11.30_耐えがたき力
下北沢、異界洞窟。
フロントさんとライザのおかげで、洞窟の1本道を突破したセツナたち。
その先に待ち受けていたのは、ジェインソン男。
彼は、セツナたちを、自分の術中だと言った。
魔導者の攻撃部隊を、すぐには引き返せないほど奥地へ誘い出し、逆に自分たちの軍勢を侵攻させる。
魔導者の戦力を分断し、さらには、自軍の切り札を侵攻させる。
界王リヴァイアサン。
三界を統べる王を渋谷に召喚し、破壊の限りを尽くし、畏怖と恐怖を集め、自軍のリソースとする。
‥‥そういう予定だった。
しかし、魔導者たちにも作戦があった。
目には目を、ハロウィンにはハロウィンを。
魔導者は、電脳霊体となったマルを囮に、敵軍を誘導。
敵の切り札である界王リヴァイアサンに、魔導者の切り札である、グレイドラグーンをぶつけることに成功したのだ。
「‥‥ぐぬ、ぐぬぬぬ‥‥‥‥!」
ジェインソン男は、ファイトリングの上に浮かぶ魔法の足場で、肩を震わしている。
両の拳を強く握り、腕の血管を浮かび上がらせている。
セツナたちに見せつけていた、渋谷を映す魔法液晶を消す。
「まあ良い! 三界の王が、龍の模型ごときに負けるはずがないァい!
そしてェ! お前たちが、俺に勝てるはずがなァい!」
ジェインソン男には、まだ手札があるようだ。
魔導者を前に、彼の一人舞台は続く。
セツナたちは動かない。
いつもの彼らならば、ジェインソン男が手札を切る前に戦いを仕掛け、制圧を試みるはずだ。
なのに、誰一人して、ジェインソン男に攻撃を加えようとしないのだ。
フロントさんの回復を待っている?
それとも、周囲の状況を確認している?
セツナの視線は動かず、一人舞台を楽しむジェインソン男を見上げている。
まだ彼の舞台にに、付き合ってやるつもりのようだ。
魔導者の伏せている手札にも気付かず、ジェインソン男は胸ポケットから、カードを取り出す。
トランプくらいの大きさのカード。
そこには棺桶の絵が描かれている。
「Q」と刻印がされた棺のカード。
「ジェインソンマジック発動!
吊るし人の棺桶 (ハングマン・コフィン)!!」
カードが、紫色の光を放つ。
魔力野が、魔力の流れを知覚する。
チャンネルミックス。
感覚の混線が起き、魔力に嗅覚が反応する。
カビた空気の匂い。
甘ったるい、蜂蜜のような匂い。
不快感を覚える匂い。
長時間吸っていたら、頭が痛くなってしまいそうだ。
ここに窓があったのならば、今すぐに開け放って、換気をしたい。
窓の外へ上半身を乗り出して、大きく息を吸い込みたい。
そんな衝動に駆られる不快な匂いが、窓の無い洞窟の空間に広がっていく。
魔力野が匂いとして知覚させる、ジェインソン男の魔法。
気分を害する魔力だ。
きっと、碌でもない効果なのだろう。
セツナは、口元を服の袖を使って覆う。
自らの魔力が、不快な匂いを打ち消す。
そうすると今度は、蜂蜜のようなネバネバとした魔力が、服と肌を引っ付けるのだ。
趣味が悪い。
本当に。
地面から広がる匂い、空中へと向けられる視線。
ジェインソン男にとっては、どちらも心地が良い。
「ヂェーンソッソッソォ!
ハングマンコフィンの効果により、俺は監獄エリアから、人質トークンを好きなだけ召喚するぅ!
