ひきこもり5
可愛いお手伝いさんを連れて、我が家へ戻ってから三ヶ月ほどが過ぎた。
あれからというもの、私はるぅ達に家事を教えたり、一緒に食事をしたりしながら穏やかな日々を過ごしていた。
最初の頃は、見たこともない道具や食べ物を目にするたびに、驚いたり喜んだりと、目まぐるしく一喜一憂していた彼らも、今ではすっかりこの暮らしに慣れてきたようだ。
るぅ達は、誠実でとても働き者だった。
住む場所についても、彼らは最後まで遠慮がちで、”家の近くに巣を作らせてもらえれば、それまでは野宿で構わない”そう言っていた彼らに、私が首を横に振ったのだ。
”私の家に住みなさい”と。”もし、住んでみてこの家が気に入らないなら、ここで暮らしながらゆっくり自分たちの巣を作ればいいでしょう”と。
半ば、言い聞かせるように告げてようやく、彼らは折れたのだ。
私としては、可愛い彼らが野宿する姿など、とてもではないが見過ごせなかった。
アマリリスはそんな彼らと、楽しくも充実した生活を送っていた。
※※※
その日もアマリリスは、いつものように日課の散歩に出かけていた。
穏やかな風に吹かれながら、のんびりと歩く。
ただ、いつもと違うことが一つだけあった。
ーー自分に結界を張るのを、すっかり忘れていたのだ。
普段なら、散歩に出る前には必ず、身を守るための強固な結界を張っている。
けれど、穏やかな日々が続いたことで、知らず知らずのうちに警戒心が薄れていたのだろう。
それに加えて、散歩に出る場所は家からそれほど離れない。
振り返れば、家が見えるほどの距離だ。
そんな安心感もまた、彼女の油断を招いたのだろう………。
穏やかな陽気に包まれ、家の前を流れる細い川では、澄んだ水がさらさらと音を立てている。
アマリリスは歩いているうちに次第に眠気を覚えた。
ちょっとだけ………。
川辺には大きな岩があり、彼女がそこへと腰を下ろすと、ひんやりとした岩肌が心地良かった。
やがて、その上にゆっくりと身体を横たえ、少しだけと思いながらうたた寝を始めた。
そんな無防備なアマリリスに向かって、一体の「何か」がものすごい勢いで迫っていた。
草木をなぎ倒し、地面を蹴り、ただひたすら彼女を目指して駆けてくる。
けれど、彼女はそれに気づくことなく、岩の上で静かに寝息を立てていた。
やがて茂みを抜けて姿を現したのは、背の高い一人の男だった。
艶やかな黒髪は肩を少し超える程の長さで、それを後ろで一つに結んでいる。
鮮やかな赤い瞳が、鋭い光を宿していた。
鍛え上げられた逞しい身体は、衣服の上からでも分かるほど引き締まっており、そして、何より目を引くのは、その端正な顔立ちだった。
誰もが振り返ってしまうような圧倒的な美貌。
そんな男は足を止めると、その美貌とは不釣り合いなほど険しい表情で彼女を見つめる。
赤い瞳が、まるで獲物を見定めるかのように、眠り続ける彼女の姿をじっと捉えている。
※※※
小鳥たちは、アマリリスのすぐそばにいた。
彼女に命じられたわけではない。
それでも、自分たちこそ彼女を守る護衛なのだと、勝手に思っていた。
危険が迫れば真っ先に飛び出し、彼女を守る。それが自分たちの役目だと、そう信じていたのだ。
けれどーー今は、一羽として動くことができなかった。
目の前の男から放たれる凄まじい威圧感に身体が疎んでしまったのだ。
(怖い………)
羽を震わせながら、それでも小鳥たちは必死に彼女を見つめる。
(起きて………お願いだから、起きて!)
