第27話 暴走する魔素
耳障りな高音が、客間の空気を震わせた。
円卓の上で、黒い装置が赤く脈打っている。欠けた月の刻印から、どす黒い霧が噴き出していた。
「全員、離れて!」
リオネルの叫びに、戦士たちの動きが止まる。霧に触れた床板が、じわりと黒ずんだ。
――これ、さっきまで静かだったのに……!
「主様、下がってください!」
アリシアが俺の前に立つ。けれど、霧は部屋じゅうに広がり始めていた。
*
戦士たちは、すでに戦意を失っていた。倒れた者を引きずりながら、慌てて外へ退いていく。残ったのは、俺たち三人とリオネルだけだ。
「……先に、お話しします」
リオネルが、青ざめた顔で装置を見つめたまま言った。
「その刻印は、ダークエルフのものです。我らエルフの、長年の宿敵」
――ダークエルフ。
「彼らの月樹が、聖樹と対をなす存在だと言われています。敵意を向け合って、もう三百年になります」
――三百年前……。
今は、その因縁を聞いている余裕がなかった。装置の脈動が、どんどん速くなっている。
――壊せば止まるか?
「分かりません。ただ、このまま放置すれば――」
俺は棒を生やした。魔力を通して、装置に叩きつけようとした。
――待て、触れた瞬間に、魔素が流れ込む感覚がある。
その直前に、魔素感知が警鐘を鳴らした。装置の内側に、膨大な魔素が溜め込まれている。壊した瞬間に、一気に解放される。
――壊すな! 溜まった魔素が暴走する!
遅かった。
棒の先が触れかけた拍子に、装置の外殻が割れた。
*
爆発のような衝撃が走った。
黒い魔素が、波のように溢れ出す。壁が軋み、窓が割れ、床の板が捲れ上がった。
「うあっ!」
息が詰まる。濃すぎる魔素が、体に刺さるようだった。
――セルフィーナ! 濾過を!
俺のスキルは貸与中で、自分では濾過できない。頼れるのは、彼女だけだ。
「お任せくださいませ!」
セルフィーナが、両手を広げて前に出た。
青い光が、彼女の掌から溢れる。暴走する黒い魔素が、光に飲まれて、少しずつ透明に変わっていく。
けれど、量が多すぎた。
「くっ……あ……!」
彼女の腕が震え、足が、ずりずりと後ろへ押されていく。
――セルフィーナ!
俺は、彼女の背中に回り込んだ。枝の手で、腰を支える。
「主様!」
アリシアも、反対側から彼女の肩を抱いた。二人で、彼女の体を、背後から押さえる。
「コウイチ様……アリシアさん……」
――一人じゃない。踏ん張れ!
「……はい!」
セルフィーナの光が、強くなった。
*
黒い魔素が、少しずつ薄まっていく。
けれど、完全には止まらない。濁流のような圧が、俺たちを押し返してくる。
視界が揺れた。
足が、床から浮いた。
――え。
次の瞬間、俺の体は、魔素の奔流に弾き飛ばされていた。割れた窓を突き抜け、空中へ。
「主様ぁっ!」
アリシアの悲鳴が、遠ざかっていく。
地面に叩きつけられる衝撃を覚悟して、目を閉じた。
どさり。
落ちた先は、柔らかかった。
目を開けると、そこは聖樹の根元だった。太い根が盛り上がり、苔むした表面が、衝撃を受け止めてくれたらしい。
――……いてて。
体を起こそうとして、枝の手を、地面に突いた。
その手が、聖樹の根に触れた。
*
光が、弾けた。
視界が、白く染まる。耳の奥で、低い響きが鳴った。何かが、深く、遠く、俺の中に流れ込んでくる。
【聖樹と共鳴しました】
(これは……)
意識が、ふっと、体から離れた。
見えたのは、断片だった。
深い森。巨大な枝葉。無数の命が、光の中で息づいている。その中心から、長い長い根が、地の底へ伸びている。
――ひ……と……
声とも、感情ともつかないものが、頭の中に響いた。
――ち……か……い……
痛みがあった。悲しみがあった。何かに身を削られている、深い疲労があった。
それでも、その底に、澄んだ思いがあった。
――……まもり、たい。
そして、一つの映像が、閃いた。
月の形をした、欠けた影。誰かが、その影の向こうで、静かに笑っている。
――あれは、敵じゃ、ない。
(敵じゃ、ない?)
聖樹が、何かを伝えようとしていた。
(何のことだ。誰が。何が)
問い返す間もなく、映像は砕けた。
*
「主様! 主様!」
現実に引き戻された。
目を開けると、アリシアが、俺の肩を掴んで揺さぶっていた。顔が涙でぐしゃぐしゃだった。
――……アリシア。
「主様、よかった……! よかった、です……!」
抱きしめられた。柔らかな感触に顔が沈む。今度ばかりは、いつものコメディ感がなかった。
――ごめん。心配させた。
「もう、離れないでください」
――ああ。
視線を上げると、広場の向こうから、リオネルとセルフィーナが走ってきた。
セルフィーナの顔色は悪いが、笑っていた。
「コウイチ様、魔道具の魔素は、全て濾過いたしましたわ。もう、暴走はございません」
――やったな。よく、耐えた。
「皆様のおかげですもの」
リオネルが、荒い息をつきながら、俺たちの前に立った。
「コウイチ殿。……ご無事で、何よりです」
その背後に、長老衆の一団が現れた。
先頭にいるのは、ハルヴァンだった。杖を握る手が、小刻みに震えている。
彼は、広場に転がる、割れた魔道具の残骸を見つめていた。
その顔から、あらゆる色が抜け落ちていた。
「そ……それは……」
囁くような声だった。
リオネルが、ゆっくりと彼に向き直った。
「ハルヴァン殿。お話を、伺いましょうか」




