見回り
イグニスが生まれ育ったリーヴィニ領は水資源が豊富な地域だ。水源の側には文明が栄えやすい、その必然に従ってリーヴィニ領も農耕を始めとした産業で栄えている。
リーヴィニ領の中心、領主の住まうマレハーダの街は貴族や豪商向けの仕立屋から露店の商人まで、街の区画によって配置は異なるが大よその物は街中で揃う。それこそ、竜の鱗のような希少なものでもない限り。
衛兵は定期的な見回りをしているが、どうしても貴族や豪商が集まる地域に警備が固まりやすい。衛兵に頭を下げてもらうために歩き回っている訳ではないので、基本的にイグニスはそういう場所を避ける。
通りがかった青果を並べた露店の前で、店番をしていた店主が声を出す。
「イグニス様!!」
「カイか、調子はどうだ?」
「ぼちぼちですよ。イグニス様こそ相変わらず仲睦まじいようで」
隣でどこか自慢げに頬を緩めた幼馴染を横目に、よくはないのかとイグニスは尋ねた。
「最近、スキルなしの流れもんが居つき始めて、ちょっとでも目を離せばすぐに商品を盗られるんですよ。村を追い出された時に魔物に食わればよかったのに、異端者どもめ」
自然とイグニスの眉間にしわが寄る、アリアは隣で頷いた。
「物を盗むなんて、なんて酷い人たちでしょう」
「……アリア、飢えれば誰でも盗む。お前は飢えずに済む方法を先に考えるべきだ」
迂遠すぎた言い方は少女には正しく伝わらなかったようで、軽く首をかしげるだけに留まった。今のイグニスでは打てる手がない。だから、イグニスは見回りを増やすように伝えておこうとだけ言った。
「イグニス様にアリア様! こんにちは!」
通りの向こうから両手に水が入った木製のバケツを握った少年が大きな声を出す。カイの息子は露店の前にバケツを置くとイグニスの側で満面の笑みを浮かべた。
「家の手伝いか、偉いな。それに、いい挨拶だ」
「えへへっ、ありがとうございます」
カイの息子、ニコはまだ十にも満たない年齢で、家業を手伝う素直な子どもだ。父親の使いで道に迷って、裏路地で暴漢に身ぐるみを剝がされそうになっているところをイグニスが助けて以来、無愛想なイグニスをよく慕ってくれている。
「その調子で頑張るんだぞ」
不器用さがにじみ出ている言葉に反して、イグニス様みたいになれるよう頑張るよと明るい声が返される。イグニスもそれに頷く、この少年の期待を裏切りたくはない。
この世界で命は容易く奪われる、町中であっても人通りの少ない裏路地や夜は子どもが一人では歩けない。けれど、イグニスは誰であっても堂々と、いつでも一人で歩けるような街になればいいと思う。
まだ成人も迎えていないイグニスに出来ることは多くはない。カイとニコの二人に別れを告げて、アリアと共に再び歩き出す。自分の無力さはよく知っているけれど、今の自分に出来る範囲で子どもを、何も悪いことをしていない人たちを助けたい。
イグニスにはそれが出来るだけの力があるのだから、そうするのは当然のことだった。
「イグニスは本当にみんなに慕われていますね」
「ああ、みんな良くしてくれている」
「違いますよ、それはイグニスが素晴らしい人だからです!」
イグニスはそれを肯定しない。目の前で他人が落とした物を拾って、本人へ返すだけのことと同じなのだから。
マレハーダの街に物乞いはあまりいない。親を亡くして物乞いをするぐらいなら教会に身を寄せるからだ。もし物乞いがいるとしたらそれはスキルがなくて村から追放された子どもだ。女神から見放された異端を教会は救わない。
遠くから男の大声がする、自然と片手でアリアを後ろに下げて剣の束を握る。
「ぎゃはは!!こいつ、スキルなしだぞ!スキルなしの異端者が物乞いなんかして、誰も同情するわけないだろうが!」
「スキルがなけりゃ頭も空っぽなのか、お前みたいな弱っちいやつ誰も助けやしないぞ」
「お前の価値なんか俺たちの憂さ晴らしに殴られることぐらいだよ!」
3人組の冒険者らしき男たちが道端で子どもに拳を振り上げる。だから、イグニスは迷わずに全力で走り出した。
子どもを助けるのは力のある大人として当然のことだ。




