第7話 初めての共同生活
――ああ。作ろう。ちゃんとした寝床を。
そう答えた俺は、まず巣の中を歩き回ることにした。
植物鑑定を使い、足元の地面に意識を向ける。岩の割れ目、土の溜まり、苔むした一角。それぞれに表示が浮かぶ。
【湿った岩:日照不足。植物の生育に不向き】
【乾いた砂地:水はけ良好。日照は午前のみ】
【腐葉土の窪み:栄養豊富。日照は正午から夕方まで】
(ここだな。この窪みだ)
巣の東側、岩壁が低くなった場所だった。朝から昼にかけて日が差し込み、風も避けられる。マンドラの体にも、たぶん相性がいい。
――アリシア、ここに寝床を作りたい。
――ここ? あるじさま、ここ、すき?
――ああ。日当たりが良い。
――わかった!
アリシアは元気よく答えて、俺の周りの枯れ枝を前脚で集め始めた。ばさばさ、ばさばさ。三回に一回は俺の頭に枝が降ってくる。
(優しさは分かる。分かるんだけど、痛い)
*
寝床の形が見えてきたところで、俺は言った。
――水がほしいな。近くに、きれいな水が流れてくれば助かる。
――みず!
アリシアの瞳が輝いた。
――アリシア、つくる! まかせて!
――いや、小さな水路でいいんだ。ちょろちょろ流れるくらいの――
聞く前に、アリシアは走り出していた。
巣の外の小川から、ここまで。その間の岩と土を、爪で掘り進めていく。ざくざくざく。爪は鋭く、力は強い。一掻きごとに、岩が豆腐のように削れていった。
(速い。すごく速い。……速すぎないか?)
嫌な予感がした。
――アリシア、待って、浅くていいから!
――だいじょうぶ!
全然大丈夫ではなかった。
水路は、俺の想定の三倍の深さと五倍の幅で完成した。小川の水がごうごうと流れ込み、寝床どころか、巣の床全体が浅い池になっていった。
(うわ、うわ、うわああ!)
根っこの足が水に浸かる。枯れ枝が浮かんで流れていく。積み上げた寝床の材料も、ぷかぷかと漂っていた。
巣の真ん中で、アリシアが得意げに胸を張っている。
――できた!
――……アリシア。
――ほめて、ほめて!
*
怒りが、腹の底から湧き上がってきた。
三時間かけて集めた寝床の材料が、水に浮いている。日当たりのいい場所は、膝下まで浸かっていた。だいたい、俺は「小さな水路でいい」と言ったのだ。何を聞いていた。
口を開きかけた。
――なんで人の話を聞かな……
その瞬間、記憶が重なった。
前世の上司の顔だ。書類を突き返し、「なんで言われた通りにできないの? 何回言えば分かるの?」と、ため息混じりに告げてくる顔。
あのとき、胸の奥が冷えていくのを覚えている。責められる側の、身の置き場のなさを。
言葉が、喉の奥で止まった。
(……待て。俺、今、あの上司と同じことを言おうとした)
アリシアの尾が、そっと下がっていた。褒められると信じていた顔が、少しずつ曇っていく。
――……あるじさま、おこってる?
――いや。
深呼吸の真似をした。息はしていないが。
――怒ってない。びっくりしただけだ。頑張ってくれたんだよな。
――……うん。あるじさま、みず、ほしいって、いった。
――言った。ありがとう。ただ、ちょっと深すぎた。
――ふかい……?
――そう。だから、二人でやり直そう。
アリシアの目が、ぱっと明るくなった。
*
まず、水路を埋め戻す作業から始めた。
俺が根っこの足で土の位置を指示し、アリシアが爪で少しずつ動かす。力加減は、何度も失敗しながら覚えていった。
――もっとそーっと。そう、その半分。
――そーっと……。
――そう、そう! いいぞ!
――できた!
――できたな! すごいぞ、アリシア!
誉めるたびに、アリシアの尻尾がぱたぱたと動く。巣の枯れ枝が飛ぶ前に、俺は先に前脚にしがみつくようになった。
水路は、幅を狭くして、浅く掘り直した。ちょろちょろと、澄んだ水が寝床の脇を流れていく。日差しを浴びて、水面がきらきら光った。
二人で並んで、その水の流れを眺めた。
――きれい。
――ああ、きれいだな。
寝床は、まだ半分もできていない。それでも、初めて二人で作ったものだった。
*
夕方には、寝床の骨組みが形になった。
枯れ草と柔らかい葉を敷き詰め、日向の窪みに、俺の居場所ができた。アリシアはその隣に丸くなり、当たり前のように俺を抱え込む。
――あるじさま、あったかい?
――ああ、あったかい。
――アリシアも。
すぐに、寝息が聞こえてきた。
まだ幼い顔だった。母親に声もかけてもらえないまま、一人で冬を越えた子だ。眠っていても、前脚の力がゆるまない。俺を離したくないのだろう。
(一人は、きついもんな)
前世の夜が、ふっと浮かぶ。誰もいないフロア。時計は午前三時を回り、終電も過ぎている。押しつけられた仕事の山と、ひとりきりで向き合い続けた夜。
あのとき、誰かが隣にいてくれたら。
たったそれだけで、違ったかもしれない。
(この子は、生まれた時から、それを一人でやってたんだ)
母竜は、なぜいなくなった。卵をあれだけ大事に温めていたのに、戻らない理由は何だ。あの北の空に、何があった。
――いつか、お前の母さんを探しに行こう。
声には出さず、心の中で誓った。
アリシアの寝息が、ゆっくりと巣に響く。水路のせせらぎが、その音に重なっていた。
日が沈み、星が出る。
ここに来て初めて、俺は「ぼーっとしていたい」という願いが、少しだけ叶った気がした。
明日からは、この子と一緒に暮らす。




