第10話 大きさの問題
――あるじさま、なんで、そんなに、小さいの?
昼下がり。日向の寝床で丸まっていた俺に、アリシアが首をかしげて聞いてきた。
鼻先だけで、俺の体より大きい。並べると、コケの横に岩山が座っているようなものだ。
――アリシアが大きいんだよ。
笑いながら答えると、彼女は本気で悩む顔をした。
――おおきい、と、こまる?
――困る。この前、しっぽで俺を三回転させただろ。
――……ごめんなさい。
――怒ってないって。
尾がしゅんと垂れる。この子は落ち込むのも全力だ。
アリシアはしばらく自分の前脚を眺めていたが、やがて小さく漏らした。
――アリシアも、あるじさまみたいに、なりたい。
――俺みたいに?
――ちいさくて、あるじさまの、そばに、いられる。
どう返せばいいか分からず、俺は葉っぱをかいた。
*
最近のアリシアは、狩りから戻るのが遅くなっている。
巣の周りに、大型の魔獣が増えたからだ。追い払うだけでは足りず、遠くまで出て倒してくることも多い。今日も戻ってきたのは、陽が傾く頃だった。
――ただいま、あるじさま。
――おかえり。怪我は?
――ない。でも……。
アリシアは巣の入口で、森のほうを振り返った。
――さいきん、いつもと、ちがう。
――どう違う?
――まもの、おおきい。おおい。めが、にごってる。
巣を襲った魔獣たちと同じ目だ。赤く、濁っている。
――こわい?
――こわくない。でも、あるじさまが、あぶない。
言い切ったあと、アリシアは少しだけ声を落とした。
――……アリシア、まもれるかな。
返事に詰まった。この子は「守れなければ要らなくなる」と思い込んでいる節がある。まだ確かめたわけではないが、時々、そういう目をする。
――守ってもらってるよ。毎日ね。
――ほんとう?
――本当だ。ただな、守るのは俺の役目でもある。頼りないけど。
アリシアは目を丸くして、それから、ぱたぱたと尾を鳴らした。
*
数日後。
俺は水路のそばで日向ぼっこをしながら、魔力濾過の練習をしていた。
小川から引いた水に意識を向ける。細かな濁りと魔素の淀みを、ふるいにかけるように取り除く。透明になった水が、寝床の脇をきらきらと流れていった。
(これ、飲み水にも使えるな。前世の浄水器より高性能だ)
体が満ちていくのは、マナゴケ由来の体質のおかげだ。魔素吸収のスキルはアリシアに貸したままで、ステータス画面には【貸与中】と灰色の表示が出ている。だから吸い込む効率はゆっくりだ。それでもこうして日に当たっているだけで、じんわり回復するのだから、悪くない。
(貸したスキルは、あの子のためにちゃんと働いてくれてる)
ステータスの端に、貸与先のレベルは表示されない。ロイヤリティで自分が上がるだけだ。それでも最近は、一日に二回、三回とレベルの通知が来る。それだけ、アリシアが戦っているということだ。
水面に、大きな影が落ちた。
――あるじさま!
巣の入口から、アリシアが飛び込んできた。今日は傷が一つもない。全身から魔素が溢れ、鱗が内側から光っている。
――どうした、そんなに慌てて。
――あのね、あのね!れべる、あがった!こえが、きこえた!
――声?
――「しんかできます」って!
――え、進化?
*
俺は思わず根っこの足で飛び上がった。
――すごいじゃないか、アリシア! 進化できるのか!
――うん! あるじさま、うれしい?
――嬉しいに決まってる。すごく嬉しい。
自分のことのように、胸が熱くなった。俺が進化した時は、勝手に経験値が流れ込んできただけだ。この子は違う。自分の足で、自分の力で、そこまで来た。
アリシアは誇らしげに胸を張った。翼が広がって、水路の水が風で波立つ。
――いくつか、えらべる。
――どんなのがある?
彼女は目を閉じて、視界に浮かんでいるらしい一覧を読み上げた。
――おおきい、りゅう。もっと、おおきい、りゅう。つばさ、もっとおおきい、りゅう。
――全部大きいな。
――うん。つよそう。でも……。
――でも?
――もうひとつ、ある。
アリシアは目を開けて、まっすぐ俺を見た。
――エルダードラゴン、りゅうじんか。
*
――龍人化?
聞き返して、頭の中で整理する。
アリシアの説明では、古代龍の血を引く種としての進化で、人に近い姿を取れる形態らしい。体は小さくなる代わりに、力は他の選択肢に劣らない、というのが説明文にあったという。
(人の姿……。それなら小さくなれるかもしれないな)
だが、危うい部分もある。
――アリシア、一つだけ言わせてくれ。
――うん。
――進化は、体が変わるだけじゃ済まないかもしれない。記憶とか、本能とか、性格とか、変わる可能性がある。
――かわる?
――今の、アリシアじゃなくなるかもしれない。俺を覚えてない、ってこともあり得る。
言葉にしたら、喉が冷えた。自分が進化した時は、運よく何も失わなかった。この子もそうとは限らない。
アリシアは黙って、地面を見つめた。
長い沈黙のあと、彼女は静かに顔を上げた。
――それでも、えらぶ。
――どうして?
――「おおきいまま、つよくなる」は、いや。
――……。
――あるじさまの、となりで、くらせる、すがた。それが、いい。
金色の瞳が、まっすぐだった。
この子は、強さの前に、居場所を選んだ。
母親に声をかけられなかった子が、誰かの隣にいることを、自分で選んだ。
俺は、止める言葉を持っていなかった。
――……分かった。お前が決めたなら、それでいい。
――ありがとう、あるじさま。
――ひとつだけ約束しろ。
――やくそく?
――変わっても、変わらなくても、ちゃんと帰ってこい。俺、ここで待ってる。
――うん。まってて。アリシア、かえる。ぜったい。
*
夕暮れの巣で、アリシアは寝床の隣に丸くなった。
進化の光が、体の芯から溢れ始める。赤銅色の鱗が、一枚、また一枚と、淡い金色に染まっていく。魔素感知に映る光が、ゆっくり形を変えていった。
――あるじさま。
――ここにいる。
――おやすみ。
声が遠のく。アリシアの瞼が、静かに閉じた。
巨大な光の繭が、巣を柔らかく照らす。
俺はその隣に座り、光が収まるのを待った。
水路のせせらぎが、夜へ溶けていく。
今夜はきっと、眠れない。
今回は、アリシアが「あるじさまの隣で暮らせる姿」を自分で選ぶ回でした。強さよりも居場所を選ぶ、という決断です。母親に声をかけてもらえなかった彼女が、誰かの隣にいることを望む。そこに、この物語の温かい核があると思って書きました。
コウイチが「変わっても、変わらなくても、ちゃんと帰ってこい」と約束する場面は、前世で誰にも言ってもらえなかった言葉を、今度は自分が言う側になる場面でもあります。
さて、光の繭の中で眠るアリシアは、翌朝どんな姿で目を覚ますのか。次回、彼女は人の姿になります。コウイチが本当に目のやり場に困る回になりますので、お楽しみに。
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