出でよ! 憐れな人間どもォ!」
カビと蜂蜜の匂いが、いっそう強くなった。
地の底に、魔力的な通路が出来たようだ。
強力な力で、別のエリアに居る人間を吸い込み、棺桶に閉じ込め、ファイトリングに呼び出す。
魔法災害の混乱に乗じて誘拐した人々。
ジェインソン男は、彼らをこの場所に呼び出すつもりでいる。
その意図は明白。
殺すつもりなのだ、セツナたちの目の前で。
魔法は、心の強さの影響を受ける。
セツナたちは優れた魔導者だが、目の前で人が殺されて平常心でいられるほど、死に対しての免疫を持っていない。
ダイナと八車の目つきが鋭くなる。
ダイナなどは、今にも斬りかかりそうな勢いだ。
ジェインソン男の手元から、魔法のカードが消える。
ファイトリングに棺桶が召喚される。
召喚された棺桶は、人質であり、生贄である。
ハロウィンが魔導者に勝つために、いまから消費されるのだ。
その、生贄となる人々の数は――――、0人。
‥‥‥‥。
召喚された棺桶の数は、0個。
「‥‥あれ? おかしいな?」
場の空気が緩む。
ダイナが肺から息を吐き出す音が、空中の足場にいるジェインソン男まで聞こえるほど、静かな沈黙が流れる。
緩み、留まった空気は、騒々しいジェインソン男によってかき混ぜられる。
「もう1回だぜ! ジェインソンマジック、ハングマンコフィン発動!!」
胸ポケットから魔法のカードを取り出し、掲げる。
棺桶が描かれたカードは紫色の光を放ち、消える。
地の底からカビと甘い匂いがせり上がり――、しかし何も起こらない。
ジェインソン男が疑問符を浮かべている下では、セツナたちが互いの顔を見合わせている。
その表情は、先ほどまでと異なり、柔らかい。
JJが、セツナの背中を叩く。
セツナは、包帯の巻かれた左手に触れる。
女神のしっぺ返しで炭化した腕は、包帯の上からでも冷たい。
訳知り顔の魔導者たち。
ジェインソン男は、魔法の足場の上で地団駄を踏む。
「テメェら! 一体何をしやがった!!」
「‥‥さあね? アンタが攫った、魔女に聞いてみなよ。」
ジェインソン男が昨日、攫っていった魔導者。
彼が攫ったのは、悲劇のヒロインでも、囚われのお姫様でもないのだ。
彼が攫ったのは、ズルくて悪い、魔女なのだ。
ファイトリングが設営された空間、セツナから見て左前の方向。
丸い魔法の扉が開く。
ビスケットの生地を、型でくり貫くみたいに空間が歪んで、ぽっかりと丸い穴が開く。
丸い穴からぞろぞろと、団体さんのご到着。
カボチャ、ホッケーマスクの労働者、私服の人間。
そして、魔女。
アイだ。
カボチャを手下にして、人質を連れてファイトリングまでやって来た。
予期せぬ団体客に、ジェインソン男は驚愕する。
「げげ――!? お前は――!!」
「あらごきげんよう、ジェインソンファイトクラブの支配人。」
「お前には、ハロウィン改造手術を施したはず!?」
「‥‥‥‥? ああ、そういう設定もありましたね。」
アイの頭上の空間が歪む。
空間が、蛇のように蠢く。
歪んだ空間は、光を屈折させ、光を七色に分解する。
アイの頭上には、七つに分かれた光が、歪みを生み出している。
歪んだ空間が蠢くたび、なぜかは分からないが、肌や髪に、潮風が当たったような感覚を覚える。
肌に潮が付着して、湿ってザラりとした感触がする。
さらに不可解なことに、ザラりとした感触は糸を引く。
潮風に絡め取られたみたいに、アイの方へと、手繰り寄せられる。
肉体ではない。
心が、彼女の方へ手繰り寄せられていくのだ。
そして心は、それに逆らえない。
言うなればそれは、真実との邂逅。
この世の真実、絶対。
人智の外、理解を越えた正義。
この世に神などいないのに、なぜ人は胸に聖書を抱えるのか?
それは、人が正義の奴隷だからだ。
人は正しさに、正義に、居心地の良さを覚え、それに従属する。
潮の糸に引かれると、その心理を刺激される。
アイこそが正しい、絶対なのだと、信じてしまう。
彼女の支配こと正しく、被支配者の立場に下ることで、安息を得ようとしてしまう。
社会的な心があるのなら、抵抗できない。
