十二 書屋ノ表
人間は、人間として産まれ、人として生き、そして、人間として死ぬ。
人間には、見えるものと見えないものがある。
見えるもの。それは、信号機、ビル、スマホ、オムライス、コーヒー、スプーン、蝶、花、猫。
見えないもの。それは、空気、時間、音楽、価値、心、嘘、神様、幽霊。
人には、ミエル者とミエナイ者がいる。
ミエル者。それは、幽霊が見える者。
ミエナイ者。それは、幽霊が見えない者。
西見 友里恵 (にしみ ゆりえ)
12
"布団屋と氷屋の間の道を曲れ。
肉屋の分かれ道は、矢印が教えてくれる"
灰色の雨模様の下で、西見は立ち止まった。
ほんとだ。
左に目を向けると、一方通行を示す白い矢印の標識があった。
"瓦屋根の下で、猫が手招きしている。
そこが、書屋だ"
ここにくる前、案内人が言った言葉を西見は思い出していた。
それは本屋というより、物屋だった。
店頭には、砂埃で覆われているテーブルクロスがかかった小さなテーブルにビーチチェアと錆びたパイプ椅子、クーラーボックスの上には大きな釜が重なっていて、シケモクを浮かべた緑色の水が溜まっていた。ほとんど白くなった赤いベンチの下には、営業中の文字のスタンド看板が横たわっていて、傍には様々な大きさや柄の壺、貯金箱、照明に、面に、置物。
大通りに外れて、人通りもない静かな場所にガラクタがごった返した不思議な雰囲気の本屋はあった。
風で揺れる暖簾のすぐ隣に、招き猫の置物と『古物高く買い取ります』の貼り紙があった。
数日前、西見は店主に本を貸出を注文していた。
ここへ来たのは、その本を借りるため。
予約の時刻になるまで、西見はベンチに座って待った。
注文は、とある公園で行われた。
"白窪町の山にある、ヒトツバカエデ公園。
そこの遊具のひとつから、幽霊の声が聞こえると噂になっていたのは数年前の話だ。
まぁ、お前さんのような幽霊の存在を否定する者からすれば関係のない話だがな"
いるはずねえだろ、「大人になっても幽霊信じてるとか、あいつくらいだろ」広げた傘の下で西見は、雨が流れていくゆるやかな坂道を歩いていた。
"雨の日に、やつは営業している"
なんだそれ。営業が天気次第とは、いいご身分なこった。「人の事言えないか」
坂道を登り切ると、広い駐車場が現れた。雨が降りそそぐ平日の夕方の公園に、車が多いはずが無かった。
ぼつぼつと傘に雨が当たる音を聞きながら、敷地内を歩いた。
敷地内には、テニスコートやバスケットコート、小さい植物園もあって、晴れた日には大人も子どもも賑わう声が聞こえそうな気がした。
フードコートを隣接した物産店のなかは明るかった。人も何人かいて、紙コップを片手に会話を楽しんでいる様子があった。
その向かいの場所が、子どもたちの遊び場になっていた。当然、雨ざらしの遊具で遊んでいる子どもは誰もいなかった。
登って遊ぶブロックのようなアスレチックの遊具、トランポリンのように飛んで遊ぶ遊具、長い滑り台に、ブランコ、鉄棒などが雨が止むのをひっそりと待っていた。
そのなかのひとつが、遠くの人の声が聞こえる遊具だった。目的の遊具だ。
それは、その少し離れた場所でも同じものを見つけた。
二つは対になっていて、伝声管として遊べる道具である。離れた場所でも片方の遊具から話すと、管を伝って、もう片方の遊具から聞こえるという遊びができる。
雨合羽を着た警備の人が通り過ぎてから、西見は青色の遊具に近づいた。そのなかで最も高さの低いものだった。
身体を屈めて、遊具に耳を近づける。
"耳を澄ませて、ゆっくり十数える"
そうしてから、西見は「何も聞こえない」とぽつりと言った。
"言ったら、またゆっくり同じ数かぞえろ"
十がきて、指示通りの台詞を言った。
「お化けやさんはお留守なの?」
"これが、やつの呼び方だ"
依然として、無音は貫いた。
犬の散歩をする老人と目が合って、そして逸らされた。
「うわー。お化けが話したー」西見は台詞を言った。感情の起伏はなかった。
"本を借りたいと言って、五つ数える。
そうしたら、タイトルを言って待て"
「レコラエの最終文書」と言ってから、時計の針が二周するのを待った。
待つ間、片時も耳を離さなかった。
