アーカイン帝国1
時は、少々遡る。
その日、アーカイン帝国の皇帝ノアイライト・オーガスタス・アーカインは、皇帝の執務室で机に向かい、宰相のシエルからの報告に耳を傾けていた。
そこへ、コンコンと執務室の扉が軽く叩かれた。返事を待つ間もなく、扉が開く。
「市井の見回り終わりました。概ね問題なし!です!」
明るく張りのある声とともに入ってきたのは、帝国騎士団総団長のブレンダンだ。
「あなたは………!」
次の瞬間、宰相の雷が執務室に落ちた。
「いい年をして、ノックの意味も知らないのですか!毎度毎度!返事を待たずに入って来るとは!!ここをどこだと思っているのですか!!皇帝陛下の執務室ですよ!!!」
宰相の怒声が室内に響き渡る。
「ノックをしたら、返事を待つ!それくらい、子供でも知っています!!まったく、あなたと言う人はーー!」
宰相の説教が、さらに続こうとした。それを遮るように、
「土産に、今ちょうど流行ってる菓子を買ってきた」
そう言いながら、手していた包みを皇帝に向けて掲げる。
「せっかくだから、休憩にしましょう?」
その様子を見ていた皇帝は、深々とため息をついた。
ノアイライト・シエル・ブレンダン。
帝国皇帝、宰相、騎士団総長、実質的にこの国の中枢を担う、まさにトップ3である。
三人は幼い頃から共に過ごしてきた幼馴染だった。
幼い頃から互いの性格を知り尽くしている。
だからこそ、遠慮もなければ、今さら取り繕う必要もなかった。
そのため、宰相が皇帝の前で騎士団総長を容赦なく叱りつけることもあれば、騎士団総長が皇帝の執務室へ気軽に菓子を持ち込むこともある。
それが、三人にとってはいつもの光景だった。
「シエル、休憩にしよう」
皇帝が、穏やかな声で口を挟んだ。
「………そうですね」
シエルは一瞬だけブレンダンを睨みつけると、諦めたように小さく息を吐いた。
「説教は、また後でじっくりします」
「え~………」
三人は執務室の一角に設けられた応接机へと移動、机を囲むように腰を下ろした。
ブレダンが買ってきた流行りのお菓子を机に並べながら、「そういえば、なんか変わったことでもありました?」と軽く問いかけた。
すると、シエルが菓子を手にしながら、答える。
「先程、陛下へも報告している最中だったのですがーー大聖女が現れました」
ブレンダンのお菓子をつまむ手が止まる。
皇帝も静かにシエルへ視線を向けた。
「………大聖女! 大聖女が現れるなんて、だいぶ久しぶりだな」
ブレンダンは少し驚いたように目を見開くと、シエルへ訪ねた。
「どこに現れたんだ?」
「ハルマニア王国です」
「………ハルマニア王国。ちっ。あの、人間至上主義か………」
ブレンダンは苦々しげに眉を寄せた。
この、アーカイン帝国は多種族国家だ。
宰相は九本の尾を持つ、狐の獣人。ブレンダンは獅子の獣人。そして、皇帝陛下は竜人だ。
この帝国では、人間だけでなく、獣人やエルフをはじめ、さまざまな種族が共に暮らしている。
種族によって、姿形も違えば寿命も違う。
長い年月を生きる者もいれば、人間とそう変わらぬ寿命を持つ者もいる。
それでも、この帝国では誰もが同じ民として扱われていた。
だが、人間至上主義を掲げる、あのハルマニア王国は違う。
そこでは、獣人もエルフも、人間以外はすべて、自分たちより劣った存在なのだ。
「なら、帝国の病人を治癒してもらうにも、相当な大金をせしめられそうだな。………運の悪いところに現れたものだ」
「………それが、そうでも無いのです」
「はっ?なぜだ??」
「その方はハルマニア王国の公爵令嬢だったのですが、教会の貴族籍離脱の手続きを行いました。なので、現れたのはハルマニア王国ですが、現在はどこの国にも戸籍上は所属していません」
「はぁ!?あれはすさまじい大金が必要じゃなかったか!?しかも、家の金は使えんのだろう!」
「そうです。脳筋のあなたがよく知っていましたね。どなたかが供託金を用立てたようですよ。誰が用意したのかはまだ分かっていませんが」
