第16話 賑やかな巣
目が覚めると、天井が見えた。
巣の岩壁ではない。柔らかい布のようなものが、視界の半分を覆っている。後頭部には、むにゅりと温かい感触があった。
(……あ、これ、太ももか)
アリシアの膝の上だった。
――アリシア、俺、どのくらい寝てた?
「三日です、主様。その間ずっと、アリシアが膝で守っていました」
――三日も? お前、ちゃんと寝たのか?
「寝ました。主様を抱えたまま」
ステータス画面を開く。
【MP】19/38
【貸与枠】2/3
【貸与中】魔素吸収(小)→アリシア/魔力濾過→セルフィーナ
貸与中のスキル欄は、どちらも灰色だ。魔素吸収も魔力濾過も、今の俺には使えない。MPが戻るのは、マナゴケの体質でじわじわ染み込んでくる分だけだった。
(三日で半分か。まあ、あの量を持っていかれたらこんなもんだな)
「コウイチ様、お目覚めですのね」
柔らかい声が降ってきた。
視線を横へ向けると、セルフィーナが水を張った器を持って立っていた。ゆるいタンクトップの胸元で、おっぱいが器の重みに合わせてゆさりと揺れる。
(朝から刺激が強い……)
「お水をご用意しましたわ。わたくしが濾過したものですから、とても澄んでおりますの」
差し出された水は、確かに透明だった。俺のスキルで、俺より上手に濾した水が、俺の口に戻ってくる。妙な気分だった。
――ありがとう。……ん、うまい。
「まあ、よかったですわ」
セルフィーナが頬を染めて微笑む。その横で、アリシアの膝がぴくりと動いた。
*
問題は、その日の午後に起きた。
俺は日向の寝床に横になり、二人の様子を眺めていた。MPが戻りきるまで、動くなと言われている。
「主様が冷えないように、火を焚きます」
アリシアが張り切って、巣の隅に枯れ枝を積み上げた。
――待て、焚き火ならもう少し小さく……。
「大丈夫です。アリシアは火の扱いが得意です」
ぼっ、と炎が上がった。
ぼぼぼぼっ、と炎が膨れ上がった。
天井の岩が赤く照らされる。熱気が渦を巻き、寝床の枯れ草がぱちぱちと音を立て始めた。
――熱い! 熱すぎる!
「あ……」
アリシアの尻尾が、ぴんと立った。
「セルフィーナ、水を」
「かしこまりました」
優雅に一礼して、セルフィーナが手をかざした。
どばああああっ。
水が、滝のように噴き出した。
炎はあっさり消えた。ついでに寝床も消えた。腐葉土は流れ、敷き草はぷかぷか浮き、俺は水路の縁に引っかかって止まった。
――…………。
巣の真ん中で、二人が並んで立っている。アリシアは焦げた枝の山の前で。セルフィーナはずぶ濡れの床の前で。
「……少し、加減を間違えましたわ」
「……アリシアも、です」
*
俺は根っこの足で、ずぶ濡れの体を起こした。
怒りが、腹の底から湧き上がってきた。
これで何度目だ。水路も、炎も、力加減が下手なのは分かる。分かるが、俺は「小さくていい」と言ったのだ。何度言えば分かる。
――……二人とも。
声が、自分でも驚くほど低かった。
――そこに座れ。
アリシアとセルフィーナが、顔を見合わせてから、濡れた床に正座した。
――まず、アリシア。火は巣の外でやれ。ここは岩の洞窟だ、熱が籠る。俺は植物だ。火に弱い。
「……はい」
――次、セルフィーナ。水は必要な分だけ。あなたは力が強い分、桁が違う。寝床が流されたら、俺の休む場所がなくなる。
「申し訳ございませんわ……」
――二人とも、俺のためにやってくれたことは分かってる。ありがたい。でも、やりすぎは迷惑だ。今回は本気で困った。
言い切ってから、二人の顔を見た。
しゅん、と肩を落としている。アリシアの尻尾は地面にぺたりと垂れ、セルフィーナは睫毛を伏せて、両手を膝の上で握りしめていた。
