生活拠点
イグニスとナラは暫くグラナードに滞在することになる。その上で一番大事なのは、宿の確保だ。余り他人と会話をするのが得意じゃないイグニスに代わって、ナラが道行く人々に声をかけてこの辺りの情報を聞いていく。商人風の男から、地元に馴染んだ女性まで、多種な相手から聞き取った情報が偏らないようにしているナラの姿は非常に頼もしかった。
ナラが情報をまとめて、宿はここに行ってみましょうと提案してくれたのに頷く。ナラは金銭感覚がしっかりしている上に、状況判断も適格だ。不意にナラの視線がイグニスの顔へと刺さる。
「イグニスさんって、騙されやすそうですよね」
「そんなことはない、と思う。殺意には敏感な方だ」
それに物盗りにだって気づく自信である、マレハーダでも盗みを働いた人たちを何人も捕まえてきた。それに、この世界の詐欺師はそこまで巧妙じゃない、イグニスなら気づけるはずだ。
「なら、私のことを信頼してくれているっていうことにします」
「うん、信頼している」
ナラには複数の情報を比較して、適正なものを選ぶ優秀さがある。一番安い複数の冒険者が大部屋で雑魚寝をする共同宿泊所のような宿屋ではなく、手頃である程度の安全性を保てる宿屋をイグニスが伝える前に選んでいた。
「えっと、ありがとうございます?」
頬を赤らめたナラは、小首を傾げて礼を言った。だから、イグニスは頷く。
本当にナラには助けられていた。
イグニスは元々マレハーダの生まれで、街の外で滞在した経験は少ない。数回程度、父の遠征に連れて行った貰ったことはあるが、そういう時は概ね周りの人々が宿の手配をしてくれていた。野宿をする際も天幕が張られていたし、宿も初めから個室が手配されていた。
ナラが選んだ宿は民家が二軒並んでくっついたほどの大して大きくもない建物だった。看板には簡素に『宿』とだけ書かれている。イグニスは両開きのドアを開いた。
宿の受付をしているのだろうカウンター、その横には階段と通路があった。カウンターは常に人が立っている訳ではないらしい、今は無人だった。
「誰かいないか?」
無人のカウンターにはベルもない、イグニス声に反応して2階から下へと降りてくる足音が響く。
「客かい? 客じゃないなら帰りな」
2階から降りて来たのは老婆に近い女性だった。足腰はしっかりしているが、髪には白髪が混ざり、その腕にはシーツなどを入れた木製の籠を抱えている。
「暫くの間、泊まらせてほしい」
「うちは先払いだ。支払いがなくなったら、部屋の荷物は売り払うし、力づくでも追い出す。食事は朝と晩に部屋へ届ける、いなけりゃ食い損ねるだけだけどね」
「二人泊まると幾らになりますか? 部屋は同じで構わないです」
ナラへと視線を向ければ、節制しましょうという返事があった。本来なら異性が同じ部屋に泊まるべきではないが、防犯の意味では同じ部屋の方が望ましい。この宿はどちらかというと安宿の部類で、安全性は大して高くない。
一泊の値段は手頃で、懐事情を鑑みると一か月程度は泊まれる。けれど、武器や防具を揃えないといけないので、予算配分が必要だ。ナラと話した結果、一先五日泊まることにして先に支払いを済ませる。
「これが部屋の鍵、部屋は上がって突き当り奥だよ。水は庭の井戸から、泊まっている間は邪魔にならない程度に庭を使ってくれていい。
桶一杯の湯を夕食と一緒に持っていく、これも受け取り損ねたら自分たちで何とかしな」
宿の女主人は二回の突き当りだと言ってカウンターへ鍵を置いた。
「それから、お盛んなのは結構だが夜は静かにしな。他の冒険者から苦情がきたら追い出すよ」
「……色々と丁寧にありがとう、暫くは世話になる。けれど、俺とナラは仲間だから、無用な心配だ」
夫婦か恋人にでも間違えられているのだろう、途端に気まずくなってイグニスはつい視線を逸らしてナラを見る。当のナラはほんの少し考えた後に、ぶんぶんと首を振った。
「仲間なので!静かです!」
基本的に街よりも村の方が結婚は早い、意味が伝わってしまったらしい。
「そういうつもりじゃなくても、勝手にそうなってるもんだよ」
嫌に実感がこもった様子の女主人に応える言葉はなく、イグニスは軽く頭を下げることで応えた。同じようにナラも頭を下げて、お世話になりますと声を出す。その様子にふいに気が緩む。それから、イグニスは階段をナラと一緒に階段を上がって、貰った鍵でドアを開く。
そうして、二人は暫くの間暮らすことの宿へやっと荷物を置いた。




