うまれかわっても、いっしょ
このダンジョンのボスはオークが1匹だと聞いていた、そのはずだった。けれど、大型の魔物、皮膚は淀んだ緑で毛は生えておらず、顔は醜い豚のようなオークが部屋の奥に3匹横に並んでいた。
イグニスたちが入ってきた扉がバンと大きな音を立てて閉まる。ダンジョンボスを倒さない限り、この部屋から出ることはできない。
『グルァァァ!!』
新たな来客に3匹のオークが大きな叫びをあげ、ココは怯えた声を出した。不幸中の幸いというべきか、イグニスたちがいる空間は非常に広い。オークが3匹いても、イグニスたちは自由に動ける。
1匹だけのつもりで来たので、流石に3匹は厳しいなとイグニスはつい内心で愚痴る。
「ナラ。距離をとりながら魔法で足を攻撃して、行動不能を狙ってくれ」
「はい、イグニスさんも気をつけて」
ナラが堅い声で返事をする。オークの面倒なところは、手に持っている大きな棍棒である。いや、素手よりはまだ棍棒で攻撃してくる方が動きが読みやすいからマシなのだろうか。
「ココ、俺やナラが相手してないのを引き付けてくれると……難しそうならいい」
最初にオークに遭遇した時、シルバーウルフはあの巨体に追いかけ回されていた。今までの魔物のようにココが引き付けるのは、少し厳しいかもしれない。
棍棒が一振りでも当たれば、ココの軽い身体では吹き飛ばされてしまうだろう。
魔法を使う時間だって惜しい、イグニスはオークたちに向かって走りながら軽く作った火の玉を真ん中のオークへぶつける。
『グァァ!』
狙い通り火はオークの顔を焼いたが、怒って棍棒を手あたり次第振り回し始めた。
後方への注意は逸らせたが、動きが読みにくくなってしまった。イグニスから向かって右にいたオークが、そのままこちらに寄ってくる。
『アースニードル』
ナラの魔法が左のオークの足に土の針を突き刺した。足の甲に刺さった土の針を引き抜けずに、左のオークは唸っている。左のオークはナラに任せることにして、まずは暴れている真ん中をどうにかしたい。
手あたり次第暴れている真ん中のオークに隙を見て近づき、その足を刀で斬りつける。刀は骨をも絶てるのだが、切っ先が中心まで届かなかった。斬りつけた部分から血が吹きだして、イグニスはとっさに後ろに飛び退く。
微妙に傷つけられたオークは更に怒り、イグニスへと大きな殺意を向けてくる。そうしていると、今度は右のオークが後ろへと向かっていくのが見える。
「待て!」
後ろに行かせるのは拙い、イグニスは走り出そうとしたところで犬の吠える声が聞こえた。
『ワォーン!』
自分が相手だとでも言うかのようにココが右のオークへと素早く走る。ココはイグニスよりも走るのが早い、素早さだけは充分にある。
ココが勇気を出してオークの足に噛みついたが、オークが足をけり上げるとその身体は吹き飛ばされて壁にぶつけられた。ココは地面へと落ちて呻き声をあげている、動けないようだ。
「ココちゃん!」
「俺がカバーする! ナラは左へ集中してくれ」
イグニスは真ん中のオークに背を向けて、ココへと追撃しようとしているオークの元へ走っていく。その途中で、後ろから棍棒が振り落とされる気配を感じたので、右斜め前へ前転した。
イグニスの真後ろでドンと棍棒が地面へと振り落とされた音がする。
オークの足の間を走り抜けてココの元へたどり着くと同時に、オークが振り上げた棍棒がイグニスとココへ向かって振り下ろされる。イグニスはココを背にして、大剣を引き抜いて横にして構える。
ココを抱き上げる時間がない以上、その棍棒を受け止めざるを得ない。
「クソ!」
つい悪態が口から漏れてしまう。風の音すら聞こえそうな勢いで振り下ろされた棍棒を人の身で受け止めるのは、戦略的にはよくない。振り下ろされた棍棒はイグニスの身体ごと吹き飛びそうな衝撃で、両足を踏ん張って耐える。腕からよくない音がし始める、多分どっちかの腕が折れているとは思う。
