第24話 長老衆
ハルヴァンは、呼び出しから一刻ほど遅れて現れた。
白い髭を蓄えた、痩せた長身のエルフだった。見た目は五十代の男性だが、リオネルの話では八百歳を超えているという。深緑の長衣の裾を引きずり、杖を突きながら、ゆっくりと客間に入ってきた。
後ろに、同じような衣の老エルフが三人、影のように続く。
(三人も連れてきたか。防衛線を張る気満々だな)
彼は円卓の向かいに腰を下ろし、俺とアリシアを、ちらりとも見なかった。
「族長殿。急なお呼び立てとは、何事ですかな」
声は穏やかだった。穏やかすぎて、壁のようだった。
*
「ハルヴァン殿。単刀直入にお伺いします」
リオネルが、背筋を伸ばして切り出した。
「この秋、里の外から来た者を、聖樹に近づけたそうですね。私に無断で」
「はて。何のことやら」
「衛兵の記録に残っております。日付も、通した門も」
「客人をもてなすのは、里の掟にかなうことですぞ」
「聖域に、ですか」
ハルヴァンは、髭を撫でた。
「客人は、里を害しておりません」
「聖樹は今、黒く蝕まれています」
「それは、死域の汚染でありましょう。族長殿も、そう仰っていたはずだが」
リオネルの唇が、きゅっと結ばれた。自分が黙認した発言を、盾にされたのだ。
「その客人とは、どなたでしたか。名前は」
「里の内政に、口出しは無用でござる」
「名前を、お聞きしているだけです」
「客人は客人。それ以上でも以下でもない」
同じ言葉が、形を変えて何度も繰り返される。
(見事な壁だな。質問を受け止めて、同じ場所に打ち返してくる)
前世で、クレーム対応の研修を受けたことがある。理不尽な相手の対処法として、最初に習うのは「反論しない」ことだった。
俺は、枝の手を上げた。
*
――ハルヴァンさん。少しだけ、よろしいですか。
初めて、老エルフの視線が俺に向いた。冷ややかな灰色の瞳だった。
「……植物の御方が、何か」
――コウイチと申します。まず、お忙しいところ、お時間をいただいたことに感謝します。
頭を下げる真似をした。ハルヴァンの眉が、わずかに動く。
――お話を聞いていて、理解したことがあります。ハルヴァンさんは、里の掟と、聖域の静けさを守るために、慎重になっておられる。そうですね。
「……いかにも」
――その姿勢は、尊いものだと思います。長く里を守ってきた方の判断を、私は疑いません。
アリシアが「主様?」と小声で囁いたが、手で制した。
――ただ、一点だけ教えてください。ハルヴァンさんが、客人を通したのは、聖樹にとって良いことだと判断されたからですか。それとも、悪いことになるとは思っていなかった、ということですか。
「…………」
ハルヴァンの口が、わずかに開きかけて、閉じた。
答えに詰まったのが分かった。「良いこと」と答えれば、今の黒ずみと矛盾する。「悪いとは思わなかった」と答えれば、見通しの甘さを認めることになる。
どちらを選んでも、責めずに、相手自身に考えさせる問いだった。
「……答える必要はない」
低く言って、ハルヴァンは杖を握り直した。
後ろに控える老エルフの一人が、かすかに視線を泳がせた。
(効いてる。ただ、これ以上は押せないな)
完全に閉じられる前に、俺は一歩引いた。
――失礼しました。では、お答えは結構です。
老エルフたちの肩から、力が抜けたのが分かった。
*
「これ以上、お話しすることはない」
ハルヴァンは立ち上がった。
「族長殿、このような場を設けられるのは、里の秩序に反しますぞ。外の者を、屋敷に引き入れて、長老衆を詰問するとは」
「詰問ではありません。事実の確認です」
「同じことだ」
そのまま、彼は背を向けて、扉へ歩き出した。後ろの三人が慌てて続く。
扉の前で、ハルヴァンの足が一瞬止まった。
背を向けたまま、彼は言った。
「聖樹は、我らが守る。外の者の手は、要らぬ」
扉が閉まった。
客間に、重い沈黙が落ちた。
「……申し訳ありません」
リオネルが、頭を下げた。
――いえ。何も得られなかったわけじゃありません。
俺は、さっきの老エルフの泳いだ視線を思い出していた。
*
その後、俺たちは屋敷を出て、聖樹の広場へ向かった。
セルフィーナを迎えに行く前に、根元の様子だけでも確認しておきたかった。ハルヴァンの「聖域」という言葉が、引っかかっていたからだ。
広場の奥、聖樹の根元には、白い縄が張られていた。縄の内側に、長老衆が十人ほど立ちはだかっている。
「ここより先は聖域。他種族は立ち入りを禁ずる」
先頭の老エルフが、杖を横にして道をふさいだ。
――根元を、少し調べたいだけです。黒ずみの原因が、見つかるかもしれない。
「ならぬ」
「族長として命じます。道を開けなさい」
リオネルが前に出た。
「族長殿といえど、聖域の掟は里の根幹。長老衆の合議なくして、例外は認められぬ」
「合議を経ている時間は、ありません」
「ならば、待たれよ」
堂々巡りだった。リオネルの声が、少しずつ硬くなる。長老衆の杖が、じわりと前へ出る。
広場に集まり始めたエルフたちが、ざわついていた。族長と長老衆が、公然と対立している。
空気が張りつめて、誰かが一言でも間違えれば、割れる。
(ここで押したら、リオネルの立場を壊す)
俺は、リオネルの袖を、枝の手で軽く引いた。
――今日は、引きましょう。
「ですが」
――無理に通っても、証拠を潰されるだけです。焦らなくても、調べる方法はあります。
彼女は悔しそうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。
踵を返す。背中に、長老衆の視線が刺さった。
(聖域に入れない。長老衆は、何かを隠している)
確信に近いものが、胸の中で固まっていく。
ふと、広場の向こうを見た。
聖樹の根元で座っているはずのセルフィーナの姿が、人だかりの陰になって見えない。
人だかりが、やけに大きい。ざわめきが、さっきとは別の質で広がっていた。
嫌な予感が、背筋を駆け上がった。
――アリシア。
「はい、主様」
――セルフィーナのところへ、行くぞ。