せめて、彼女に危険を知らせたい。
鳴き声をあげようとするのに、恐怖で喉が震え、声すら思うように出てこない。
守ると決めていたはずなのに………今の自分たちは、ただ震えながらアマリリスを見つめることしかできなかった。
※※※
男は、ゆっくりとアマリリスへ歩みよった。
やがて岩のすぐそばまで来ると、足を止める。
そしてーー眠っているアマリリスを覆い隠すように身を屈めた。
赤い瞳が、吐息さえ届きそうな距離で、すぐ目の前の彼女を射抜く。
周囲にいた小鳥たちは、身動き一つとれず、張り詰めた空気だけが川辺に満ちていく。
誰もが息を潜める中………
アマリリスの顔に差していた日差しが遮られたことで違和感を感じたのか、
「………んっ………?」
まだ眠気の残る瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいく。
そしてーー目の前の男の姿を捉えた瞬間ーー
ガン!!!!
凄まじい音が辺りに響き渡った。
「いっっっっだ~~~~!!!!」
「ぐっ!?」
驚きのあまり飛び起きようとしたアマリリスの額と、男の鼻が真正面から激しくぶつかったのだ。
アマリリスはあまりの痛みに、額を両手で押さえたまますぐには動けない。
額を押さえたまま、涙目で動けずにいるアマリリスを見た瞬間、男の顔から、さっと血の気が引いた。
「すっ、すまない!!」
明らかに動揺した声だった。
男は慌てたように自分の衣服を探り始めた。
胸元のポケット、腰の辺り、さらにズボンのポケット、次々と手を入れていくがーー目当ての物は無かったようだ。
「っ、本当にすまない!俺は聖魔法が使えないんだ!回復薬の持ち合わせもない!!」
やがて、額の痛みが落ち着き、額を押さえていた手をゆっくりと下し、恐る恐る顔を上げた。
すると、目の前には誰が見ても「ものすごい美形」と評するような男がいた。
ジルベルトもかなりの美形だった。
けれど、目の前の男は、そんなジルベルトと比べても、まるで次元が違った。
ーーもっとも、今はその完璧な美貌が、鼻血のせいですっかり台無しになっているのだが。
男は心配そうにアマリリスを見つめながら、オロオロと視線をさまよわせている。
鼻からは、ボタボタとかなりの量の血が流れ続けていた。
そんな鼻血男がオロオロしている姿を見て、小鳥たちはようやく身体を動かせるようになった。
まだ、身体は小刻みに震えている。
そのマヌケな姿にもかかわらず、目の前の男から感じる恐ろしいほどの威圧感は変わらない。
足も羽も疎みそうになる。それでも、五匹はアマリリスの前へと飛び出した。
そして、男とアマリリスの間に立ちはだかり、羽を精一杯広げ、彼女を隠すように並ぶ小鳥たち。
「………ニワトリ?」
その言葉に、私は思わず小鳥たちへ視線を向ける。
「違います。小鳥ですわ」
そう声をかけながらも、アマリリスは密かに意識を集中させた。
いつでも結界を張れるように、魔力を整えておく。
何かあれば、すぐに発動できるように。
本来なら、目の前に突然現れた、得体の知れない男ーー真っ先に結界を張りたい。
けれど、先程からこの男が発するのは、自分を心配する言葉。
どう考えても、痛いのは自分よりも男のほうだ。
男は自分の鼻から大量の血を流しながら、そんなことには構いもせず、私のことばかりを心配していた。
そんな男に、いきなり結界を張るのも失礼な気がする。
だから、アマリリスは表面上は平静を装いながら、いつでも身を守れるように心の中でしっかりと備えていた。
「小鳥………?」
男は納得しきれない様子で、もう一度小鳥たちを見つめた。
「………そうか」
どうやら、その大きさや鋭い眼光には言いたいことがあるらしい。
それでもこれ以上は追及せず、ひとまず「小鳥」ということで飲み込んでくれたようだった。
男は鼻から流れる血を気にする様子もなく、アマリリスの顔を覗き込んだ。
「それよりも………額は、もう痛くないか?」
真剣な表情で心配そうに問いかけてくる。
ーー自分は鼻から下が血だらけだというのに。
その姿にアマリリスは思わず目を瞬かせた。
「………ええ。もう、大丈夫ですわ」
そう答えると、男はあからさまにほっとしたように息を吐いた。




