スキルなし
少女の前に立ったイグニスを慌てた様子のアリアが静止する。
「イグニス! 異端と関わることは女神様の意向に反することです。下手をしたらイグニスのスキルにまで関わるかもしれません」
「騎士様、その方のいう通りです。私のことはお気になさらずに」
イグニスはアリアに向かって首を横に振ってから、少女の前に膝をついた。
「傷にポーションを使う、じっとしていてくれ」
イグニスは腰のポーチから母から必ず三本は持ち歩くようにと言われているポーションを取り出す。信仰深い母が聞いたら絶対に説教をしてくるだろう使い方だが、栄養失調でいつ死んでもおかしくない状態でも他人を気遣う少女を見捨てられるほどイグニスは非道じゃない。
ガラス製の器に入った緑の液体を少女の腫れた頬に垂らすと、あっという間に傷は治っていく。半分以上残ったポーションに再度封をしてから、少女の前に置く。
「教会はスキルがない人を異端と見做して寄せ付けない。念のため、持っておけ」
「そんな、もらえません」
イグニスは少女の言葉を意図的に無視して、その瞳を真っ直ぐに見据えて言葉を続ける。
「俺はイグニス、隣にいるのがアリアだ」
「イグニス! その子がスキルを授からなかったのは、何か女神のご意向に背くようなことをしたからです。
きっと盗んだり奪ったり、悪いことをしたのだから」
だから自業自得だとアリアが続ける前に、瘦せこけた少女は大きな声を出した。
「していません!!!」
痩せて体力が低下した状態で出すには大きすぎたようで、少女は軽く息切れをしてから力なく首を横に振った。
「すみません。女神様に……父と母に誓って、悪いことはしていません。盗みをするぐらいなら、飢えて死にます」
けれど、そう続けた少女は自虐を浮かべた顔で言う。
「私の信仰が足りなかったから、女神様のご意向に沿えなかったから。スキルを授けられませんでした」
隣でアリアが息を呑んだ音がする。イグニスはそれを聞きながら、この強い少女の名前を聞いた。
「ナラ、です」
村からやってきた者は通常、村の名前を必ず自分の名前と一緒に紹介する。けれど、スキルがない異端者を生み出すのはその村にとって非常に不名誉なことだとされている。だから、ナラは自分の村を言わない。
「いい名前だ。俺はグレイセス家の次男だ、この街で騎士の真似事をしている。
スキルがないからといって、ナラに暴力を奮うことは俺が許さない」
「スキルなしが物乞いなんてしても、そんなの、誰も」
視線を横に向ければ、アリアは両手で口を覆っていた。その顔色は悪い。アリアは何の罪もない目の前の少女が自ら死んでいくことを、スキルなしだから当然だと言えるほどの非道ではない。
イグニスは地面に転がっていた木の器を拾い上げて、その中に数枚の銅貨を入れる。その場しのぎなら、どうにでもなる。けれど、それは根本的な解決にはならない。
「水は手に入っているか」
「はい、川まで行けば」
「井戸は?」
「水を汲む時に、背中を押されてからは使っていません……けれど、それは私がスキルなしだから、仕方がないんです」
隣のアリアが酷いと小さく漏らす。内心でイグニスもそれに同意はする。けれど、直ぐに追い出される村よりは、スキルがなくても中へと受け入れる街の方が幾らか扱いはマシだ。
村に暮らすものにとって、追放は概ね死を意味する。魔物と遭遇したら、力がない人たちは死ぬしかない。運よく街に辿り着いたとしても、今のナラがいい例だ。ロクなことにはならない。
「それはよくないな。井戸に人を落とそうとするのは、絶対にあってはいけないことだ」
実際にナラを押した犯人を見つけることは非常に難しいが、注意喚起ぐらいは出来るだろう。それに、井戸に人が落ちたら衛生面でもよくない。
確かに川は流れているが、ここからは随分と歩く。衰弱した少女には遠すぎる距離だろう。
「イグニス様、大丈夫です。もう少ししたら、16歳になったら、雇ってくれるという人がいたので。
それまで耐えれば、きっと大丈夫です」
ナラが大丈夫だと示すために骨の浮いた頬を引きつらせて歪な笑みを浮かべた。
イグニスの幼馴染は随分と分かりやすい、アリアの青ざめていた顔色に少しばかりの血色が戻る。
「そうか。なら、それまでは俺が面倒を見よう」
この年頃のスキルがない16歳の少女を雇うのは、娼館しか考えられない。娼館は病気の感染源になりやすい。事実、裏路地に捨てられる死体には、そういう仕事をしていたのだろう女性たちが多くいた。
イグニスが話している限り、ナラはそういうのを分かっている。
「いけません、イグニス様。女神様はそれを望んでいません」
女神に見捨てられたはずの少女は、今の自分を正しく認識してさえイグニスための言葉を紡ぐ。
「スキルがない異端者と関わると自分も異端になるなんて、教会は公言していない。
当然、スキルがない異端者とされた者たちに女神が何を望んでいるかなんて、誰も正解を知らない。だから、俺は好きなようにさせてもらう」
教会にとってスキルがない異端者は存在してはいけない者たちだ、言及すら避けている。だから、関わっていけないなんて公言できない。
明日も来る、そう言い残してイグニスは立ち上がる。やつれた少女は不安と期待を混ぜた視線で、イグニスを見送った。
「もう少しで仕事が見つかるなら、彼女はきっと大丈夫ですね」
少女の虚勢を真に受けて安心した表情をしている幼馴染に対して、イグニスは静かに首を横に振った。
「ナラの言っている仕事は、いい仕事ではない。生き残る可能性は高くない」
スキルがないというのは冷遇していい理由になる。同じ仕事をしていても、悪い客を当てられるだろう。先ほどの頬を腫らした姿を思い描いて、イグニスは首を振る。
「ナラは悪くない。俺は、そう思っている」
「……そんな、どうして彼女は」
アリアの性根は善性に満ちている。イグニスは真っ直ぐで愛らしい幼馴染の頭を撫でた。アリアはナラの言うことを信じているから、ナラが本当は悪人だから女神が裁いたと思わない。
「帰ろうか」
幸いなことに、イグニスには帰る家があるのだから。
「イグニス、私はどうすればいいのでしょうか」
その答えをイグニスは持たなかった。全部を助けることは難しくて、いつだって大事なものには順番をつけないといけない。けれど、イグニスはナラがそうしたように頬を引きつらせて笑みを形作る。
「アリア、お前ならきっと答えを見つけられる」
イグニスの答えを聞いて、アリアはぶんぶんと首を両横に振って、右手で自身の胸を軽く叩く。
「当然です! だって私はイグニスの婚約者で、リーヴィニ領の次期当主ですから!」
威勢のいい少女の声にイグニスは頷いた。
彼女にはもっといい仕事を探してあげます、隣でそう意気込むアリアはイグニスにとって渇いた大地に降る雨のようだった。




