第31話 月樹の使者
三日かけて、俺たちは巣へ戻った。
陽だまりの巣は、少し草が伸びていたものの、水路は変わらず澄んだ音を立てていた。寝床の腐葉土に陽が当たっているのを見ただけで、肩の力が抜ける。
「主様、巣の周りを見回ってきます」
「わたくしも、ご一緒いたしますわ。留守のあいだに、魔獣が入り込んでいるかもしれませんもの」
――頼む。気をつけて。
二人は並んで巣を出ていった。後ろ姿が見えなくなるまで、肩がぶつかり合う距離で何か言い合っているのが聞こえた。
(あの二人、いつの間にか、一緒に動くのが自然になってるな)
*
一人になった巣で、俺は日向の寝床の脇に膝をついた。
リオネルからもらった聖樹の枝を、土の上にそっと置く。長さは腕ほど。白に近い樹皮に、翡翠色の光が細く走っている。
――植えれば、根を張る、だったな。
枝の手で土を掘り、枝の根元を差し込もうとした。
その瞬間だった。
枝が、ふわりと光った。
――え?
翡翠の光が、俺の手のひらに絡みつく。逃げる間もなく、枝がするすると形を崩して、光の粒になった。粒は、腕を伝って、体の奥へ染み込んでいく。
――ちょ、待て、吸収されてる!
熱い。けれど、不快ではなかった。心臓のあたりが、とくん、と脈打つ。聖樹の根に触れたとき、共鳴したあの感覚と、同じ質だった。
光が収まったとき、枝は、どこにもなかった。
右手の甲に、淡い葉脈のような模様が、薄く浮かんでいる。しばらく見つめているうちに、すっと消えた。
ステータス画面を開く。
【状態:聖樹の加護(微)】
(加護? 効果は……表示なしか)
詳細を開こうとしても、灰色のままだった。条件が足りないらしい。
(まあ、悪いものじゃなさそうだ)
そう思うことにして、俺は土をならした。
*
夕方、二人が戻ってきた。魔獣の気配は少なく、巣の周りは安全だったらしい。
日向の寝床に三人で座り、今後のことを話し合った。
――一つ、相談がある。
「はい、主様」
「何でございましょう」
――この巣を、いったん離れて、人の街へ行ってみたい。
二人が、同時に目を瞬かせた。
――アリシアの母さんを探すにも、情報が足りない。この森の中だけじゃ、限界がある。人の街なら、古い伝承や記録も残ってるかもしれない。
「人族の街、ですか」
「コウイチ様は、人を、ご覧になりたいのですわね」
――まだ、決めたわけじゃない。候補の一つだ。みんなの意見も聞きたい。
アリシアは少し考えてから、静かに言った。
「アリシアは、主様がどこへ行かれても、ついて行きます」
「わたくしも、ですわ。けれど、わたくしの体質のことは、人の街では、少し気を遣いそうですわね」
――それも含めて、考えよう。
話がまとまりかけた、そのときだった。
魔素感知が、巣の入口で、一つの気配を捉えた。
*
単身だった。
冷たい、けれど敵意のない魔素。あの夜明け前の術師の一団とは、似ているようで、違う。もっと澄んでいる。
アリシアとセルフィーナが、同時に立ち上がった。
「誰ですか」
「そこで、お止まりくださいませ」
巣の入口に、一人の男が立っていた。
濃紺の外套。浅黒い肌に、月明かりのような銀白の髪。長い耳。年は二十代後半に見える。
そして、顔が、整っていた。
凛々しい眉に、まっすぐな鼻筋。切れ長の瞳は、真剣そのもので、目を逸らさない。誰が見ても、イケメンと言う顔だった。
(うわ、本物だ……)
反射的に、俺は、横目で二人の様子を窺っていた。
アリシアとセルフィーナが、こういう顔を見て、「かっこいい」とか思うんじゃないか。そんな不安が、一瞬だけ胸をよぎった。
(いや、別に、俺のものでもないし。いや、そもそも……)
恐る恐る、二人の顔を覗き込む。
アリシアは、眉間に深い皺を寄せて、露骨に嫌悪の表情を浮かべていた。
セルフィーナも、微笑みは保っているが、目は氷のようだった。
(……よかった。いや、何がよかったんだ)
*
男は、武器を持っていなかった。入口の数歩手前で立ち止まると、ゆっくりと、片膝をついた。
「突然の無礼、お許しください。私はネフィラと申します。ダークエルフの里より、参りました」
アリシアの爪が、静かに伸びた。
「ダークエルフ。聖樹に、あの装置を仕掛けた連中の」
「その件について、まず、お詫びを」
ネフィラは、地面に額がつくほど、深く頭を下げた。
「あの装置は、一部の過激派の独断によるものです。我らの里の総意ではありません。我ら里の者は、装置の存在を、知りませんでした」
「口では何とでも言えますわ」
セルフィーナの声が、静かに冷えた。
「聖樹を傷つけた者の仲間が、のこのこと現れて、何を仰いますの」
「承知しております。信じていただけないことも」
ネフィラは、顔を上げなかった。
「それでも、お願いに参りました。私の里の月樹が、枯れかけているのです」
月樹。リオネルが言っていた、聖樹と対をなす樹だ。
「このままでは、数か月と持ちません。聖樹を蘇らせたあなた方の噂を聞き、里の者の中には、すがる思いの者も多い。どうか、お力を貸していただけませんか」
*
「帰ってください」
アリシアが、きっぱり言った。
「主様は、お前たちの都合で動く方ではありません」
「罠に決まっていますわ。こちらの戦力を探って、また、何か仕掛けるつもりでしょう」
二人は、完全にネフィラを追い返す構えだった。
「アリシア殿、セルフィーナ殿。仰るとおりです。疑われて当然です」
ネフィラは、頭を下げたまま、声を震わせなかった。
「ですから、私一人で来ました。武器も置いてきました。ここで殺されても、文句は言いません」
「じゃあ、殺します」
「アリシア」
俺は、慌てて止めた。
――……顔を上げてください、ネフィラさん。
彼は、ゆっくりと顔を上げた。
真っ直ぐな瞳だった。さっきの術師の、あの追い詰められた目と、同じ種類のものだった。
――あなたの里の月樹が、枯れかけている。それは、事実ですか。
「はい。私の命にかけて」
――聖樹の黒ずみとは、別の症状ですか。
「分かりません。ただ、弱り方は、似ております」
彼の声には、飾りがなかった。
(嘘をついているようには、見えない)
けれど、リオネルの里を傷つけた装置の件は、見過ごせない。信じたい気持ちと、疑う気持ちが、胸の中でせめぎ合っていた。
二人の肩越しに、ネフィラの横顔を見る。
彼は、まだ頭を下げようとしていた。二人に睨まれても、一歩も退かず、誠実に言葉を重ねようとしている。
前世で、頭を下げ続けてきた自分の姿が、重なった。
(俺なら、ここで、全部飲み込んで引き受けてしまう)
けれど、今の俺は違う。引き受けるにしても、条件を、ちゃんと自分で決められる。
俺は、深く息を吸った。
――ネフィラさん。同行するかどうかは、条件次第です。
アリシアとセルフィーナが、驚いて俺を振り返った。
ネフィラの瞳が、わずかに、光を帯びた。