それでも、イグニスは気合で受けた棍棒を払いのけるように大剣を動かす。ココは未だ動けずにその後ろにいた。
—――――――――――――――
ココはぼんやりとした意識で、自分を守るその背中を見ていた。ココにとって、その人間はいつだって守ってくれる存在で、だからこそ守りたいものだった。
はじまりは、ずっと前だった。兄弟たちと一緒にいたはずなのに、気づけば一人になっていた。上から水が降っていて、匂いで辿ることもできずに、兄弟たちがどこにいるのかも分からなかった。足がじんじんと痛む、お腹がへっているのに硬い道には何も落ちてない。寒くて寂しい中を、歩き続ける。そして、歩くことすら出来なくなる。
さむい、お腹がすいた、つらくて苦しい。もう、あたたかなものには会えないのかもしれない。
「子犬? お前、母親は?」
身体を打ち付ける水がなくなって、何かが自分を抱き上げた。
「独りなら、一緒に帰ろう」
近づいたことで匂いが分かる。初めて嗅いだ匂いは、それからずっと一緒にいる匂いだった。
「元いた所に帰してきなさい!」
「この子は一人だった、俺が世話をする!
もう、誕生日プレゼントもいらない、何にもいらないからこの子を助けさせてくれ」
言い争う声の後、温かい布に包まれた。それから、怖いところに連れていかれた。病院というらしい場所で高いところに載せられて、身体の色んな所を触られて大変だった。
「この子の名前? 茶色い女の子……ココアで」
「名づけるセンスがなさすぎでしょ、ほんとこの子は頑固なんだから」
それからは、ココアと呼ばれた。ココアの主人、拾ってくれた少年とはずっと一緒だった。ご飯をくれて、ボールやフリスビーを投げて遊んで、毎日散歩に行った。
主人が学校から帰ってくると一番に出迎えて、撫でてもらった。主人が悲しい匂いをさせている時は、ボールを咥えて持って行った。そしたら、主人が笑うことを知っていた。
部活というのが始まってからは、一緒にいられる時間が減って、主人の家族がご飯をくれたり、散歩に連れていったりしてくれた。それでも、ココアの主人はたった一人だった。
部活や学校が仕事になってから、ずっと主人とは一緒だった。仕事から帰ってくるのが遅い日もあったけど、主人は毎日ココアの下へ戻ってきた。散歩は他の人でも、毎日のように少しは遊んでくれて、休みだという日はいつも散歩に行って、ずっと傍にいた。
ある日、主人は帰ってこなかった。家の中は慌ただしく、主人の家族はみんなバタバタと家を出入りして、主人以外の人が出入りすることもあった。ずっと玄関の前で帰ってくるのを待っているのに、主人はちっとも帰ってこない。
そして、主人の家族はみんな悲しい匂いをさせて、瞳から水を沢山落とし始めた。
「ココア。あの子は帰ってこない、帰ってこないのよ」
抱きしめられて、水が身体をぽたぽたと濡らしてく。ココアは主人を待っているから、ボールを持ってきてやることは出来なかった。
それから、主人は全然帰ってこなかった。みんながココアを抱きしめたり、撫でたり、おやつをくれたりするけど。ココアが待っているのは主人なのだ。
いつも帰ってくるだろう頃合いに玄関で待っても、散歩の途中で探しに行っても。主人は全然見つからないし、いつまで経っても会えやしない。
それから、耳はどんどん聞こえなくなっていって、視界も悪くなっていった。起きている時間は短くなってしまって、これでは主人が帰ってきても気づかないかもしれない。だから、玄関で眠るようにする。いつ帰ってきても分かるように。
「ココア、貴方もあの子のところに行ってしまうのね」
主人の家族の匂いがする、悲しい匂いだ。そうして、ココアの意識は途切れた。
