第9話 巣を襲う影
翌朝は、嘘みたいに晴れていた。
水路のせせらぎが、寝床の脇できらきら光っている。俺は根っこを水に浸し、腐葉土の窪みで日向ぼっこをしていた。
隣では、アリシアがまだ眠っている。背中の傷には回復草の葉が貼りつき、緑の汁が乾いていた。呼吸は穏やかだ。
(傷の治りが早いな。さすがドラゴン)
魔素感知(中)と、マナゴケ由来の体質のおかげで、ゆっくりと体が満ちていく。温泉に浸かっているような、ぬるい幸福感。
(ぼーっとしてる。今、完璧にぼーっとしてるぞ、俺)
昨夜の羽音のことは、気のせいだったと思うことにした。人間、幸せなときは都合よく忘れるものだ。
そのとき、隣の魔素が、突然膨れ上がった。
*
――あるじさま、うごかないで。
アリシアが跳ね起きていた。金色の瞳が、鋭く空を睨んでいる。さっきまで眠っていた子とは思えない、戦う者の顔だった。
――どうした?
――くる。たくさん。
魔素感知を広げる。
空から、五つの反応が降りてくる。黒くざらついた魔素だ。昨夜の翼の音は、やはり気のせいではなかった。
次の瞬間、巣の天井に空いた穴から、黒い影が突っ込んできた。
鴉に似た魔獣だった。ただし、翼の幅は俺の背丈の十倍ある。爪は鎌のように湾曲し、赤く濁った目がぎらついていた。
――ギャアアアアア!
耳をつんざく鳴き声とともに、五体が同時に巣へ襲いかかる。
*
アリシアが、俺の前に躍り出た。
――ここ、まもる!
炎が吐き出され、一体の翼を焼き払う。落ちた魔獣が地面でのたうつ。だが残りの四体は、その隙に巣の中を暴れ回った。
鋭い爪が、寝床を薙ぐ。腐葉土が飛び散り、敷き詰めた枯れ草が宙を舞った。水路の縁が崩れて、せっかく通した水が、辺り一面に溢れ出す。
(あああ、二人で作ったのに!)
悲鳴を上げる暇もない。魔獣の一体が、俺めがけて急降下してきた。
――あぶない!
アリシアの体が、俺を覆う。魔獣の爪が、彼女の肩をえぐった。血が飛ぶ。昨日の傷が、また開いたのが分かった。
――アリシア!
――だいじょうぶ! あるじさま、ここ!
俺を背にかばいながら、彼女は尾を振って魔獣を叩き落とす。だが、動きが鈍い。庇いながらの戦いは、あまりに分が悪かった。
(俺が、足を引っ張ってる)
喉の奥が苦しくなった。
*
一体の魔獣が、上空で旋回していた。
アリシアが別の個体に牙を突き立てている。その背中が、がら空きだった。
魔獣が、翼をたたむ。急降下の構えだ。傷口を狙っている。
(させるか)
考える前に、体が動いていた。足元の石を掴む。手のひらサイズの体では、ちっぽけな石だった。
振りかぶって、思い切り投げる。
石は放物線を描いて飛び、魔獣の頭にこつんと当たった。
効果は、ほぼなかった。
だが、魔獣の赤い目が、ぎろりとこちらを向く。
(お、こっち見た)
注意を引けた。それでいい。もう一つ、枝を折って投げる。今度は翼に当たった。
【スキル「投擲」を取得しました】
頭の中に、無機質な声が響いた。
(今かよ! タイミングがゲームっぽい!)
魔獣が方向を変え、俺に向かって突っ込んでくる。
やばい、と思った。狙い通りではあるけれど、狙い通りすぎる。
鎌のような爪が、目前に迫る。
*
――あるじさまに、さわるな!
横から、赤銅色の巨体が飛び込んできた。
アリシアの爪が魔獣の胴を貫き、そのまま地面に叩きつける。鈍い音とともに、魔獣は動かなくなった。
巣の中に、静寂が戻った。
残りの三体は、逃げるように空へ舞い上がり、どこかへ飛び去っていった。
風が止む。水音だけが、遠くで鳴っていた。
【経験値を獲得しました】
【レベルが上がりました Lv 4 → Lv 6】
身体の奥が熱くなる。倒したのはアリシアなのに、俺のレベルが上がっている。それが少し申し訳ない。
その熱の中で、もう一つ、違和感があった。
さっき魔獣が暴れた辺りから、濁った魔素が漂ってくる。ざらざらして、鼻の奥が痛くなるような。
(うっ、気持ち悪い……)
思わず、魔素吸収の要領で、その濁りを体に通そうとした。すると体の中で、濁った部分だけが、ふるいにかけられたように弾かれていく。
【スキル「魔力濾過」を取得しました】
濁った魔素が、指先のあたりでゆっくり透明になった。
(濾過……? 魔素を、きれいにできるのか)
試しに、空気に漂う濁りを一つ吸い込み、逆側から吐き出す。息苦しさが、すうっと消えた。
便利なスキルだ。ただ、この魔素の濁りは何だ。あの魔獣たちも、目が濁っていた。
*
――あるじさま!
アリシアが駆け寄ってきた。傷だらけの体で、地面を震わせて。
――だいじょうぶ? けが、してない?
――してない。俺は大丈夫だ。
――よかった……。よかった。
彼女は俺の目の前で膝を折り、鼻先をそっと寄せた。金色の瞳が潤んでいる。
――アリシアこそ、傷が。
――こんなの、へいき。あるじさま、むちゃした。
――え?
――いし、なげた。あぶない。やくそく、ちがう。
(俺に約束を返されるとは)
三つの約束のうち「無理な狩りはしない」の言い返しだった。返す言葉がない。
――……ごめん。次は、ちゃんと隠れる。
――やくそく、な。
――ああ、約束だ。
アリシアは、ほっとしたように尾を揺らした。
*
夕方まで、二人で巣を直した。
崩れた水路の縁を、俺が指示して、アリシアが爪でそっと押し固める。力加減は、昨日より少しだけうまくなっていた。
寝床の腐葉土は、散らばった分を集めて、もう一度盛り直す。敷き草は半分以上が駄目になったので、新しい柔らかい葉を摘みに行った。
途中、アリシアが呟いた。
――あるじさまと、いっしょに、つくると、たのしい。
――こわされても?
――うん。またつくれば、いい。
その言葉が、胸に沁みた。
壊れたら直せばいい。前世では、壊れたら終わりだった。俺自身が、そうだった。
日が傾き、水路に金色の光が落ちる。ちょろちょろと水が流れ戻った。
俺は寝床に座り、深く息をついた。
(次は、何が来る)
その瞬間、魔素感知が、ぴりりと震えた。
森の奥。ずっと遠く。
毒々しいほどに濃く、重く、ざらついた魔素が、風に乗ってこちらへ流れてくる。
昨日まで、こんな気配はなかった。
濾過したはずの体が、それでも軽く粟立つ。アリシアも気づいたのか、森の奥へと顔を向けたまま、動かない。
夕闇の向こうで、何かが、ゆっくり息をしていた。