潮風の糸に絡め取られ、このまま彼女の元へと行ってしまいたい。
彼女に操られたい。
支配欲の対となる感情。被支配欲。
信仰や狂気に似た思考と感情が、脳と心をくすぐるのだ。
‥‥アイの頭上で、一瞬、歪んだ空間が輪郭を持った。
長い髪がしだれる音と、肌が擦れる音と、硬い尾が這いずる音がした。
暗い月の奇跡:破れた着古絹衣
アイの頭上にいたのは、蟲の聖女。
上半身が人で、下半身が虫のサナギ。
龍と見紛うほどに巨大な、おぞましい聖女。
背中から腕が生えた異形の聖女。
指先からは、蚕の糸に似た細い線が広がっている。
聖女の輪郭が見えたとき、魔導者たちは、その糸の存在に気付く。
糸が、カボチャや人質を絡み取っていることに。
自分たちの身体にも、その糸が絡まり始めていることに。
アイの上に浮かぶ暈の冠は、女神のおさがり。
女神が袖を通したと言われる絹衣、それを被った聖女。
聖女は一瞬だけ、揺らぎの中で姿を見せ、また歪んだ空間へと消えた。
その一瞬だけでも、彼女の姿は脳裏に焼き付いて消えない。
痛みも無く脳細胞を焼いて、聖女の姿を物理的に記憶させた。
例え盲目の者であっても、この聖女の姿は脳に焼き付き、離れない。
禁忌に触れたことによる倒錯障害。
こうやって人の魂は、禁忌に触れるたび、禁忌に侵されていく。
人の脳を焼くこの暗い奇跡は、絹を着せた人間を、操ることができる。
次の満月が来るまで、1度だけ。
1度だけ、聖女の権力を盾に、支配の力を得る。
「いまの私は、ハロウィンよりも、バレンタインの気分です。」
聖女の権力を暈冠にして支配者は、そう告げる。
そう告げたのだから、それは天の声。
すべての民衆は、それに従わなければならない。
カボチャだろうが、ホッケーマスクの人間だろうが、従わなければならない。
「それと――。」
アイは、ジェインソン男を指差す。
刑事が犯人を指差すかのように、力強く。
「ジェインソンファイトクラブは、インチキ八百長クラブですね?」
「げげげ――っ!?!?」
アイの指摘に、露骨に動揺をするジェインソン男。
ホッケーマスクの上から、だらだらと汗を流している。
「な、なんのことだぜ? 言いがかりだぜ?
ジェインソンファイトクラブは、清く正しい、血と殺戮の残虐ファイトクラブだぜ!
清廉潔白だぜ!」
「ほう‥‥、とぼけるつもりですか。」
しらばっくれるジェインソン男に対し、アイは目を細める。
アイは顎で、宙に浮いているカボチャに指示を出す。
顎で使われたのは、2体のカボチャ。
ホッケーマスクの作業者を1人、両脇から抱え込んで、アイの前へ跪かせる。
アイが右手を挙げると、頭上の空間が揺らぐ。
聖女が糸を操り、カボチャに着せた絹を動かす。
カボチャは腕に力を込め、ホッケーマスクの顔を地面に擦りつけた。
アイの足元で、頭を擦りつける労働者。
彼女の赤い瞳が、ジェインソン男を見る。
「では、これはなんですか?」
平坦な声で、アイは労働者の頭を踏み潰した。
後頭部、ハイヒールのヒールが突き刺さり、頭蓋を貫通。
そのまま、アイの靴がぐちゃり‥‥、労働者の頭を粉砕。
アイによる殺人。
造作も無く絶命した労働者。
突然のことに、八車は口元を両手で抑える。
JJやフロントさんも、味方であるはずのアイの凶行に身構えてしまう。
しかし――。
頭を失った労働者の身体は、ドロドロと溶けていく。
それはまるで、火によって溶けるロウソク。
労働者は、アイの足の裏、蝋の水溜まりとなった。
「このマスクを被っている人たちは、魔法の蠟人形です。
人質を使って型を取った、蠟人形なのです。
茶番だったんですよ! ジェインソンファイトクラブは!」
「げげげげ――!?!?!?」
ジェインソンファイトクラブ。
それは、攫った人間を戦わせているように偽った、ただの人形遊び。
血を血で洗う残虐ファイトは、ただのやらせ企画だったのだ。
やらせがバレたジェインソン男。
両手で頭を抱える。
「ヂェ‥‥ヂェヂェヂェ――!」
困っているというよりは、苦しんでいる。
彼の魔力が乱れている。
彼の胸が、ひび割れる。
「ぐわぁぁぁぁあ!?
せっかく集めた恐怖がぁああ!?