起きたら、身体は昔のように動いた。重たかった足が嘘のようで、嬉しくってその場で跳ね回る。
「あー、これ魂がくっついている? どうしよっか、向こうは先に送っちゃったしな」
知らない人の声がするけれど、どこから聞こえてくるのか全然わからない。
「聞こえる? きみの主人、違う世界にいるんだ。姿も形も違うし、あっちの世界に犬はいないし」
聞こえると吠えると、そっかと返ってくる。世界とか、よくわからない言葉は沢山あったけど。主人がどこかにいるということだけは分かった。だから、主人に会いたいと吠える。
「君の主人はきっと、君を覚えていないよ。それにあっちの世界にフォーマットを合わせないといけないから、君は異質なものになる。
君の主人は、君を殺すかもしれない。それでも行きたい?」
当然だと吠える。だって、主人はココアがいないとダメなのだ。悲しそうな匂いをしている時は顔を舐めてやらないといけないし、主人はぎゅーっとココアを抱きしめないといけない。
「分かった。君の形は変わる、君が真に願えば成長だってするだろう。いい来世を」
そうして、ココアの意識は薄れた。
気づけば、ココアは怖い生き物に囲まれていた。そして、主人と再会した。だって、主人は同じ匂いをしていた! あの匂いも、頭の撫で方も、声の調子も! 全部、主人のものだった。ココアをココと短く呼ぶようになったけど、昔からココと呼んでくることもあったから同じだ。
前と違ってここには危ないものが沢山あって。だから、ココアは本当は主人を守らないといけなくて。
それなのに、今はココアを守るために主人が傷ついている。主人の血の匂いがする。守りたい、もう待つのはいやだ。ずーっと待つのは、守れないのは嫌だ!
『ワォーン!!!』
不思議と力が溢れて、身体まるごと使ったような大きな声が出る。どんどん視界が高くなっていって、主人もその仲間も小さくなっていく。
「ココ!? なっ、なんでそんなに大きくなってるんだ!?」
あんなに大きかった緑の怪物だって、もう怖くない。勢いよく身体を動かして、その緑の怪物に向かって走る。
ぶつかった緑の怪物が倒れる、大きく口を開けてその喉元を食い破る。もう、主人を傷つけさせない。拾ってくれたあの少年を今度こそココアが守るのだ。
だから、ココアは、これからはずっと主人といっしょだ。もうその帰りを待つことはない。
—――――――――――――――
何が起こっているのかイグニスにもさっぱり分からない。分からないが、気づけばココがすごく大きくなって、オークの喉元を食い破って殺していた。
「ココちゃん!?」
ナラは驚きながらも、危うげなく左にいたオークに止めを刺していた。大きな土の塊が頭の上から降ってきたから、幾らオークといえど耐えられなかったのだろう。
1人でオークを倒せるようになったナラに感心している場合ではない。まだ、オークが1匹残っている。
「ナラ、足場を作ってくれないか」
イグニスが残ったオークへ向かって走り出すと、空中に幾つかの土の塊が浮かびあがる。それはオークの頭へ至るための飛び石のように浮かび上がっていた。
当のオークは唸って棍棒を振りまわすが、土の塊を狙うという知性はない。イグニスはナラが作ってくれた土の塊へ向かって飛びあがり、身軽に幾つかの土を飛び移っていく。
腕が折れているので技術がいる刀は扱えない、力押しで行くしかない。イグニスはオークの頭付近まで飛ぶと、両手剣を引き抜く。そして、身体全体を空中で回すように、両手で大剣をオークの首へと叩きつけた。
『グァァ!』
渾身の一振りは、オークの首の骨を折った。オークは地面へと倒れていく。
イグニスはそのまま両手剣を離すと、幾つかの土の塊を経由して地面へと戻る。
目の前には3体のオークの死体。そして、イグニスの背丈よりも大きくなったココがいた。




