第17話 前に出る
朝、目を覚ますと、巣の中は空っぽだった。
寝床の両脇に、温もりだけが残っている。魔素感知を広げると、二人の反応は巣の外、それも少し遠くにあった。
【ロイヤリティを受け取りました】
【Lv 11 → Lv 12】
通知が流れる。これで今朝二回目だ。
この数日、毎日がこの調子だった。アリシアとセルフィーナは、日の出とともに巣を出て、周辺の魔獣を片端から駆逐して回っている。死の領域の濁りが薄れてきたせいか、凶暴な個体は減ったものの、行き場を失った魔獣が巣に近づいてくるのだ。
その一体倒すたびに、俺のところへ経験値が流れ込む。
(俺、寝てるだけなんだよな……)
MPは、もう満タンだった。動けるようになった体で、巣の入口まで歩いてみる。遠くで、氷の砕ける音と、水の爆ぜる音がした。
*
昼前、二人が戻ってきた。
「ただいま戻りました、主様!」
「ただいま戻りましたわ、コウイチ様」
アリシアは頬に返り血をつけたまま、誇らしげに胸を張っている。ぷるんと揺れるおっぱいが、黒いレース調の上着を内側から押し上げていた。その隣で、セルフィーナが優雅に髪を払う。ゆるいタンクトップの下で、こちらも豊かなおっぱいがゆさりと揺れた。
(今日も眩しい……)
「今日は、大きいのを三体倒しました。主様の巣は安全です」
「わたくしは、逃げようとした個体を水で拘束いたしましたわ」
――ありがとう。二人とも、怪我はないか?
「ありません」
「ございませんわ」
声が揃う。二人は視線を合わせ、小さく火花を散らした。
そのやり取りを眺めながら、俺はふと、胸の奥に重たいものを感じた。
二人が戦っている間、俺は何をしていた。寝床で日向ぼっこをしていた。指示を出したのは、片付けの時と、叱った時くらいだ。
(このままだと、前世と逆の意味でまずいんじゃないか)
前世の俺は、全部を背負って潰れた。今の俺は、全部を任せきりにしている。
どちらも、対等じゃない。
*
その夜。二人が寝静まったあと、俺は一人で巣の外に出た。
月が明るい。魔素感知(中)で周囲を探ると、遠くに小さな魔獣の反応が一つだけあった。
根っこの足で、そっと近づく。
木陰から覗くと、灰色の野ウサギに似た魔獣が、草を食べていた。角が一本生えていて、濁った目をしている。
手のひらサイズの俺にとっては、十分に大きい。
(やれるか?)
足元の石を握る。投擲は、持っている。
振りかぶって投げた。石は魔獣の背中に当たり、ぴくりと動かせただけだった。
次の瞬間、魔獣がこちらを向いた。
角が、俺めがけて突き出される。
――うわっ!
