旅立ち
イグニスは基本的に自分の剣を身につけている。ある程度のお金が入った布袋、母からいつも言われているポーションと小さなナイフ、剣はある。逆に言うならそれしか身に着けていない。教会に行くだけだったら、当然のことだが旅に出るには食料があった方がいい。
ナラの衣服や靴も以前よりはマシになっているとはいえ、そこまで丈夫な訳ではない。太陽はまだ高く昇っている、今なら店が開いているから買い揃えられるだろう。
「先に必要なものを買い揃えようか」
「あの、イグニス様。私が一人で行きましょうか?」
少女の気遣いはきちんとイグニスに伝わった。だから、首を振る。イグニスは他の異端とされた人たちとは違う。スキルがない可能性も、どういう扱いを受けるかも、初めから分かっていたことだ。
「いいや、二人で行こう。あと、ナラの方が年上だから、イグニスでいい。話し方も気を遣わなくていい」
もうイグニスは騎士なんてものに掠りもしないのだから。
「私にとって、イグニス様は命の恩人で、尊敬すべき方です!」
「仲間に様付けするのか?」
ナラは緑の瞳を瞬かせてから、それならイグニスさんと呼びますと答えた。
イグニスはナラと共に大通りの中にある日用品を売っている店へと入る。旅の衣服や水筒はここで揃うはずだった。顔見知りの店主とその妻がイグニスの左手を見る、街中で今日がイグニスの成人する日だと知れ渡っている。店主が大きく目を見開いて、その妻はカウンターの上にあった木製のトレーをイグニスへと投げつけた。
「この異端者が!!女神さまのお怒りに触れるなんて、なんてことを!!」
「このバカが、剣を持った相手になんてことをするんだ! すみません!!」
店主は怒りに満ちた態度で手あたり次第にイグニスへ何かを投げつけようと暴れる妻を必死に抑えつける。
「いや、すまなかった」
この店の妻は確かに信仰深い人だった、来る店を間違えた。それから、自然と視線がナラへと向く。ナラもまた気遣うようにイグニスを見ている。
「私はほとんど着の身着のままだったので、何もなくても平気ですよ」
「いや、ごめん。ナラに金だけを渡すのは駄目だった」
「そんなことありません。きちんと売ってくれる店もありましたから」
イグニスとナラはそろって店を出る。それは追い出された場所もあるということだ。イグニスはこの世界でいつも自分の未熟さばかりを実感している。
「あの、私が服を買ったところでよければ、案内しましょうか? そんなに質のいいものは置いていませんし、その。嫌な顔も、ちょっとはされるかもしれませんけど」
「……俺よりも、ナラの方が街に詳しいかもしれないな」
「そんなことはないと思いますけど」
イグニスが見ていたこの街は、自分から見える範囲だけだった。今はナラと同じものが見える。ナラの案内で寄った店で衣服の替えや簡易な調理器具、リュックを用意する。落ちた騎士だな、店主にそうせせら笑われた時に、不思議と納得した。
多分、騎士なんてものはイグニスに初めから向いていなかった。以前は笑ってくれた人たちがそういう態度をとることが少しだけ寂しくて、けれど。ナラと同じものを見られているということが同じだけ嬉しかった。
衣服の後は、当然食料が必要だ。主に川沿いに歩くから水筒はグラニートに着いてからで問題ない、あそこは冒険者の街だから魔物が素材の製品が豊富だ。ナラの後についてイグニスが歩いた時、聞きなれた声が背後から聞こえて振り向く。
「持ってけ、泥棒!」
イグニスの足元へ両手で抱えるほどの麻袋を思い切り投げたのはカイだった。くしゃくしゃになったその顔は悔しさに満ちている。拾い上げたその麻袋にはパンや青果が詰め込まれていた。
「気を付けてね、イグニス様」
ニコは少しの寂しさを滲ませて手を振った、その頭をカイが強く叩く。
「様づけすんなって言っただろうが!」
イグニスは自然と緩みそうになる顔を引き締めて、二人に向かって黙って深く頭を下げた。そうして、振り返って南門へと歩みを進める。
「本当に優しい人たちですね」
「うん、世話になった」
イグニスは重い麻袋を片手で持って、ナラと並んで歩く。街の外へ出るための門では、二人の衛兵が門番として立っていた。
「異端者はさっさと出ていけ!!」
きつく両目を細めた衛兵が半ば叫ぶように言う、火魔法の使い方を学ぶために、魔法を使うところよく見せてもらっていた人だった。その両目は怒りと悔しさに満ちて、口元はきつく引き結ばれた。
「異端者がいなくても、俺たちが街を守る。早く出て行ってくれ」
もう一人の衛兵が険しい表情で言う、イグニスは黙ってナラと共に門の外へと出た。任せたとは言えるはずがなかった。
町の外へ出ただけで、イグニスは何度か家族と街の外へ出たことがある。それなのに、目頭が熱い。頬を伝っていくものが何か分かっていた。
「イグニスさん」
けれど、それを口にしないナラに甘えて、腕で軽く目元を拭う。ナラの指先が迷うように揺れて、イグニスの手を握った。
「ごめんなさい。私、なんて言えばいいか分からなくて」
それはイグニスも同じだった。マレハーダはイグニスが生まれ育った街だ。沢山の思い出があったし、守りたい人たちだっていた。
けれど、やっぱり以前よりも今の方がずっと身体が軽い。グレイセス家に見合うように、街の人々やアリアを守れるように、教会に異端と思われないように、誰にも迷惑をかけないように、威厳を装うように。
何かを言う前に、それがこの世界で不審に思われることか考える。行動する前に、それが家族の名誉を致命的に汚さないか足を止める。けれど、そういうことはもう全部必要ない。もう、イグニスには家名もスキルもない、ただの異端者なのだから。
「ナラがいてくれてよかった」
イグニスはもう何も持っていないけれど、隣を歩く心強い仲間がいる。
「……よくないことかもしれないけれど、私もよかったです」
言葉にしていいのか少しだけ戸惑ったナラが、それでも微笑んで言ってくれた。だから、イグニスも笑う。
そうして、二人は並んで歩き出した。




