いつかきっと二人で
交代で夜の見張りをした二人は、日が昇ると同時に荷物を片付けて出発する。通る道は昨日とそう変わりはしない。変わったのは、もう二人が手を繋いでいないことだった。もう大丈夫です、礼とともにそう言ったナラにイグニスは成長が早いと内心で思う。
昨夜も攻撃の避ける上で基本的なこと、攻撃を受ける瞬間に目を閉じないことを直ぐに覚えてくれた。反射的に目を瞑りそうになるのは当然のことだが、それを戦闘中にやると命取りになる。スキルの話にしろ、ナラは本当に考え方が柔軟で、イグニスはナラのそういうところを見なわないといけないと何度も思う。
15年もこの世界で生きて、この世界の常識だってある程度は身につけたつもりだ。けれど、差別だけは受け入れたくない。差別は仕方ないと諦めるものではなし、当然のことだと受け入れるものでもない。それはイグニスにとって譲ってはいけない一線だった。
途中で木の実や果実を拾って、日が高くなった頃には昼食を兼ねた休憩をとる。方角も間違っていないし、川から近い場所を選んで歩いているから水には困らない。
元々、イグニスは隠れて火魔法を練習していたので、大掛かりな魔法には慣れていない。多分、使えはするが火力の調整を出来る自信がない。木々に燃え移ってはいけないので大胆な火魔法は使えないが、この辺りに魔法がないと倒せない魔物は出ない。
ナラは当然イグニスよりは体力がないが、村育ちだからか身軽で森を半日歩き続けてもまだ余裕がある。休憩を終えた二人は立ち上がる、旅は至って順調だった。
前を歩くイグニスに耳に聞きなれない音が入る。即座に振り返ってナラへ視線だけで止まるように合図をする。微かな水の音、木の葉の落ちる空気、それらに混ざって。大型の何かが足元の小枝を踏みつけて歩いている音がする。
「大型の魔物がいる、グラナードへは回り道になるけど一旦後退しよう」
イグニスは静かに既に歩いて道を均している方へと早足で進みだす。緊張した様子のナラは黙って頷き、小走りでイグニスの後を追う。
『グルァァァ!!』
魔物の大声が響き、足音は地面を微かに揺らすほどに変わる。しかも運が悪いことにこちらに走って向かってきている。それに混ざってもう一匹、小型の魔物の足音がする。
「避けきれない、一旦迎え撃つ。ナラ、今は近くにいてくれ。引き付けられそうなら、俺が引き付けるから。その後ははぐれない範囲で距離をとってくれ」
ナラだけをさっき休憩したところまで戻すと、他の魔物に遭遇する可能性も微かにある。それにこの森の中ではぐれるのも拙い。はい、短くても冷静な返事と共にナラがイグニスの隣に立つ。その冷静さにイグニスは内心で感謝した。
イグニスは鞘から剣を抜いて構える。木々の隙間から逃げてきた銀の狼、シルバーウルフが飛び出してくる。イグニスは昨日と同じく一振りでその魔物を倒す。
シルバーウルフを追って、木々をなぎ倒している大型の魔物の姿が露わになる。その魔物はイグニスの身長よりずっと大きく、イグニスの身長と同じほどの棍棒を振り回していた。皮膚は淀んだ緑で毛は生えておらず、顔は醜い豚のようだった。
『グァァァ!!』
獲物を目の前で横取りされたことが腹に据えたらしい、叫びとともに手に持った棍棒をイグニスへ向かって振り落とす。ナラを抱えて後ろに飛び退くことで、攻撃を回避する。
「きゃっ!!」
「こっちだ!!」
イグニスは抱えたナラを置いて視線で合図をしてから、魔物の左側へ走る。上手く釣られてくれたようで、魔物がイグニスを追いかける。
徐々にナラと距離をとれるように、魔物が繰り出す一撃でも当たれば確実に死ぬ攻撃を避け続ける。攻撃は単調だから、避けることは問題ない。確か緑色の大型の魔物はオークだと聞いたことがある。多分、目の前の魔物はオークなのだろうが、この棍棒はどこから拾ってきているのだろう。魔物が武器を作るとも思えないが。
オークが振り回した棍棒が木へ当たる。その木が倒れる一瞬の隙に、イグニスはオークの足元に潜り込んで、軸足を剣で斬りつける。分厚い皮膚が確かに斬れたが、少し血が出ただけで決定打には欠けた。
斬られて怒ったオークがイグニスの頭上へと棍棒を振り落とす。その直線的な攻撃を避ける、振り落とされた棍棒は地面を抉った。棍棒や木を利用すれば頭に攻撃は出来るが、回復手段が限られた状況でやるのにはリスクが高い。
結局、イグニスは隙を見つけて同じ場所を斬りつける長期戦へと切り替えた。
—――――――――――――――
ナラは震える両手を握りしめて、息を呑んで大きな魔物が棍棒をイグニスへ振り落とす様を見つめた。イグニスは危うげなくその攻撃を避けているけれど、剣では魔物に大した傷をつけられていない。心臓の音が嫌に耳に残る。シルバーウルフを一振りで殺していた剣は、大きな魔物の皮膚一枚だけを切り裂く。
ナラは何もできてない。
初めて会った時からずっと、イグニスはナラを守ってくれた。騎士という立場で婚約者や家族に街の人を守りながら、ナラのことまで守ろうとしてくれた。
