第25話 糾弾
人だかりを掻き分けると、聖樹の根元で、セルフィーナが立ち尽くしていた。
幹に当てていた手は、もう下ろされている。額には汗が滲み、足元が少しふらついていた。それでも背筋だけは、いつもどおり伸びている。
その前に、老エルフが五人、扇状に立っていた。さっきの長老衆の一部だ。
「汚染の元凶は、死域の支配者であろう」
先頭の老エルフの声が、広場に響き渡った。
「死の領域から漏れた魔素が聖樹を蝕んだ。何が浄化か。己の撒いた毒を、己で拭って見せているだけではないか」
「そうだ。毒を撒いた者が、善人の顔で里に入り込むとは」
「里から出ていってもらおう。今すぐにだ」
周囲のエルフたちが、ざわめいた。賛同する声と、戸惑う声が入り混じっている。
――待て。
俺は前に出ようとした。その腕を、誰かが掴んだ。
リオネルだった。
「お待ちください。ここで前に出れば、長老衆は『外の者が里の内政に介入した』と言い立てます」
――でも、約束したはずです。仲間を疑いの目で見ない、と。
「分かっております。ですが、私が……私が、先に止めます」
彼女は人垣を割って、長老衆の前に歩み出た。
「やめなさい。彼女は、聖樹を救おうとしているのです」
「族長殿。貴殿が連れてきた客人だ。責任は貴殿にもある」
リオネルの肩が、微かに揺れた。死域のせいだと見ないふりをした自分の黙認が、今、返ってきている。
*
アリシアが、低く唸った。
「主様。あいつら、潰していいですか」
――だめだ。
「でも、セルフィーナが」
――分かってる。だから、もう少し待て。
喉の奥が、熱かった。怒りで、枝の手が震えている。
けれど、ここで暴れたら、セルフィーナが「やはり危険な連中の仲間」と見られて終わる。前世で学んだ。怒りに任せて動いた側が、結局は損をする。
視線の先で、セルフィーナが口を開いた。
「……わたくしは」
声は、震えていた。
「わたくしは、この樹を、傷つけるために来たのではございません」
涙が、ひとしずく頬を伝って落ちた。地面に触れても、煙は上がらない。彼女はそれを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「わたくしの身体から漏れた魔素が、もしもこの樹を蝕んだのでしたら、それは、わたくしの罪ですわ。ですから」
彼女は長老衆に向き直り、深く、頭を下げた。
「どうか、償わせてくださいませ。この樹が元気になるまで、わたくしに、続けさせてくださいませ」
長老衆の顔が、ぴくりと強張った。
罵倒が返ってくると予想していたのだろう。頭を下げられるとは、思っていなかったのだ。
「……口先だけなら、何とでも言える」
「ええ。ですから、手を動かしますわ」
セルフィーナは顔を上げ、再び幹に掌を押し当てた。
魔力濾過の青い光が、彼女の両手から溢れる。
*
光は、ゆっくりと、樹皮を這い上がっていった。
黒ずみが、墨が水に溶けるように薄れていく。一か所。二か所。三か所。広場のどこかで、息を呑む音が聞こえた。
幹の低い位置にあった、最も濃い黒ずみの一帯が、みるみる灰色になり、やがて、樹皮本来の茶色に戻った。
「……戻った」
「黒ずみが、消えた」
子供のエルフが、母親の裾を引いて言った。
「おかあさん、あのおねえさん、きれいにしてる」
母親は答えなかった。ただ、セルフィーナの背中を、じっと見つめていた。
ざわめきの質が、変わっていく。疑いから、戸惑いへ。戸惑いから、見守る視線へ。
長老衆の一人が、言葉を探すように唇を動かした。
「……一部が浄化されたくらいで、何を」
「では、あなたが、同じことをなさってみてはいかがでしょう」
リオネルが、静かに言った。
老エルフは黙った。
セルフィーナの手は、まだ光っている。けれど、肩が小さく震え始めていた。魔素の枯渇が、近い。
*
――セルフィーナ。
俺は人垣を抜けて、彼女の隣に歩み寄った。長老衆が何か言いかけたが、リオネルが視線で制してくれた。
――今日は、そこまでだ。
「コウイチ様……ですが、まだ」
――約束したろ。日が暮れたら迎えに来るって。休憩を挟めって。
彼女は、泣きそうな顔で俺を見た。
――十分やった。みんな見てる。続きは、明日にしよう。
「……はい」
光が消える。ふらりと傾いだ体を、アリシアが素早く抱き留めた。
「セルフィーナ。しっかり」
「アリシアさん……ふふ、助かりますわ」
「私に借りを作ったと思わないでください」
「ええ、思っておりませんわ」
そう言うアリシアの腕は、優しかった。
周囲のエルフたちが、道を開ける。先ほどまでの刺すような視線は、少し柔らかくなっていた。完全には消えていない。けれど、風向きは、確かに変わり始めている。
俺は、幹の根元に、ちらりと目を向けた。
*
そのとき、魔素感知(中)が、微かに震えた。
聖樹の根元、白い縄の内側。地中の奥深く。
冷たい。
セルフィーナの酸とは違う。魔獣の濁りとも違う。整然と並んだ線のような、無機質な魔素。自然に生まれたものとは思えない、作り物の気配だった。
(人工的、だ)
背筋に、氷を当てられたような感覚が走った。
さっきの「引っ掛かり」の正体に、指先が触れた気がした。この汚染は、誰かが意図して流し込んでいる。
――リオネルさん。
俺は声を落として、彼女の耳元に念を飛ばした。
――今夜、根元を調べます。長老衆の目を盗んで。
リオネルは、一瞬目を見開いた。それから、微かに頷いた。
――宿に戻って、セルフィーナを休ませます。夜になったら、動きます。
夕暮れの光が、聖樹の梢を金色に染めていた。
その根元の奥深くで、何かが、静かに息を潜めている。