――今度から、やる前に一言相談してくれ。それで許す。
「はい」
「かしこまりましたわ」
声が重なった。それから二人は、ちらりと視線を合わせて、同時に噴き出した。
*
巣の後片付けは、三人でやった。
といっても、俺は指示役だ。アリシアが濡れた岩を爪で削って水はけの溝を作り、セルフィーナが浮かんだ敷き草を集める。力加減は、昨日より二人とも少しずつ上手になっていた。
「コウイチ様、こちらは乾かしてもよろしいですか?」
――ああ。アリシア、風だけ送ってやってくれ。火は禁止。
「はい。冷たい風なら、得意です」
アリシアが息を吹くと、ひんやりした風が、敷き草を揺らして通り抜けた。
作業のあいだ、俺は何度か視線を持っていかれた。
しゃがんだセルフィーナのおっぱいが、タンクトップの隙間でぎゅっと寄せられている。反対側では、アリシアが身をかがめるたび、黒いレース調の上着の谷間が深くなる。屈んだ拍子にミニのラップスカートの裾が揺れて、太ももの付け根近くまで見えそうになった。
(見るな。見るな。指示に集中しろ俺)
「主様」
――見てない。
「まだ何も言っていません」
――…………。
「では、コウイチ様。わたくしの胸元と、アリシアさんの太ももでは、どちらが見やすいでしょう?」
――セルフィーナ!?
セルフィーナが、頬に手を当てて、上品にくすくす笑った。
(この人、たまにこういうことを言うのか)
アリシアは、真っ赤になって俺を睨んだ。
「主様。いやらしい目は、だめです」
――ごめんなさい。
素直に謝る俺を見て、二人はまた笑った。
*
夜になった。
寝床は元の場所に戻り、水路も、二人が慎重に掘り直してくれた。
俺は中央に寝かされ、右にはアリシア、左にはセルフィーナが座っている。二人の間で、視線がぱちぱち火花を散らしているのが分かる。
「主様の右側は、アリシアの場所です」
「では、わたくしは左側ですわね。ちょうど、心臓に近うございますもの」
「それは、ずるいです」
「まあ、そうでしょうか」
やり取りを聞きながら、俺は不思議な気持ちになっていた。
蒼い髪と赤銅色の髪。二人の美少女が、俺を挟んで火花を散らしている。前世で何度も妄想した光景だ。実際にその真ん中にいるのは、手のひらサイズの植物だが。
(何でこんな可愛い子たちが、俺の周りにいるんだ。前世じゃ考えられん)
胸の奥が、ふわりと温かくなった。
それから、ふと気づいた。
さっき、俺は二人を叱った。正座させて、はっきりと意見を言った。一言も、遠慮しなかった。
前世の俺は、人に合わせ続けた。頼まれたら頷き、押しつけられたら黙って受け取った。「断ったら嫌われる」と思っていたからだ。
(でも、今は違うな)
叱っても、二人は離れていかなかった。むしろ、素直に聞いてくれた。
言いたいことを言っても、居場所は消えない。それを知ったのは、この世界に来てからだ。
(前とは、少し変わったな、俺)
アリシアがそっと手を伸ばして、俺の葉っぱを撫でた。セルフィーナが、水で冷やした布を、額のあたりに乗せてくれる。
(そういえば、この三日間も、その前も、俺は何もしてないな)
水路を作ったのはアリシア。水を出したのはセルフィーナ。戦うのも守るのも、全部二人だ。俺は肩に乗って、指示を出して、寝て、日向ぼっこをしているだけ。
そのおかげでレベルは上がり、貸与したスキルの分の経験値が、毎日のように流れ込んでくる。
(ぼーっとしたいって願いは、叶ってるんだけどな)
気持ちよく寝られているはずなのに、胸の奥に、ほんの少しだけ、引っかかるものがあった。
二人の寝息が重なり始める中、俺はしばらく、天井を見つめていた。