「なら、人間以外も診てもらえるな!」
ブレンダンはぱっと顔を輝かせた。
「………ですが、その大聖女は現在、行方不明なのです」
「行方不明?」
「ええ………。教会で貴族籍離脱の手続きが終了した直後から、消息が途絶えているそうです。教会やハルマニア王国も、もちろん彼女の行方を全力で探しているようですが、まったく手がかりが掴めていない状況です」
「しかし、よく貴族籍離脱や行方不明なんてことが、まかり通ったな………」
ブレンダンは、腑に落ちないとばかりに首を傾げた。
「普通、大聖女なんて全力で守るし、国から逃がさんだろう?」
聖魔力上級所持者という存在は、それほどまでに特別なものだ。
「行方が分からなくなってから、大聖女だと気づいたからです」
「………いやいや、待て。行方が分からなくなってから大聖女だと気づいたって………どういうことだ?」
あまりにも腑に落ちない話に、ブレンダンは顔をしかめる。
シエルはそんな彼を見ながら静かに説明を続けた。
「彼女はまだ、スキル取得の儀を執り行なっていないのです」
「スキル取得の儀をやってないのに、なぜ大聖女だと分かるんだ?」
「移り香聖女が現れました。移り香聖女の周りにいる人間で成人間近な者はその公爵令嬢だけだったようです。念のためハルマニア王国も他の人間の可能性を考え調査したようですが、やはり、その公爵令嬢が大聖女であることに間違いないと」
「移り香聖女か………。そういえば、そんなのもあったな」
ブレンダンは顎に手を当て、記憶を辿るように呟いた。
帝国においても、大聖女が現れたという記録はしばらく途絶えている。
大聖女という存在そのものが、極めて稀なのだ。
「我が帝国としても、できれば彼女にはこの国に住んでもらいたいと思っています。ですから、こちらでも彼女を捜索しようと、絵姿を取り寄せているところです」
「なるほどな」
ブレンダンは頷きながら、腕を組む。
そこまで黙って二人のやり取りを眺めていたノアイライトが、ここでようやく口を開いた。
「大聖女の捜索は、シエルに一任しようと思っている」
そう告げると、ブレンダンへ視線を向けた。
「ところで、ブレンダン。先ほど、市井の見回りは概ね問題ないと言っていたな」
「はい」
「概ね……とは、少しは気になることがあるということか?」
騎士団総長が”概ね”と報告した以上、何かしら引っかかる点があるのだろう。
「…そうですね。本当に、少しだけ気になるという程度なのですが………不可侵の森から出てくる魔獣が例年よりやや増えているようで」
「魔獣が?」
ノアイライトが聞き返すと、
「はい。まだ被害が出ているわけではありません。ですが、例年に比べると明らかに数が多いようです」
「そうか………」
ノアイライトはしばらく考え込んだ。そして、ふとシエルへ視線を向ける。
「シエル。急ぎの仕事は、今のところないな?」
「ええ。特にございません」
シエルが頷くと、ノアイライトが立ち上がった。
「では、今から不可侵の森へ見に行く」
「…今からですか?」
シエルが思わず聞き返した。
「ああ。魔獣が増えているというなら、この目で確認しておきたい」
ノアイライトはそう言うと、何でもないことのように執務室の大きな窓へ向かった。
ーーどうやら、窓から出ていくつもりらしい。
「お待ちください!護衛をつけます!」
「陛下!」
その姿を見た二人が、慌てて声を上げた。
「俺がついていきます!」
ブレンダンもすぐさま申し出たが、ノアイライトは首を横に振る。
「必要ない」
「ですが、陛下」
「ひとっ飛びしてくるだけだ」
そう言うなり、窓からベランダへ出た。
「ちょっ、陛下!」
二人が止める間もなく、ノアイライトはベランダから飛び降りた。
次の瞬間ーー
その身体が大きく変貌した。人の姿が巨大な黒竜へと変わり、力強い翼が大きく広がる。
「「………」」
二人はしばし無言でその姿を見送った。
やがて、ブレンダンがぽつりと呟く。
「俺じゃ、追いつけんな………」
シエルは深々とため息をついた。