聞こえてくるのは、無音だけだった。
西見は時々少し体勢を変えたりしながら、雨を見て待った。
"時間がきたら、初めて読むことを伝えろ"
「実は、初めて読むんだよね。その本」西見は言われた通りに呟いた。
"ゆっくり七つ数えて、次に雨が降る日に取りに行くと言え"
予報通りの雨が降り始めてから数分したころ、店の中で変化があった。
ガタゴトと物音がして、白髪の男は暖簾をくぐって出てきた。「あれ。いらっしゃい、お客さん」
まだ広げていない傘をパイプ椅子に立てかけて、暖簾を店の中へしまった。「すみませんが、今日はもう終わりなんですよ」明日もやってるんで用があったらまた来てください、と傘を広げて行ってしまった。
用があるから、待っていたんです。
西見は、暖簾が外された店内へ足を踏み入れた。
スチール製の机の上は殺風景で、電卓と領収書とペンと黒電話だけが置いてあった。それ以外は、夥しい数の物で埋め尽くされていた。ここも店頭と同じく、目に映るものは全てが物だった。
机の奥には、廊下とその奥に階段があった。職場兼自宅なのだろう。先程、留守になったところだった。
黒電話が鳴った。
西見が受話器を持ち上げる前に、音は鳴りやんだ。
振り返ると、物に紛れて一冊の本が置かれているのを見つけた。『レコラエの最終文書』だった。
"本を借りたら、しばらく店内を見て待て"
しばらくすると、西見は眉間をつまんだ。
いつまで続くんだ、この状況は。
蛙の頭の上に本が置いてあって、西見はそれを手に取ろうとした。すると、すぐ近くで瓶が割れる音がして、そっちに目を向けた。しかし、目を向けた先には酒瓶があって、そこに別の本が置いてあった。最初の本は、跡形もなく消えていた。次に、小さな足音がいくつか重なって聞こえて、聞こえた方を見ると小人が囲む鉢の中に別の本が入っていた。
うんざりして目を逸らした先には、冠の形をした灰皿があって、男の人が逞しく笑う声がした。その上には、本が置かれていた。
西見は一度冷静を取り戻すために、固く目を閉じ、長い深呼吸をした。
再び目を開けると、そこには音もなく、本は全て無くなっていた。
机には、一枚の領収書が置いてあった。用紙の裏に手書きで、本のタイトルと今日の日付があった。
やっと、おわった。
"本と紙を受け取ったら、取引をしろ"
西見は銀色の机に一輪の造花と、間を開けて、金が入った金袋を置いた。
"赤い紙の話は覚えているか、とだけ言えばやつならわかる"
「赤い紙の話は覚えているか」
時計の針が三周するのを待った。待つ間、本は一冊も現れなかった。
時間になって、再び机の上に目線を戻した。
"造花を回収して帰宅するか、金を回収して次の依頼に向かえ。もしくは、造花と金の両方を回収して次の依頼に向かえ。
それだけだ。
うまくやれ"
造花は、机の上に置かれたままだった。
金袋は机の上から無くなっていて、床に落ちていた。
どうやら店主は、本の貸し出しの代金に、金を選んだようだった。
金袋を机の上に置き直し、代わりに造花を鞄にしまって西見は店を出た。
雨が弾く濡れた灰色の夕暮れの中で、店に戻る白髪の店主とすれ違った。
購買人は、提供された商品やサービスへの代金をテーブルの上に提案する。
店主は、商品の代金を選択できる。
購買人によってテーブルに置かれる品は、造花と金が入った金袋。
では店主に提案する代金は、造花か金か。実はそうではない。
それは、人間が見える情報であるだけ。店主は、人間ではないかもしれない。
代金として提案されるのは、みっつ。
一つ目は、生者の殺し。
ふたつめは、亡者の殺し。
三つ目は、金。
このみっつの選択から、店主は代金を自由に選択する。
金を選ばなかった店主を、以降、依頼人と呼称する。依頼人は、最も恨む人間の殺しを依頼する。
それは生者でも、もしくは、亡者でも。
生者の殺しは簡単。暗殺するだけ。
でも亡者の殺しは、どうするか。亡者はその通り、もう死んでいる。
亡者を殺しは、蘇生だ。
生き返るんだ。人間として。
浴びせられるような悲劇と絶望を伴う豊かな人生を、また最初から始めてもらう。
そうだろ?この自殺願望で咲き乱れた世界で、亡者にとってそれが一番の殺しだろ?




