第18話 エルフの来訪
茂みが、ざわりと割れた。
最初に見えたのは、弓だった。次に、緑を基調にした外套。そして、木漏れ日を受けて淡く光る、細長い耳。
(エルフだ)
本物のエルフだった。前世で何百回も妄想した、あのエルフ。ゲームや漫画で見慣れた種族が、目の前に十人ほど並んでいる。
(うわ、本当にいるんだ……!)
緊迫した場面のはずなのに、好奇心が勝ってしまった。枝の手を握りしめながら、まじまじと見入る。
「主様、下がってください」
「コウイチ様、前に出てはいけませんわ」
左右から同時に腕を掴まれた。しまった、見すぎた。
*
エルフたちは、弓こそ携えているものの、矢はつがえていなかった。全員の顔が緊張で強張っている。視線はアリシアとセルフィーナに釘付けだった。
その集団の中から、一人の女が、ゆっくりと前へ進み出た。
二十代前半に見える。月光を溶かしたような光沢を持つ、翡翠色のロングヘア。後ろで緩く結ばれ、歩くたびに背中で揺れた。切れ長で鋭い翡翠の瞳はやや吊り気味で、白い肌は滑らかだが血色が薄い。細身ながらしなやかな肢体が、無駄のない歩みに表れていた。
服装は、黒を基調にした光沢のある生地だった。腰には薄い装飾用のベルトが巻かれ、そこから短い布が左右に垂れているだけ。太ももは大胆に露わで、足元は黒の薄いニーハイに包まれている。
(露出、多いな……。いや、戦闘や儀式向けの実用性ってやつか)
視線が、あっさり太ももに吸い寄せられた。アリシアの腕に、ぎゅっと力がこもる。
「主様」
――見てない。
「まだ何も言っていません」
(またこれか)
*
女は、怯えを押し殺すように背筋を伸ばし、一歩、また一歩と近づいてきた。
巣まで、あと十歩ほど。
「それ以上、近づかないで」
セルフィーナの声だった。いつもの柔らかさは消え、氷のように冷たい。両手に、水の魔素が渦を巻いている。
女は足を止めた。
空気が、張りつめた弦のように震えている。アリシアの角は光り、爪が伸びていた。エルフたちの誰かが、ごくりと喉を鳴らす。
(まずい。このままだと、本当に戦闘になる)
どう収めればいい。俺が出ていくべきか。いや、下手に出て刺激するのも危ない。前世の営業の心得を必死に思い出す。まずは相手の話を聞く。それが鉄則だ。
その間に、女が口を開いた。
「突然の訪問、お許しください。わたくしはリオネル。エルフの里で、族長を務めております」
声は落ち着いていたが、指先が小さく震えていた。
「争うために来たのではありません。どうか、話を聞いていただきたく」
アリシアとセルフィーナは、顔を見合わせた。
目で会話をしたらしい。二人の警戒が、ほんの少しだけ緩む。
*
リオネルは、深く息を吸ってから、続けた。
「古代龍の末裔様と、死域の支配者様が、こちらに住まわれていると聞きました。同じ森に暮らす者として、まずはご挨拶に伺った次第です」
(古代龍の末裔と、死域の支配者?)
誰のことかと考えて、すぐに気づいた。アリシアとセルフィーナのことだ。いつの間にか、そんな二つ名がついていたらしい。
当の本人たちは、というと。
アリシアの口元が、ぴくりと歪んだ。セルフィーナが、扇のように手を口元に添える。二人はもう一度顔を見合わせ、堪えきれないように、ふっ、と失笑した。
「あら」
「ふふ」
リオネルの肩が、びくりと跳ねた。
「な……何か、失礼を」
「ええ、失礼ですわ」
セルフィーナが、上品な笑顔のまま、ぴしゃりと言った。
「ご挨拶をなさる相手を、お間違えでございます」
アリシアが、胸を張る。
「私たちの主は、こちらの方です」
二人の手が、同時に俺のほうへ向いた。
エルフたちの視線が、一斉にこちらへ集まる。
――え。
カカシのような姿の、身長一メートルの植物に。
――え?
*
「私たちの主、コウイチ様へ、まず先に挨拶なさるべきです」
「わたくしどもへのご挨拶は、それからですわ」
アリシアとセルフィーナは、示し合わせたように一歩下がり、俺の前で、静かに片膝をついた。
赤銅色の髪と、蒼い髪が、同時に垂れる。
二人が、深く頭を下げた。
森が静まり返った。
風の音だけが、木々の間を抜けていく。
(待て。待て待て待て。俺は何も頼んでないぞ!)
背中に嫌な汗が流れる。汗をかく体ではないが、感覚としてはそうだった。
リオネルの翡翠の瞳が、二人の跪く姿と、その頭上にいる俺とを、何度も行き来した。信じられないという顔から、みるみる血の気が引いていく。
古代龍の末裔と、死域の支配者。どちらも、この森では恐れられる存在だ。その二人が、頭を垂れている。
リオネルの唇が、わなないた。
次の瞬間、彼女は慌てたように膝を折った。
「も、申し訳ございません! 大変なご無礼を!」
背後のエルフたちも、慌てて一斉に跪く。弓が地面に置かれ、草が擦れる音が響いた。
十人以上のエルフが、揃って俺に頭を垂れている。
――…………。
どうしていいか、分からない。
前世で、こんな場面に遭遇した経験はゼロだった。取引先の謝罪を受けたことすらない。俺は枝の手を宙に浮かせたまま、固まっていた。
左右で、跪いたままの二人が、顔を上げずに、ちらりとこちらを見た。
「主様」
「コウイチ様」
――……何でしょう。
「どうか、お言葉を」
「何なりとお申し付けくださいませ」
(俺に振るな)
手のひらサイズだった頃なら、逃げ込める枝の山もあった。今の身長一メートルでは、隠れる場所もない。
俺は、おそるおそる口を開いた。
――あの、その……とりあえず、顔を上げてください。