転がって避けた。頭の葉っぱが数枚、ちぎれ飛ぶ。二撃目。三撃目。逃げるだけで精一杯だった。
結局、俺は情けなく巣まで逃げ帰り、入口で待っていたアリシアに抱きとめられた。
「主様。夜に一人で外へ出るのは、約束違反です」
――……すみません。
「危ない場所に行くときは、知らせる約束でした」
――はい。
三つの約束を、俺のほうが破っていた。返す言葉もない。
アリシアは怒った顔のまま、俺の葉っぱについた土を、丁寧に払ってくれた。
*
翌朝。ステータス画面の端が、光っていた。
【進化条件を達成しました】
【進化先を選択してください】
(来たか)
一覧が展開する。
【ドリアード・スプラウト】
【ウォーキング・ブルーム】
【ハイ・マンドラ】
【( )】
最後の項目は、まだ灰色だった。名前は空白のまま、反応しない。
(まだ、足りないのか)
残りを見ていく。ハイ・マンドラは、今より少し大きいマンドラ。ウォーキング・ブルームは、花を咲かせて胞子を撒く支援型だ。どちらも悪くない。
ドリアード・スプラウトの説明欄で、視線が止まった。
――樹木の精霊の若芽。枝を手として操る。魔力制御の才を得る。
枝を、手として操る。
(手が、生える)
今の俺は、根で歩けるだけで、物を掴むのがやっとだ。石を投げても、蚊に刺された程度にしかならない。
二人に任せきりにしない。一緒に戦う。そのためには、まず手が要る。
「主様。進化、なさるのですか?」
背後から、アリシアの声がした。振り返ると、二人が心配そうに並んで立っている。
――ああ。自分でも前に出たいんだ。お前たちにばかり、頑張らせたくない。
「……主様は、後ろにいてくださって、良いのですが」
――それは、分かってる。でも、俺がそうしたい。
言い切った。アリシアは唇を結び、それから小さく頷いた。
「主様がそう決めるなら」
「コウイチ様のお気持ち、しかと受け止めましたわ」
セルフィーナが、優しく微笑んだ。
*
【ドリアード・スプラウトに進化しますか?】
【はい】
体が、光に包まれる。
熱い。芯から溶けて、また組み上がっていく感覚があった。前回よりも、ゆっくりと。根がしなやかに伸び、胴が伸び、何かが両脇から生えてくる。
光が収まったとき、視線が高くなっていた。
目線の先に、アリシアの腰がある。
(あれ、近い)
足元を見ると、根っこの足がしっかりと太くなっていた。両側から、細い枝が二本、腕のように伸びている。指先には、若葉の芽がついていた。
身長は、一メートルほど。全体のシルエットは、田んぼに立つカカシのようだった。
(手だ。手がある……!)
枝の腕を持ち上げてみる。ぎこちないが、思い通りに動く。掌を開いて、閉じて、もう一度開いた。
【スキル「魔力制御」を取得しました】
魔力の流れが、以前より明瞭に見える。体の中を巡るものを、自分の意思で細く絞ったり、束ねたりできた。
(これなら、戦える……かもしれない)
喜びに浸る間もなく、視線が二人へ向いた。
二人は、目を丸くして俺を見ていた。
「主様……」
アリシアの声が、震えている。
俺は、思い切って、枝の手を伸ばした。
背伸びをして、アリシアの頭にそっと触れる。赤銅色の髪は、思っていたよりも柔らかかった。
――いつも、ありがとう。
撫でると、アリシアの肩がぴくりと跳ねた。
頬が、みるみる赤くなっていく。金色の瞳が、うるんで揺れた。
「あ……主様……」
消え入りそうな声だった。尻尾があれば、絶対に激しく振れているだろう。
続いて、隣のセルフィーナにも手を伸ばす。ふわふわの蒼い髪に触れると、彼女は目を細めた。
――セルフィーナも。いつも助かってる。
「コウイチ様……」
トロンとした表情で、囁くように呟く。触れられたことが、まだ信じられないのだろう。彼女にとっては、誰かに頭を撫でてもらうこと自体が、初めてなのかもしれない。
温かい空気が、三人の間に流れた。
(撫でるって、いいな。前世じゃ、こんなことする相手もいなかった)
ところが、その空気は、唐突に止まった。
*
二人の表情が、同時に変わった。
頬の赤みが消え、瞳が鋭く細められる。
アリシアが、俺の前に躍り出た。セルフィーナは半歩下がって、両手に水の気配を集めている。
――どうした? 何か……。
魔素感知を広げた。
巣の外の茂みの向こうに、確かな気配があった。複数。整然と足並みを揃えた、静かな魔素の群れ。魔獣ではない。もっと知性のある、澄んだ気配だ。
「主様、下がってください」
アリシアの声が、低く地を這った。
角が、ぎらりと光った。
「誰だ! 何の用だ!」
威圧のこもった声が、森に響き渡った。
茂みが、静かに揺れた。




