っては与えた。子供向けの漫画のような図鑑ではなく、写真と文字がびっしり並んだ中高生向けの図鑑がお気に入りのようだ。
1歳前後で「パパ」「ママ」と呼ぶことが多いと聞いていたが、鷹也はほぼ喋らない。絵本を読み聞かせても興味を持つこと無く、外をじっと見ていることが多かった。
「‥無口、なのかしらね。」
雅が心配そうに頭を撫でても、笑顔になることすらないのだ。
「お喋りは個人差があるって聞くしなあ。‥焦らずに様子を見ようよ。」
産まれた時に見えた白銀の大鷹は、あれから一度も目にすることはなかった。蒼介には見えないはずなので、雅は誰に話すことも出来ないまま「幻だったのかもしれない」と思うことにした。
そんな中、1歳半健診を迎える。運動能力や身体検査に異常はなかったが、言語に関しては壊滅的だった。何せ言葉を発さない。積み木や絵本に対しても何ら興味は示さない。雅や蒼介が一緒になって遊ぼうとしても、見向きもしないのだった。
さすがに心配になり、一度きちんと検査してもらった方が良いのかと相談していたときのこと。突然、異変が起こる。鷹也が抱っこを嫌がり、火がついたように泣き出すのだ。
「‥どうしましょう?どこか痛いのかしら?」
「ほっぺに触っただけで泣かれたしな‥」
雅も蒼介も困惑し、抱っこで泣き出す鷹也を抱え病院へ連れて行った。しかし様々な検査をしても異常は見つからない。相変わらず喋ることもなく、表情も乏しい。テレビを付けていると偶に見入っているときもあるが、無表情なままだ。
「父さん達に相談してみようか‥もしかして一族の何かが原因かもしれない?」
蒼介が雅にそう声をかけると、雅も頷いた。畳むことで厚みを増したタオルケットに包むと、泣き声は多少和らぐ。そんな状態で篁の屋敷に行ったのだった。
「‥触れると、泣く?」
鷹也は縁側に座って外をジッと眺めている。そこには「人ならざる者」たちも来ており、何かしらの交流をしているように見えた。雅は気が気でないが、今は少し我慢して篁にこれまでの経緯を話した。
「まさか!そんなに早く発現したというのか‥?」
篁はぼそりと呟いた。心当たりがあるといった様子に、蒼介と雅は顔を見合わせる。もしかしたら現状を改善する手立てがあるかもしれない、と心も逸った。
「‥そんなに早く発現って?いったいどういう?」
蒼介が尋ねると両親は居住まいを正し、真剣な顔で神々との対話について、語り始めた。
「もっと早く話すべきかとも思ったが‥さすがにこれほど早く発現するとは思わなんだ。‥すまん。」
篁と環は畳に手を置いて頭を下げる。
「そんな‥でも、“感知”が発現したらどうなるんです?触ると泣くのと何の関係が!?私たちはどうしたらいいんですか!?」
必死になる雅を蒼介が宥め、篁と環は顔を見合わせた。
「俺の親父が感知持ちだ。‥詳しいことは親父に聞いて、対策を考えよう。」
現在は夫婦で離島暮らしをしている、蒼介にとっては祖父母である。
「爺さんが?‥それじゃこれって遺伝なのか?」
蒼介が身を乗り出して尋ねると、篁は重い口を開いた。
「俺も正直良くは分からん。感知持ちは血筋とは関係なく、突発的に出るとも聞くしな。」
篁はいったん口をつぐみ、雅を見やった。
「親父は昔から人との触れ合いがそれはきつかったらしい。触れることで身体に様々な悪影響をもたらすのだそうだ。」
篁も半信半疑のまま、聞いたことをそのまま口にしたといった様子である。黙ったまま話を聞いていた雅の瞳が大きく見開かれ、スッと涙がこぼれ落ちる。
「それじゃ‥抱っこも!?触ることも出来ないってことですか!?‥そんな!!この子はまだ2歳にもなっていないんですよ!?」
必死に食い下がる雅に、篁は痛ましげな視線を送る。
「‥親父に直接聞いた方が早いだろう。遠方だがこちらに来てもらうとするか?」
篁がそう提案すると、蒼介と雅は顔を見合わせた。さすがにそこまでしてもらうのは悪い、としばらく様子を見て、皆で祖父母の元に行こうという話になったのだ。
「なるべく触れないようにするしか‥ないのかしら。」
「見てるだけ?‥こんなに可愛いのに!」
しかし、こうして厚みを増したタオルケットを使うと、抱っこしてもそこまで激しく泣くことはない。
「辛いって‥どう辛いのかしら?頭が痛いとか?‥せめて話せるようになってくれたら聞けるのに‥」
「とにかく今の僕らに出来ることは、鷹也が泣くことをしないこと。これしかない。」
疲れたのか、今はぐっすり眠っている。考えてみると、抱っこをねだることも、抱きついてくることもない子どもだ。ただただ図鑑を眺めているときが一番穏やかそうに見えるのだ。
鷹也が2歳になる頃、突然言葉を発しだした。喃語のない明瞭な発音であり、これまで喋らなかったことが嘘のような、およそ2歳児とは思えない口調と語彙である。
「鷹也!今日の夕飯は何食べたい?」
「何でも。父さんのごはんおいしいし。」
「パパってよべよー!」
「何で?父さんでいいでしょ?」
これが通常の蒼介と鷹也の会話である。そしてとにかく常に気怠そうなのと、時折頭痛がすると言っては独りで過ごすことが多かった。特に健康診断や買い物で、人混みに行った際の消耗ぶりは酷いもので、何も言わずに眠り続けることも多いのだ。
「‥やっぱり鷹ちゃん、普通の子とはかなり違うみたい‥」
雅が心配そうに息子の寝顔を見つめる。触れた途端に目を覚ましてしまうため、極力触れないようにしているのだ。
「そうだよな。というか、親バカのつもりはないんだけど、めちゃくちゃ頭良くないか?」
蒼介の言葉に雅も大いに同意した。買物途中、古本屋に目が釘付けの息子に気づき店内に連れて行くと、およそ子供向けではない専門書や海外の書籍などをねだられたのだ。そして帰宅してからはその本に釘付けになっており、声をかけても全く反応しないほど没頭してしまう。
食事だけは摂らせないとまずい、と本を取り上げても泣くことはなかった。諦めたようにため息をつき、出されたものはきちんと食べて再び読書に没頭するのだ。
「あとね、気がついたんだけど。あの子一度本を読んだ後、瞑想しているみたいに目を閉じて動かないの。それで読んだ後は二度と手に取らないのよね‥」
「本の内容丸々覚えてるなんてことはないよ‥なあ?」
二人はまさかね、と言って笑いあった。初めての子育てなのに、周囲のパパママ達と全く話が噛み合わないことばかりだ。
誇って良いことなのか、困惑すべきことなのか、二人にはそれすら分からないまま、息子の成長をただ見守るしかなかったのである。
食事もトイレも独りで出来ており、おむつも夜寝る時だけといった状態だ。雅が公園で遊ぼうと誘っても、興味なさげに首を振り、とにかく本に没頭している。
熱を出したり吐いたりと子どもにありがちな症状はなく、頭痛を訴えることと気怠そうなのが悩みのタネではあった。