ぐわぁぁぁぁあ!?」
ジェインソン男の胸から、黒い風が吹き出した。
洞窟の空間に、黒い風が吹き荒れる。
その風を浴びると、反射的に身体が身震いを起こす。
肌から汗が滲み、呼吸は浅くなり、心臓は早くなる。
風に当てられて、身体が恐怖に似た症状を引き起こす。
精神に影響はない。
心は、身体の震えに戸惑っている。
奇妙な感覚だ。
身体は恐怖で震えているのに、心はそれを俯瞰して、冷静で、ゆえに戸惑っている。
ジェインソン男が膝をつく。
彼から感じる魔力が小さくなっている。
象くらいはあった圧迫感が、今は大型犬くらいのスケールまで萎んだ。
脅威であることに変わりはないが、何段も相手をしやすくなったように感じる。
ジェインソンファイトクラブの恐怖が偽りだったことにより、弱体化したのだ。
隙が生まれた。
セツナが、アイに声を掛ける。
「アイ、今のうちに脱出を!」
「分かりました。」
「フロントさん、八車さん。
護衛をよろしく。」
「hai!」
「了解。」
「ヂェーン‥‥ソッソッソォ‥‥!」
幽鬼の如く立ち上がるジェインソン男。
アイが、カボチャや蝋人形、それと人質を伴って洞窟を脱出する。
トロッコの線路が敷かれた一本道を走っていく。
フロントさんと八車が殿を務め、セツナ・JJ・ダイナの3人がジェインソン男の前に立つ。
‥‥あと一歩。
あと一歩なのだ。
敵の補給網を潰し、敵の人質も奪還し、敵拠点の奥へと攻め入っている。
魔法災害の首謀者まで、もう指が掛かっている。
このジェインソン男をさっさと下し、この馬鹿げた災害を終わらせる。
それを知ってか知らずか、ジェインソン男は、胸ポケットからカードを取り出す。
守りの切り札。
白い、無地のカードだ。
「おいおい、帰るにはまだ早いぜ?
これからが、本当のハロウィンだぜ!」
白いカードを掲げる。
「ジェインソンマジック――、発動ッッッ!!!」
掲げられたカードに目掛け、ダイナが投げナイフを投げた。
アイと人質の安否の確認が取れた以上、もう彼の口八丁に付き合う義理はない。
ナイフが取り込んだ、「宇宙」の魔力により自壊する。
重みに耐えられず砕け散り、破片が爆縮を起こしながら炎の槍へと変わる。
日本の魔導者が誇る、最高峰の遠距離火力。
このナイフ1本が、日本の最新戦車の装甲を貫き破壊できるのだ。
洞窟に舞う細かい粉塵を燃やしながら飛翔する炎の槍。
宇宙の力は、音すら吸い込みながら進む。
燃え盛る炎は、不気味な死の槍。
音もなく流れ星のように閃く槍は、ジェインソン男に命中することなく掻き消された。
何かにぶつかることもなく、何かに妨げられたという感じでもなく。
消滅、消えた。
まるで、初めからそこに存在していなかったかのように。
‥‥槍の存在を書き換えられた。
その存在を、何者かに否定された。
ジェインソン男が掲げた、白いカードが光を放つ。
白い光、太陽のようだ。
太陽のようでいて、それよりも柔らかく、冷たい。
ちょうど、それは――。
――そうだ。
それは月の光。
太陽の光を反射して空に降り注ぐ、月の光。
白い月の光が、洞窟に満ちていく。
その光は、洞窟の広間を越え、一本道を走るアイたちにも届いた。
「――!? ‥‥うぅ!?」
アイの脚が止まった。
頭上に生じている七色の歪みが、白い光に掻き消される。
聖女の権力が、光により失われる。
頭上の威光が、白い後光に打ち消された。
一本道を走る全員の脚が止まる。
強烈に、後ろ髪を引かれる。
風など吹いていないのに、自分たちを止めるものなど何もないのに、前に進めない。
光から遠のくことが、ひどく恐ろしいことに感じてしまう。
空虚な感情だ。
空虚な赤子の感情だ。
強烈な喪失感。
目を覚ましたとき、母が視界にいない。
世界の中心である母が、自分の傍にいない空虚さ。
まだ言葉を覚えていない赤子が、母の膝元を離れるかのよう。
ひどく恐ろしく、ひどく虚しい。
アイの頬を、冷たい一筋の線が伝う。
「‥‥あれ? ‥‥あれ?」
一筋伝ったら、反対の方から二筋目が伝った。
動けない。
皆同じだ。
離れられない、離れたくない。
今すぐ踵を返して、この子守唄のような光に包まれていたい。
「――ちっ!」
最後尾のフロントさんが武器を取り出した。
廃材武器で、思い切り壁を殴る。
壁に熱を持つ魔力を流し、起爆。
壁を崩す。
引き返せないように。
光を遮るように。
だのに、月のぬくもりは消えない。