スキルなしの異端者として、誰からも認められない自分へ手を差し伸べて、足手まといにしかならない自分を必要だと言ってくれた。
村を追い出されて傷だらけでさ迷った森の恐怖も、街の中でいつ誰に傷つけられるか分からずに裏路地で丸まってうたた寝をしていた緊張も、イグニスといると自然と遠くなっていた。
昔の記憶を思い出す。ナラの母は土魔法が使えた。目の前の地面の土が盛り上がる、そこに種をまくと作物はよく育った。
村に魔物が出た時は母が直ぐに駆けつけて、土で作った鋭い針を魔物へと突き刺した。
父と母は女神様を信じてよく働き、ナラをきちんと育てくれた。女神様に誓って悪いことはしてはいけない、そう言った二人と女神様を、ナラは信じていた。ずっと信じていたのに。
スキルを授かれなかった時、村の人たちはナラへ石を投げた。村の恥さらしだ、殺せ! そう叫ぶ人々からナラを庇って、母は涙と血を流していた。
どうして、そう泣きながら覆いかぶさるように抱きしめ続けてくれた母の声を今も覚えている。
父は家からマントを取ってきてナラへ被せて、母へ魔法を使うように言った。母の魔法で作られた壁が村の人々とナラ達を隔てた。ごめんなさい、貴方をスキルなしに産んで本当にごめんなさい。何度も言った母の悲しみを覚えている。
必死にかき集めた食料だけをナラに渡して、村の外へ行くように背中を押した父の手のひらの熱さを覚えている。生きてくれ、父はナラへそう残した。
ナラは幸運だった。イグニスはスキルがないイグニス自身を幸運だったと言った。だから、ナラもとても幸運だった。父と母はナラを守ろうとしてくれた、イグニスは手を差し伸べてくれた。
心臓が高鳴る、身体を流れる血を熱く感じる。イグニスは魔法を血の継承といった。ナラは二人に恥じない生き方をしたい、このまま何もできないままでいたくない!!
大きな魔物が一歩足を踏み出そうとする。脳裏に母の姿が蘇る。ナラを少しだけ守ってくれた分厚い土の壁、今もずっと尊敬している母の言葉がナラの口から飛び出る。
「アースウォール!!」
壁というには余りに貧弱で、土が大きく盛り上がっただけだった。
それでも、魔物は盛り上がった土に躓いて、目の前の地面へ倒れ伏す。イグニスはその隙を見逃さず、倒れた魔物の上に昇りその後頭部に剣を突き刺した。
魔物の断末魔が森中へ響くのと同時に、ナラはその場へへたり込む。気づけば両目からは大量の涙が溢れていた。
—――――――――――――――
イグニスはオークが息絶えたことを確認してから、走り出す。
「ナラ!」
さっきのは確かに魔法だった、ナラは全身の力が抜けたように座り込んで大粒の涙を流している。
「う、うわぁぁん!!」
少女の大きな泣き声が森中に響く。イグニスはその身体に傷がないことを確認してから、同じように地面へ膝をつける。
「よく頑張った、ナラのお陰で倒せたよ」
「イグニスさん、わたし、わたし!!女神様に見捨てられてなかったんです、父さんと母さんの子どもだったんです!」
イグニスは父がイグニスへしたように少女の両肩に手を添える。
「うん、ナラは立派だ」
「私、もう二度と母さんと父さんに会えないって思ってて。でも、私は生きててよかった、産まれなきゃいけないなんてことなかった!」
ふいにイグニスの目頭まで熱くなる。どうしてナラがそんなことを思わないといけないのだろう。だって、この少女は何も。肩に添えただけの手に力が籠る。
「スキルがなくても、生きていていい。そんなのは当然だ。だから、俺が当然のことにする」
「……イグニスさん?」
緑の瞳が瞬く、どうして自分はこんなにもナラが傷ついていることを理解できなかったのだろう。けれど、イグニスは大人だから、過去を変えられないことを知っている。
「俺がナラを大手を振って故郷に帰れるようにする。冒険者として活躍して、ナラの村に認めさせる」
優しい少女の涙が止まる。そうして涙で潤んだ瞳のまま、首を振った。
「そんなのできっこないですよ」
「すぐにはできないと思うし、俺一人だと無理だ。だから、ナラも戦ってくれ」
そんなのをナラに強いるのは絶対的に間違っていて、それはイグニスが一人では弱いせいで。それでも、ナラは目元を赤く腫らしたまま頷いた。
「なら、私はイグニスさんがマレハーダへ帰れるようにします。
だって、貴方みたいな素敵な人が故郷を追い出されるなんて、間違ってますから」
さっきまで泣いていた少女は力強く微笑んだ。緑の瞳は最初に会った時よりも更に強い希望の輝きが灯っていた。小さな手が肩に置いたままの手に触れて、もう大丈夫だと伝える。だから、イグニスは立ち上がった。
「ナラにはかなわないな」
地面に座り込んでいた少女は一人で立ち上がる。
「私はイグニスさんの仲間ですから。いつか二人で帰りましょう」
「ああ、絶対に」
視線を合わせて頷きあう。そうして、二人はまた歩きだした。
これは復讐の物語じゃない、英雄譚でもない。故郷を追放された人たちが、故郷に帰るための物語だ。




