第8話 回復草
――あるじさま、かり、いってくる。
朝、アリシアは巣の入口で振り向いた。翼を軽く広げ、朝日を背に立つ姿は、もう幼竜と呼ぶには大きい。
――ちゃんと、しらせた。やくそく、まもった。
――ああ、偉いぞ。無理はするなよ。
――むり、しない。すぐ、かえる。
尾をぱたぱたさせながら、アリシアは空へ飛び立った。巻き起こる風で、俺は三回転した。
(毎回、これなんだよな……)
起き上がって、頭の葉っぱについた砂を払う。それから寝床のそばの水路に根を浸し、日向ぼっこを始めた。魔素感知(中)と、マナゴケ由来の体質のおかげで、ゆっくりと体が満ちていく。
温泉に浸かっているような心地よさ。前世では、こんな朝はなかった。
(ぼーっとしてる。俺、今ぼーっとしてるぞ)
喜びを噛みしめていると、ステータス画面の端が、ちかりと光った。
【ロイヤリティを受け取りました】
【Lv 3 → Lv 4】
(お、狩りが進んでるな。頑張ってるみたいだ)
俺は何もしていないのに、レベルが上がる。まだ慣れない感覚だ。罪悪感に近いものが胸をかすめる。
けれど、あの子は自分の意思で狩りをしている。俺にできるのは、待つことと、帰ってきたら迎えることだ。
*
待つあいだ、暇なので植物鑑定の練習をした。巣の周りを歩き、目についた草に意識を向けていく。
【ヒカゲソウ:雑草】
【毒キノコ(ベニカサ):食べると腹痛。触れるだけなら無害】
【ミズナ草:水辺に生える。葉は食用可】
そして、岩の陰にひっそり生えた、ぎざぎざの葉の草に触れたとき、表示が変わった。
【回復草:傷口に擦り込むと止血・鎮痛。煎じて飲むと体力回復。乾燥させると保存可能】
(これは……使えるな)
周りを見ると、同じ草が巣の周辺にいくつも群生していた。
万が一のために、集めておこう。根っこの手で丁寧に摘み取り、寝床の隅に積んでいく。乾かしておけば保存も利く。
前世では、こういう備えをする余裕もなかった。
(何かあってからじゃ遅いって、分かってたのにな)
小さな山ができた頃、日は西に傾き始めていた。
*
異変に気づいたのは、魔素感知だった。
遠くから、アリシアの魔素が近づいてくる。だが、揺らぎ方がおかしい。いつもの伸びやかな光が、ところどころ途切れて、不規則に明滅している。
(帰ってくる。……でも、これ)
巣の入口に影が落ちた。
アリシアが、着地する。いや、落ちてきた、という方が近い。
――ただいま、あるじさま。
前脚を引きずっている。鱗のあちこちが裂け、赤黒い血が滴っていた。背中には、爪で引き裂かれたような深い傷がある。
――アリシア!
根っこの足で駆け寄った。転びそうになりながら、竜の前脚にしがみつく。
――どうしたんだ、その傷は!
――だいじょうぶ。もう、おわった。
――大丈夫なわけあるか!
声が大きくなった。念話でも、声量というものがあるらしい。アリシアは目を丸くして、それから、しゅんと頭を下げた。
――ごめんなさい。
――謝るのは後だ。ここに横になれ。早く。
*
寝床の隅に積んでおいた回復草を、ありったけ掴んで戻った。
(落ち着け、落ち着け。植物鑑定を思い出せ)
【回復草:傷口に擦り込むと止血・鎮痛】
まず傷口を確認する。深い切り傷が三か所。血は止まりかけているが、汚れが入っている。水路の水を根っこで汲んできて、傷を洗った。アリシアは歯を食いしばって耐えている。
――痛いよな。ごめん、少しだけ我慢してくれ。
――だいじょうぶ。あるじさまの、てだから。
(そんなこと言われると、手が震える……)
回復草を潰して、傷口に擦り込む。緑色の汁が滲むと、アリシアの体がびくりと跳ねた。すぐに力が抜けていく。鎮痛作用が効いたようだ。
次に、草を煎じる。水を入れる器がないので、平たい岩に水を溜め、アリシアの炎で温めてもらった。少し体力を使わせて悪いが、この方法しかない。
――あるじさま、これ、のむの?
――ああ。苦いけど、我慢してくれ。
湯気の立つ薬を、前脚ですくって口に運ぶ。アリシアは顔をしかめたが、最後まで飲み干した。
しばらくすると、荒かった呼吸が落ち着いてきた。傷口の血が止まり、魔素の明滅も、少しずつ安定していく。
(よかった……。間に合った)
力が抜けて、その場にへたり込んだ。
*
落ち着いたところで、経緯を聞いた。
――アリシア。何があった?
――かり、おわって、かえるとき。うしろから、きた。
――魔獣か?
――うん。おおきい、やつ。とつぜん。
巣の近くまで戻ったところで、背後を取られたらしい。不意打ちだった。
――でも、たおした。ちゃんと、たおしたよ。
アリシアは顔を上げ、にっこり笑った。
傷だらけの顔で、屈託なく。
――ほめて、あるじさま。
その笑顔を見て、胸の奥がぎゅっとなった。
誇らしそうなのだ。傷を負ったことよりも、倒したことのほうが大事なのだ。それは「危険に反応して戦う」という彼女の性質だと分かっている。分かっているけれど。
ため息が漏れた。
――偉いのは分かった。でもな、アリシア。
――うん?
――無理しないでくれ。頼むから。
――むり、してない。
――してる。傷だらけじゃないか。約束、覚えてるか?
――……むり、しない。
――そう。それだ。今日は、ちゃんと帰ってきてくれてありがとう。でも、次はもう少し、自分を大事にしてほしい。
アリシアは少し黙ってから、こくんと頷いた。
――あるじさまが、かなしいの、いや。
――なら、約束な。
――やくそく。
アリシアはそっと前脚を伸ばして、俺の頭の葉っぱに触れた。ふわりとした、優しい仕草だった。
*
日が沈み、夜になった。
アリシアは寝床に丸くなり、すぐに眠りに落ちた。回復草と煎じ薬のおかげで、傷はゆっくり塞がっていくだろう。
俺は水路のそばで、月を見上げていた。
最近、巣の近くまで魔獣が来るようになった気がする。昨日までは見なかった大型の個体が、今日は背後を取ってきた。
(この森、何かおかしくなってないか)
考えても答えは出ない。ただ、頭の片隅に嫌な予感だけが残っていた。
明日も晴れるといい。そう思って、寝床に戻ろうとした。
夜空に、雲が動いた。
――ざわ。
魔素感知が、遠くの空で、ざらついた気配を捉えた。
翼の音だ。複数の。
まだ遠い。けれど確実に、こちらへ向かっている。
俺は息を殺して、静かに空を見上げた。




