日輪を蝕むもの
袖口に短刀の感触を感じながら、半ば押し入るようにして後宮を訪い、「桜の君」への謁見を願い出た静賢に返された答えは、予想に反して「是」であった。
静賢は冷たい夜気に息を紛れさせ、じっと控える。
だがその瞳は訝しむように周囲を巡っていた。
黒漆塗りの長押に打たれた金金具の陰に、几帳の裾を引く綾衣の糸筋に、磨き抜かれた階の板目の隙間に——殿上を彩る装飾のそこかしこに、虚のような澱みが凝っていた。
本来ならば、法力を宿した己の気配を感じて霧散するか、清められて消え去るはずの悪気が、あろうことか薄墨の法衣の裾へと取りついてくる。
静賢が指先に微かな法術を纏わせて払えば、一時的に塵と化して消えるものの、あとからあとから吸い寄せられるように纏わりつき、果てがない。
背筋に冷たい汗が滑り落ちるのを、静賢は感じた。
(日輪の翳りは、これほどまでに深刻だというのか……)
帝がおわす聖の宮。
あらたかな静謐と光に満たされているはずの場所に、これほどまでに禍々しい澱みが満ちているなど、あってはならぬことであった。
民の屍が折り重なる四辻よりもなお濃厚な、穢れの臭気。
あたかもそれは、山々に降った雨が川に集うが如く、国中の汚泥と怨嗟がこの禁裏へと流れ込んでいる様を幻視させた。
ーーピシッ
微かに耳を穿ったその音が、知らず握り込んでいた数珠の玉がひび割れて立てた音だと、気がつくのに瞬刻を要した。
◇◇◇
ひどく長く待たされ、ようやく通されたその局は寒々とした暗がりに沈んでいた。
奥処を隔てる御簾の糸房のは古びて色褪せ、粗末な花器は素焼きであろうか。そこにぽつりと活けられているのは、枯れた一葉を残すだけの細枝であった。
薫香の一筋さえたなびかぬ、打ち棄てられた廃屋の如きそこが、帝の寵を恣にする女の住まう局だと、一体誰が信じられようか。
静賢は御簾の前に座すると、胸のうちにとぐろを巻く不審と激情を押し殺し、深く、深く頭を垂れる。
すっかり艶を失った板目に向けられた視界の端で、枯れ枝に散り残った一葉が静かに落ちた。
しばらくの後、御簾の内に密やかな衣擦れの音が響く。
几帳の影に身を寄せる様にして座したきり、一言すらも降ってはこない。
沈黙に耐えかねた静賢は総身に震えを覚えながらも声を絞り出した。
「……お願いにございます」
喉の奥が乾き、締め付けられる。
「どうか帝を……お解き放ちください。日輪の威光を、再びこの塗炭の苦しみにあえぐ民草にお返しいただきたい……!」
指の先が白むほどに短刀を握りしめながら、渾身の嘆願を投げかけた静賢の頭上に降ったのは微かな冷笑であった。
静賢の視界が瞋恚に染まる。
(民の苦しみを嘲笑うか……!穢らわしき外生め……!)
激昂のまま跳ね起き、鞘を払った短刀を振りかぶる。解き放たれた法力は過たず、妖の命を屠るはずであった。
だが、突如として吹き抜けた一陣の風が握り込まれた短刀を容易く弾き飛ばし、静賢の法力を跡形もなく散らした。
暗緑の御簾が千切れんばかりに跳ね上がり、几帳が倒れる。
その荒ぶる風の中にあって、髪の一筋さえ乱さず
座する女の姿があった。
射干玉の黒髪がうねり、黒曜の瞳は冷ややかに凍てついて、その肌の真白は降り初めの雪すら欺くであろう。
ーー妖美。
激怒の最中にあったはずの静賢は、その妖しき美貌を前に、ただ呆然と目を見張った。




