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追放前日


 ベッドから起き上がったイグニスは、いつもより重たい身体を起こす。

 身支度を整えて部屋を出れば、おはようの挨拶とともに顔を合わせた家族は予想通りの言葉を口にした。


「イグニスなら、俺と同じ剣のスキルだな」


「何でもいい。お前ならある程度使えるスキルを授かるだろう」


「イグニスはお父様と同じ、火魔法のスキルを授かるはずです」


 そのどれにもイグニスは軽く首を振ることで応えた。

 朝食をとって、朝の鍛錬を終えたイグニスは少しだけ重たい足取りで家を出る。日課の見回りをしているイグニスを見かけた街の人々はみな笑って、明日が楽しみだと言った。腰から下げたいつもと同じ剣が、笑い声の度に重くなる。


 この世界では15歳で成人になると同時に、ほとんどの人は教会でスキルを授かり、左手の甲にスキルを表す紋章が浮かび上がる。人々はそれを成人の議と呼ぶ。

 つまり、スキルがない紋章が浮かばない人々は成人にあたらない、真っ当な人間から外れた存在として扱われる。


 アリアの屋敷の前でイグニスの足が自然と止まる。きっとアリアは勉強の時間だろう。イグニスが見上げた青空の下、屋敷の2階でアリアの青い髪がガラス越しに映える。数日に一度は顔を合わせているはずの幼馴染を遠くに感じる。

 通りを歩けば、そこにいつもと同じ顔を見つける。イグニスを見つけたカイとニコは、露店の商品を補充する手を止める。


「イグニス様! イグニス様はどんなスキルを授かるのかな」


 無邪気なニコの頭を乱雑に撫でたカイは自信に満ちた顔で言う。


「そりゃ、イグニス様にお似合いのスキルに決まってるだろう。」


「どうだろうな」


 あり得るとしたら既に使える火魔法だろう。祖父がそれを“授かっていた”らしいし、母方の家系には火魔法が使える者が多い。


「まあ、どんなスキルだろうとイグニス様がいい人であることに変わりはないしな」


「女神様はきっといいスキルを授けてくれるよね」


 イグニスは二人の言葉に何も返せなかった。普段から無口なお陰で、何も不審に思われずにイグニスは見回りを続ける。その足は大通りの隅、ナラの下へ向かっていた。

 茶色の髪に緑の瞳をした少女はいつものようにそこにいた。イグニスは無意識に息を吐く。


「イグニス様、こんにちは」


 初めて会った時より随分と肉付きはよくなり、身にまとった衣服もボロ布から染色されていない麻で織られたものへ変わっている。イグニスを見た少女はしっかりと自分の足で立ち上がる。けれど、この少女は地面の上で生活を続けたままだった。


「調子はどうだ?」


「イグニス様のお陰で今日も元気ですよ」


 イグニスは頷いてから、魔物の胃袋で作られた水筒をナラの前に置く。それから、少女の前に置かれた淵が欠けた木の器に銀貨を一枚置いた。


「イグニス様?」


 緑の瞳が気遣うようにイグニスを見る。


「もしかして、怖いんですか?」


 息が詰まって、指先が微かに冷えていたことに気づく。


「……情けない話だな」

 スキルがあってもなくても同じだと言ったのは、イグニス自身であったはずなのに。


「おかしくありません、イグニス様なら絶対に大丈夫です! 女神様はきっとイグニス様のことを見ています。

 スキルなしの私によくしたからって、そんなことで見捨てたりはしませんから」


 理由はナラじゃない。スキルがないとしたら、それはイグニス自身が本当の意味で異端者だからだ。どれだけこの世界に馴染んだ振りをしても、イグニスは女神を信仰できないし、信じて縋るなんてもっての外だ。


「期待に応えられないのは、離れるのは、いつだって怖いな」


 イグニスは自分を育ててくれた人たちに、何も上手く語れないイグニスを真っ直ぐに慕ってくれた幼馴染に、笑って声をかけてくれる街のみんなに報いたい、力のない彼らを守ってやりたい。以前のような別れを経験したくない。


「それは……そうですね。とても怖くて、悲しかったけれど」


 緑の瞳が何かを思い出したように揺らぐ。それから、ナラはにっこりと大きな笑みを浮かべた。


「本当に優しいイグニス様なら大丈夫です、自分を信じてください」


 自然とイグニスの緊張も解ける。イグニスは本当に彼女を尊敬している。


「ありがとう、ナラ」


「いいえ、お礼を言うのは私の方です。本当にありがとうございます、イグニス様。

 私はいつもイグニス様のことを祈っています」


 少女の言葉にイグニスは心から頷って、歩き出す。結果がどうあれ明日はやってくる。いつもそうだった、イグニスは運命に抗えない。


 けれど、運命に嘆いてうずくまる必要もないのだと、ずっと前から知っていた。


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