街の外
町の外には見渡す限りの草原と近くの村へと続く道がある。土を均しただけの道だが、馬や馬車で移動する道として充分だ。イグニスとナラは徒歩だが、道があると歩きやすい。それにこの辺りは見通しがよくて、魔物が近づいたら直ぐに分かるようになっている。
但し、イグニスとナラが目指すグラナードに行くには、森を突っ切る必要がある。イグニスとナラはグラナードを目指して歩きながら、道行を確認する。
「途中までこういう道を歩いていく。グラナードまで道自体は繋がっているが、森を突っ切りたい」
「……森って、この辺り一帯に広がってるあの森ですか?」
「うん、道を辿ると歩きなら早くても10日はかかる。森を通った方が水も手に入りやすいし、この辺りには強い魔物は出ないらしいから」
ついイグニスはナラの顔を窺った。少女の顔に浮かんだ不安はイグニスの視線に気づいた直ぐに消え去った。経験の浅い冒険者でも森を抜けてグラナードへ向かっていくし、森に強い魔物が出たら村や街に出てくる可能性が高いから冒険者ギルドに依頼がくる。イグニスとナラなら通るのにそこまで危険ではないはずだ。
「森は方角さえ見失わなければ怖くない。あそこの木はそこまで高くないから、太陽と星の位置が分かる」
不安に思わなくていいというのはナラに十分に伝わったらしい。パチパチと緑の瞳が瞬いて、少女は口端を上げた。
「イグニスさんって物知りなんですね」
「逆だ。物を知らないから、全部を色んな人に聞いてただけだよ」
この世界では、うっかり強い魔物が現れたら街一つが崩壊する。いつ着の身着のままで外に放り出されるか分からない。その時にイグニス一人なら構わないけれど、母やアリアがその場にいたら絶対に辛い思いをさせたくなかった。イグニスにとって、この世界は危険に溢れているものだった。
「それに家族について街の外に出て、魔物と少し戦うこともあったから」
騎士としてのイグニスの実力は父に遠く及ばないものだった。力でも技術でも勝てたことはない。兄はよくふざけて父と比べたらどんな魔物だって弱く見えるなんて言っていた。
「はい」
短い肯定だったが、ナラの瞳はしっかりと前を向いていた。
「冒険者になるのは、嫌だったか?」
そもそもナラは冒険者に暴行を受けたのだ、いい感情は抱けないのは当然のことだった。
「いえ、冒険者の方がいるから、私たちは強い魔物と戦わずに済んでいるのは分かってます。
それに、冒険者だった勇者様が悪い竜を倒して、お姫様と結ばれる話は村でも有名ですよ。ただ、村では見ることがなかったので」
勇者のおとぎ話はイグニスも聞いたことがあるけれど、おとぎ話の域を出ない。とびきり強い冒険者は王族から直接依頼を受けるなんて噂も聞いたが、真偽は分からない。
「確かに、村では周辺に強い魔物が出たら依頼する程度か」
「はい。戦えるスキルを授かった人が、冒険者になるために村を出ることはありましたが」
マレハーダの街も冒険者が基本的に数日滞在して通り過ぎていく人たちばかりだった。けれど、イグニスは情報収集の一環として彼らにもよく話を聞いていた。家のこともあり、大抵の冒険者たちは快くイグニスに話を聞かせてくれた。
「冒険者は、冒険者ギルドに所属して、魔物を狩ってギルドにそれを売る人たちのことだ。他にもギルドが村や町の依頼を受けて、冒険者がその依頼を受けることもあるらしい」
ちなみに冒険者ギルドは国家が運営しているので、教会とは一応切り離されている。この世界の生活必需品には魔物の素材が含まれるが、冒険者自体亡くなることが多い。なので、スキルがない異端者であっても冒険者には成れる。
「はい、頑張ります」
魔物の言葉に微かな恐れは見えたが、少女は力強く頷いた。
「冒険者にはランクがあって、強さでランクが分かれるらしい。俺も人づてに聞いた話だが……ある程度は強い自信があるから、心配しすぎないでいい」
イグニスの言葉を受けて、ナラは少しだけ微笑んだ。
イグニスは歩きながらナラへ方角の確認方法やはぐれた時の対処、この辺りで出ると聞く魔物の特徴を伝えていく。道の周辺でいる魔物は鶏のような魔物に青いゼリー状のスライムといった魔物だ。
基本的に攻撃されて致命的なことになる魔物は出ない。森には緑肌の醜悪な顔をした小人、ゴブリンや狼のような魔物が出るが、それらも数匹ならイグニス一人で簡単に対処できる。ナラはイグニスの話をしっかりと聞いて、時には復唱していた。イグニスはそれを心強く思うと同時に少しだけ悲しいと思った。
村や町に住む人の多くは魔物と関わらないで済む。村の柵に近づいた魔物を退治するのは、力が強い男性や魔法が使える者だ。決してナラのような少女ではない。今のイグニスにはナラにある程度の危険を強いることしかできない。絶対に自分が守るなんて言い切ることもできない。
イグニスはもう十分にこの世界が厳しいことを理解している。街中でも人は死に、街の外では魔物に襲われる。茜色の夕暮れが土を均しただけの道を照らす。その道が途切れた先には、視界いっぱいに広がった森があった。
完全な日没までまだ時間がある。夜営をするには開けた場所より、視界が悪い森の中の方がいい。旅をしているのはイグニスたちだけじゃないし、この辺りでは魔物より人間相手の方が脅威となりやすい。
「もう少し進んだら、休める場所を探そう」
そう言ってイグニスは森へ向かって足を一歩踏み出す。それと同時に振り返って手を差し伸べた。
「ナラ、手を」
「えっ、はい」
森に足が竦んでいたナラは咄嗟にイグニスの手を握った。
「森は道が悪い。もし、躓きそうになったら俺が支えるから」
「はい、イグニスさん」
イグニスはナラの目をしっかりと見て頷いてから、手を繋いだまま前へと歩き出す。イグニスが想像する以上に、ナラは酷い状況にいた。それは家を勘当されてから何度も実感している。だから、この少女が森に怯えるのも当然のことだった。
イグニスは最強ではなし、父にも勝てたことはない。けれど、繋いだ手の先にいる少女一人ぐらいは守りきりたい。
「ありがとうございます」
「その内、歩き慣れるよ」
イグニスの思いを受け取ったナラは気づけば微笑んでいた。あんなに怖かった記憶はもう霞みはじめていた。




