ひきこもり6
「………それよりも、こちらをお使い下さい」
そう言って、ハンカチを差し出した。
「顔が血だらけですよ………」
男は差し出されたハンカチとアマリリスの顔を交互に見つめた。
「すまない………」
私が急に起き上がったせいで、痛い目に遭わせてしまったというのに………。
この人は、私を責めるどころか、自分のことなどそっちのけで私の心配ばかりしている。
きっと、とても優しい人なのだろう。
そう思うと、少しだけ胸が痛んだ。
本当なら、治癒魔法をかけてあげればいい。
けれど、それはできない。
見ず知らずの人に、自分が希少なスキルを保持していることを知られるわけにはいかないのだ。
ハンカチを受け取った男だったが、なぜか使おうとしない。
ただ、手の中で、じっとハンカチを見つめている。
「…使わないのですか?」
不思議に思い尋ねると、男は少し困ったような顔をした。
「汚れてしまう」
「………?」
アマリリスは、きょとんと眼を瞬かせた。
「血で汚れるから?」
「ああ」
男は真面目な顔で頷く。
「せっかくの綺麗なハンカチを、血で汚すわけにはいかないだろう」
そう言いながら、男はハンカチを使うことなく、自分の服の袖で鼻をグイッと拭った。
呆けにとられて見つめていると、どうやら鼻血はすでに止まっていたようだ。
ーーいやいやいや。
どう考えてもそのハンカチより、服の方が高価そうだ。
ほぼ黒一色でまとめられた服には、さりげなく銀色の刺繍が施されている。
決して華美ではない。
装飾も必要最低限に抑えられているというのに、どこか目を引く。
シンプルなのに品があるのだ。
生地も仕立ても、とても上質なのが分かる。
ーーたぶん、貴族だろう。
しかし、この男、改めて見ると本当に顔がいいわね。
血の跡はまだ残っているが…なんと表現すれば良いのだろうか………。
100点満点なのに、120点!!と言いたくなるような美貌だ。
さらに、逞しく鍛えられた身体つきに、すらりと伸びた長い脚。肩幅も広く、立っているだけで圧倒されるような存在感がある。
身長など、私の2倍近くありそうだ………。
そんなアマリリスの視線に気づいたのか、男は口を開いた。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな」
「俺は、ノア。 よろしく」
男はそう名乗ると、穏やかな笑みを浮かべた。
突然の自己紹介にパチリと目を瞬かせる。
「君の名前も聞いてもいいだろうか?」
「…リリです。………よろしくお願いします」
アマリリスも小さく頭を下げた。
”リリ”というのは、最近、るぅ達に自分の名前を呼ぶときの名前として伝えたものだった。
彼らの声帯では”さしすせそ”が難しいようで、たどたどしい発音になる。
なので、”リリ”と短縮して呼ぶようにさせたのだ。
それでも、”様”は外せないようで、”りりしゃま”と呼ばれているが。
「リリ………」
男は小さく呟くと、嬉しそうに目を細めた。
「それで…リリは、どうしてこんなところで寝ていたんだ?危険だろう?」
ノアが不思議そうに尋ねてくる。
「こんなところ、と言われましても……。あそこが私の家です」
少し、離れた場所に建つ家を指さす。
「散歩をしていたのですが………途中で眠たくなってしまって」
ノアが指の先を追って視線を向けた。
「そうか………リリは、あそこに住んでいるのか。だが、外で寝るのは危険だ。不可侵の森の中だからなおさらだろう」
心配そうに眉を寄せている。
「これからは、外で寝るのはやめておいたほうがいい」
「………はい」
アマリリスが素直に頷くと、ノアは少し安心したように表情を緩めた。
「ところで、ご両親は家の中か?」
「えっ?」
「せっかくだ。挨拶させてくれ」
なぜ………?
「両親はいません」
「では、保護者は?」
「保護者もいません」
ノアの表情が、みるみる険しくなっていく。
「子供が一人で不可侵の森にいるのは危険すぎるだろう」
ノアがそう口にした瞬間………。
アマリリスの顔からすっと表情が消えた。
「…お気になさらず。大丈夫です」
声も表情も、妙に平坦だった。
先程までは、戸惑いがあったが、柔らかな雰囲気であった。
それが、まるで嘘のようである。
ーー子供。
その言葉に、内心で小さくため息をついた。
以前ほど、子供扱いされることを気にしているわけではない。
成長しない理由も分かっている。
自分の中では、もうそのコンプレックスも解消したつもりだった。
けれど、不意打ちのように”子供”と言われるとーー。
ハルマニア王国での生活を思い出しす。
やはり、くるものがあるわね………。
「それでは、私は家に帰ります。ノアさんも、お気をつけてお帰りください」
丁寧にそう告げると、アマリリスはくるりと背を向ける。
そして、振り返ることなく、そのまま家へ向かい、中へと入った。
家の中に入ったアマリリスが、ふと足を止める。
そこにはーー。
小さな卵焼き用のフライパンを握りしめたすぅ、ハタキを両手で構えているくぅ、それぞれが思い思いの「武器」を手に、こちらをじっと見つめていた。
どうやら、何かあったらすぐに助けに飛び出せるよう、ずっと様子を伺っていたらしい。
「………ふふふっ」
その姿を見た瞬間、アマリリスの頬が緩んだ。
なんとも、嬉しくて、微笑ましい光景だ。
あんなに小さな身体で、必死になって自分を守ろうとしてくれていたのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「もう………。ありがとう」
小鳥たちだって私を守ろうとしてくれた。
先ほどまで胸の中にあった、わずかな苛立ちや悲しみがいつの間にか消えている。
みんなの姿を見ているだけで、自然と心が和んでいった。