フロントさんの胸の高さまで積もった土砂の壁を、それが存在しないかのようにすり抜け、洞窟を出ようとする一団を包み込むのだ。
ついに、八車がその場に座り込んでしまった。
外へ出ようとする気力が、優しき光によって挫かれてしまった。
カボチャも、蝋人形も、人質も同じだ。
八車よりも早く、とうにその場に座り込んでしまっている。
フロントさんは、力が抜けていく腕に力を入れ直す。
頭を左右に振り、自分の頬を拳で殴りつける。
廃材武器から魔法を放つ。
炎の魔法、天井を穿った。
天井が崩れる。
セツナたちには悪いが、彼らならこれくらいの壁は障害にならない。
道は完全に塞がった、光は消えない。
フロントさんの抵抗にも、怒る素振りなどみせず、ただただ、そこに在る。
白く、そこに在って、包む。
包み込んだ者を、何も知らぬ赤子のように包む。
動けない。
フロントさんが膝をつく。
進まなければならないのに、全員に檄を飛ばさなければならないのに。
口は開くのに、声が出ない。
声が出せない。
言葉が出ない。
‥‥‥‥。
言葉‥‥、思考すら‥‥‥‥。
洞窟の広間の方でも状況は同じだ。
JJも、ダイナも、立っていられない。
ダイナが、コートの裏に仕込んだナイフに手を伸ばすも、ナイフが砂のように消えてしまう。
心が揺らぎ、武器相術が維持できなくなっている。
白い光のせいで、戦意が失われてしまう。
立てない、動けない。
ずっと、このまま、永遠に安息の眠りを。
だから動かない。
‥‥‥‥ただ、セツナだけを除いて。
『「オレの前で‥‥、女神の真似事か――!」』
この状況下で1人、彼だけは肩を震わせていた。
アイが流した涙とは、別の感情、別の理由。
その別の感情がセツナを突き動かす。
目の色を変え、声を震わせ、腸を煮やし。
彼にとってこの光は、ひどく神経を逆撫でる。
せっかく、魔女に寄りかかり眠っていたのに‥‥。
この光は、魔女の腕から自分を引き剥がし、自分を抱きかかえようとする。
目が、覚めてしまった。
目が覚め、肩を震わせたかと思えば地面を蹴り、獣のように洞窟を駆ける。
勢いをそのまま飛び上がり、ジェインソン男に掴み掛かる。
彼の握っているカード目掛けて、彼の腕を引き千切る勢いで。
光の濃度が濃くなる。
女性の香水に似た香りが強くなる。
石鹸の香り、ホワイトムスクの香り。
優しさや安らぎ。
近づけば近づくほど、セツナの神経を逆撫でる。
‥‥‥‥殺す。
目障りな存在は、殺す。
炭化した左腕を伸ばす。
白い光源に、我を忘れ掴み掛かる。
近づくごとに、泥のような感情が全身に駆け巡る。
心臓が泥を血管へ送り出し、思考を泥に埋めていく。
女神を喰らい、‥‥は、‥‥肉を‥‥復‥‥。
セツナの手が、白い光源に触れる瞬間――。
ジェインソン男が姿勢を崩した。
「――――!?」
泥の隙間から、正気が顔を出す。
正気が好奇呼吸をはじめ、体内に溜まった泥を肺から吐き出していく。
マヌケな顔をしたジェインソン男と、空中ですれ違う。
「ぐへぇぇ!?」
ジェインソン男は背中を反り、魔法の足場から落ちていく。
セツナは光源を掴み損ねる。
光源は宙に浮いたまま、その場で時が止まったかのように静止し、時が止まるような光を放っている。
時が止まりそうな洞窟に、音が2つ。
ジェインソン男が腹から地面に落ちて、セツナがふたつ足で着地。
上を見上げる。
座り込んだJJとダイナの前で、ジェインソン男が腹を抑えながら上を向き、その奥、ファイトリングを挟んで、セツナが立った状態で上を見上げている。
先ほどまで、ジェインソン男が立っていた場所。
この空間で、一番高い場所。
馬鹿が好きそうな場所。
一番、目立てる場所。
「ヒィィィィハァァァァ!!!!」
魔法の足場の上、白い光が照らす場所。
「絶体絶命のピンチに――、俺! オンステージ!」
黒い革ジャケットに、黒い革ズボン、黒いロングブーツ。
金髪だか赤髪だか緑髪だか分かんねぇロングヘア。
髑髏を思わせる、白と黒のコープスメイク。
天に掲げる、メロイックサイン。
「子守唄がお望みなら任せな!」
黒い衣装と、髑髏の化粧。
その出で立ちは、白く安らかな空間では、ひどく異物に見えた。
光が満ちる洞窟に、異物が混入している。
「地獄の門が、いま開かれる――!」
――ヴォォォォォォォオオオ!!!!!
身の毛もよだつ死神のデスボイス。
洞窟中に隈なく、隅々、津々の浦々まで響き渡った。
母の膝で眠りかかっていた赤子たちは、飛び上がり、鳥肌を立てた。
洞窟の奥、地獄の門が開かれた。
‥‥‥‥
‥‥




