始まり
~~時は遡ること一月前~~
イグニスは両手に構えた木剣を強く握りしめる。向かい合った父はイグニスと違い片手で木剣を軽く握っていた。軽く息を吐いてから、両手を高く振り上げてがら空きに見えた胴体へ木剣を振り下ろす。木剣の軌道は既に読まれていたようで、父はイグニスの木剣を軽くいなした。
「もっと真剣に打ち込んで来い、そんな体たらくで領地を守れるか!」
「はい!」
今度は剣先でフェイントを織り交ぜて、浅慮な攻撃を誘うが、流石にこの程度では実力差は覆られない。だから、イグニスは何度も何度も繰り返す。攻撃を弾かれて身体が吹っ飛ばされても受け身をすれば軽い打撲で済む。それに元より木剣だ、死にはしない。
「父さん、商人が呼んでるぞ」
イグニスの身体にはすでに無数の打撲が出来ていた。父はもっと精進しろとだけ言って、木剣を片付ける。
「そんなに稽古して、イグニスがこの家を継ぐか」
イグニスよりも随分と背の高い兄は屈託なく笑って、イグニスの頭を乱暴に掻き撫でた。
「まさか、長男が家を継ぐのが当たり前だろ。俺には向いていないよ」
「ならなんで、そんなに稽古してるんだ。俺より強くなる気がないっていうなら、愛しのアリア嬢を射止めるためか」
「からかわないでくれ」
イグニスの兄は笑みを崩さずに、さっさと傷を治せよと手を振って父と去っていった。一人になったイグニスは身体についた汚れを払ってから、庭から直ぐ隣の母屋へ入る。イグニスの母は概ね決まった時間に決まった場所で過ごす。だから、見つけるのは簡単だった。
「あら、イグニス。また怪我をしたの?」
「悪いけど、治してほしい」
「全く、本当に乱暴に稽古をするんだから。いい? 治るからって無茶をしていい訳じゃないのよ」
いつもの母の小言を聞き流す。見る見るうちに身体にあった青あざが消えていくのを見て、治癒魔法というのは本当に便利だとイグニスは改めて思った。
「本当に貴方は無茶ばかり、まだスキルも授かってないんだから余り危ないことはしちゃダメよ」
「分かっている。ありがとう、母さん」
「女神の加護に感謝をしなさい」
形だけ頷いて見せれば、母はため息をついた。イグニスの信仰心の薄さはもうとっくにばれている。それでも毎回治療をして、何度でも注意をしてくれる母をイグニスはそれなりに慕っている。
母はまだスキルを授かっていないイグニスが火魔法を扱えることを異常だと教えてくれたし、今も誰にも言わないでくれている。そのお陰でイグニスは今も普通に生活が出来ていた。
治療を終えて自室に戻ったイグニスは腰に帯びた木剣を片付け、代わりに自身の剣を帯びた。剣と共にあるのがイグニスの普通の日常だった。




