第21話 野営の夜
夜の森は、静かだった。
エルフたちは野営地の中央に小さな焚き火を組み、交代で見張りを立てている。アリシアとセルフィーナは、近くの小川へ水を汲みに行っていた。二人は最初「主様を一人にはできません」と渋ったが、リオネルの部下が見ている前で俺が首を振ると、しぶしぶ出ていった。
(今なら、誰も見てないな)
俺は野営地の端、大きな岩の陰へ、そっと移動した。
ドリアード・スプラウトになってから、試したいことがあった。
枝の腕を持ち上げて、右手に魔力制御を集中させる。指先の若葉が、ふるりと震えた。
――伸びろ。
右手の枝が、ぐぐっと太く長くなる。表皮が硬く締まり、先端が尖った。
長さ、およそ八十センチ。
――棒だ。
自分の手から生えた、木の棒だった。
*
(前世の体育以来だな、こういうの)
中学の剣道の授業。竹刀を持たされ、面を打つ練習をした記憶が、ぼんやり残っている。
両手で握る。片方は枝、もう片方は生やした棒を握る、という奇妙な構えだ。構えてから気づいた。
(これ、片手で持つものか)
棒は右手から直接生えている。握る、というより、腕の延長だった。
――えいっ。
振り下ろす。ぶん、と風を切る音がして、勢い余って自分の足を打った。
――痛っ!
植物でも痛い。もう一度、慎重に構える。
――やっ。
ぶん。
――はっ。
ぶん。
三十回ほど振ったころ、腕の力の入れ方が少し分かってきた。魔力を棒の中心に通すと、しなりが良くなって、軌道が安定する。
【スキル「剣技」を取得しました】
脳内に声が響いた。
(お、来た)
視界が、少しだけ開けた気がした。振り下ろす軌道の先に、見えない敵の姿が浮かぶ。半歩踏み込み、手首を返して、斜めに払う。今度は、一度も自分を打たなかった。
(これなら、少しは戦えるかもしれない)
悪くない。前に出ると決めた分、身についた実感が嬉しかった。
*
「コウイチ殿」
背後から、声がした。
――うわっ!
反射的に、棒を手の中へ押し戻す。ぐにゃりと戻って、右手はいつもの枝の形になった。
振り返ると、リオネルが立っていた。焚き火の光を背にして、翡翠色の髪が淡く光っている。
「驚かせてしまいましたか。申し訳ありません」
――いえ。ちょっと、夜風に当たっていただけです。
我ながら苦しい言い訳だった。植物が夜風に当たる、とは。
リオネルは、静かに微笑んだ。
「お隣、よろしいでしょうか」
――どうぞ。
彼女は岩に腰を下ろした。黒い生地の裾が揺れて、細く白い太ももが月明かりに映る。ニーハイの縁との境目が、やけに目に入る。
(見るな。見るな。族長だぞ)
*
リオネルは、まず自分の里の話を始めた。
エルフは、里の中心にある聖樹の恵みを受けて生きている。聖樹が放つ魔素が、彼らの体を守り、寿命を延ばす。他の種族よりずっと長命なのは、そのおかげだという。
「その分、里から出ることを好まない者が多くて。外の種族とは、ほとんど交わってきませんでした」
――閉鎖的、ってことですね。
「ええ。恥ずかしながら」
得意なのは、弓と風の魔法。森の中で風を読み、音もなく矢を放つ。それが、エルフの戦い方らしい。
(前世の記憶どおりだな)
美形で長命で、森に住んで、弓が得意で、閉鎖的。ゲームや漫画で見たエルフそのものだった。口元がゆるみそうになるのを、必死にこらえる。
「私自身、もう四百年を超えて生きております」
――四百年!?
「ええ。まだ、族長としては若輩者と言われますが」
見た目は二十代前半だ。四百歳と言われても、実感が湧かない。
(四百歳で若輩者。エルフ社会、どうなってるんだ)
*
リオネルの話を聞きながら、俺の思考は少しずつ脇道へ逸れていった。
エルフの里には、彼女のような美形が大勢いるのだろうか。全員があの露出の多い服なのだろうか。
(エルフの里……ハーレム……いや、ダメだ、それは違う。違うが、行くのはやぶさかではない)
頭の中で、エルフの美女たちに囲まれる光景が、勝手に膨らんでいく。長い耳、白い肌、翡翠の髪。動くたびに揺れる、ミニ丈の――。
――ふふ、ふふふ。
「コウイチ殿?」
――あ、いえ。何でもないです。
鼻の下が伸びていたかもしれない。鼻はないが。
「あの、私の顔に、何かついておりますか」
――ついてないです、全然。
その瞬間、背後の茂みががさりと鳴った。
*
「主様」
振り返らなくても分かる声がした。
水を汲んだ革袋を両手に提げたアリシアが、ぬっと現れた。金色の瞳が、俺とリオネルの間を、ゆっくり往復する。
「その、楽しそうなお話ですね」
「あらあら、随分と夜更けまで」
反対側から、セルフィーナが微笑みながら歩いてくる。目は少しも笑っていない。いつもの穏やかな口調が、かえって怖かった。
二人は、当然のように俺の左右に座った。アリシアが右、セルフィーナが左。リオネルは、岩の上で完全に挟まれた形になった。
「リオネル殿。主様に、何のご用でしたか」
「主様にご質問があるなら、わたくしどもを通していただけると助かりますわ」
「い、いえ、その……」
リオネルの背筋が伸びた。四百年生きた族長の声が、少しだけうわずる。
――二人とも。そんな怖い顔しなくても。ただの世間話だ。
「世間話に、鼻の下を伸ばす必要はございませんわ」
――伸ばしてない。
「伸ばしていました」
――鼻がないから伸ばせない。
「そういう問題では、ありません」
完全に見られていた。
リオネルは、俺たち三人の応酬をしばらく見ていた。それから、口元に手を添えて、ふっと微笑んだ。
「……仲がよろしいのですね」
「「当然です」」
二人の声が、きれいに揃った。
「では、私はそろそろ失礼いたします。ゆっくりお休みください」
リオネルは静かに立ち上がり、他のエルフたちのもとへ戻っていった。月光の中に、翡翠色の髪が溶けていく。
その背中は、どこか楽しそうに見えた。
*
結局、その夜は二人に挟まれて眠ることになった。
右側からは、アリシアの体温が、あたたかい。左側からは、セルフィーナの冷たく心地よい気配が伝わってくる。
(剣技も取れたし、悪くない夜だった。……結果的に、怒られたけど)
目を閉じる前に、右手を握った。指先から、木の棒がわずかに顔を出す。
(また、明日も練習しよう)
そうしてまどろむうち、夜が更けていった。
三日目の昼、木々の間から、巨大な緑の影が見えてきた。
空を突き刺すような、大樹の梢だった。




