第20話 エルフの里へ
巣を出て、森の東へ。
先頭はリオネル。その後ろにエルフの一団が続き、最後尾を俺たち三人が歩く。身長一メートルになった俺の歩幅は、まだ頼りない。それでも自分の足で歩けるのが、嬉しかった。
「主様、足元に木の根があります」
――分かってる。自分で避けられる。
「では、手を」
――いらない。
「……いらないのですか」
アリシアの尻尾がなくても分かる、しゅんとした空気が流れた。
――……やっぱり、手だけ貸してもらう。
ぱっと顔が明るくなる。ちょろい。いや、俺も大概だ。
前を歩くエルフたちが、ちらちらとこちらを振り返っていた。
*
半日ほど進んだところで、魔素感知が反応した。
――来るぞ。左前方、五つ。
言い終わる前に、茂みから黒い牙の群れが飛び出してきた。濁った目の大型の狼だ。エルフたちが弓を構える。
「下がっていてくださいませ」
セルフィーナが一歩前に出て、指先を振った。
水の鞭が三本、空を裂く。狼の足を絡め取り、地面に叩きつけた。残る二頭にはアリシアが跳び込む。拳が一閃し、氷の霜が走って、二頭は凍りついたまま動かなくなった。
わずか十秒。
エルフたちは、矢をつがえる暇すらなかった。
「……あれが、古代龍の末裔と、死域の支配者か」
「聞いていた以上だ……」
半ば畏怖、半ば恐怖の声が、背後で漏れる。
ところが、当の二人は、戦いが終わるや否や、くるりと俺のほうへ振り向いた。
「主様、倒しました! ご覧になりましたか?」
「コウイチ様、お怪我はございませんこと?」
俺は溜息をついた。
――アリシア。今、凍らせるとき、木も一緒に凍っただろ。
「え……」
――セルフィーナ。水の鞭で、エルフの方の外套が濡れてる。
「まあ……」
二人は顔を見合わせ、揃ってうつむいた。
――強いのは分かった。でも、周りをちゃんと見ろ。倒せば終わりじゃない。
「「はい……」」
エルフたちの足が、止まっていた。
*
「……叱って、いる」
「あの二人を、叱っているのか」
「しかも、二人とも素直に聞いて……」
ざわめきが広がる。リオネルが、後ろの部下に小声で何か言うのが聞こえた。
「あの方は、一体何者なのだ……」
――聞こえてるぞ。
俺が言うと、エルフたちが一斉に背筋を伸ばした。
俺は普通にしているだけなのに、株が勝手に上がっていく。ただの叱責が、彼らには「二大災厄を従える威厳」に見えるらしい。
(違う。ただの、生活指導だ)
その後も、同じようなことが続いた。
昼休憩のとき、アリシアが「主様、あーん」と干し肉を差し出してきた。断ったら「いらないのですか……」と落ち込む。食べられないので、代わりに頭を撫でた。すると、隣でセルフィーナが静かにこちらを見ている。
――……はい、セルフィーナも。
撫でると、蕩けた顔で「コウイチ様……」と小さく呟く。
それを、十人以上のエルフが見ていた。
「あの死域の支配者が、あんな顔を……」
「古代龍の末裔が、頭を撫でられて、尻尾を……いや尻尾はないが、確かに揺れて見える……」
勝手な解釈が飛び交う。一人の若いエルフが、震える声で言った。
「あの方は、我らの想像を超えた存在なのでは」
違う。ただのカカシだ。
*
夕方、少し開けた場所で足を止めた。
セルフィーナが、俺の隣で、ふと小さく息を吐いた。魔獣を退けたときの明るさが、消えている。
――セルフィーナ。
「……はい」
――さっきから、黙りがちだな。
「いえ、そのようなことは」
――里の聖樹のことを、考えてるんだろ。
彼女は答えなかった。笑顔のまま、指先だけが袖を握っている。
俺は枝の手で、その手を軽く叩いた。
――大丈夫だ。汚染されているなら、除染すれば済む話だ。お前のせいだったとしても、直せる。直せるものは、責任じゃなくて仕事だ。
「仕事……」
――そう。仕事なら、みんなでやる。一人で抱えなくていい。
セルフィーナは、ゆっくりと瞬きをした。
「……コウイチ様は、時々、とても変わったことを仰いますわね」
――前世が、そういう職場だったんだ。
言ってから、しまったと思ったが、彼女は何も聞かず、ただ微笑んだ。
「では、その仕事、お手伝いさせていただきますわ」
少しだけ、声が明るくなっていた。
*
野営の準備が始まったころ、リオネルが近づいてきた。
「コウイチ殿。少し、よろしいでしょうか」
――はい。
「不躾ながら、お尋ねしたいことが」
彼女は声を落とした。
「この前の冬あたりから、森の魔獣が活発になっております。古代龍様の気配が消えた影響かと存じますが……何か、ご存じではありませんか」
冬。秋の終わりに、母竜が飛び去った。
――……いえ、知りません。
嘘ではなかった。知っているのは、卵を残して飛び去ったという事実だけだ。
アリシアの横顔を、ちらりと見る。彼女は、リオネルの話を聞いていたのか、いないのか、木の枝で地面に何かを描いていた。
母親のことは、他人事のような顔をする。けれど、この子が本当は何を思っているのかは、まだ分からない。
卵を大事に温めていた。あの目は確かに、愛情だった。それなのに、突然巣を飛び出して、二度と戻らなかった。
(なぜだ。何かに、呼ばれたようにも見えた)
思い返しても、答えは出ない。
(アリシアのためにも、早く探してやらないとな)
枝の手を握りしめて、俺は北の空を見上げた。
星が、ひとつ、またたいた。




