11.28_09:17 三頭一鼎の界王
――三軒茶屋、キャロットタワー。
魔導者たちの本拠地。
8時55分ころ、キャロットタワーが攻撃を受けた。
タワーの上部が、魔法の光線により消し飛ばされた。
洞窟を掘り進むかのように回転をする、鉛色の魔力。
展望エリアは半壊。
一瞬で抉り取られ、冷たい外気が容赦なく入り込む。
‥‥敵の奇襲に、ハルが被弾した。
展望エリアで、小さな瓦礫を被って横たわっている。
外の冷たい風と共に、タワーに侵入者。
赤い装束に身を包んだ女性だ。
顔の左部分を仮面で覆い、顔の右側には、鬼のような角が生えている。
髪は白く、毛先だけが赤い。
彼女は――、散神の右手。
魔法災害の首謀者、腫瘍神の一部。
彼女の目的は、ハルの抹殺。
ハルが所有する、厄災の幼体。
それを、ホルダーごと封じるために、奇襲を仕掛けた。
ジェインソン男が仕込んだという呪いのマーカーを頼りに、先制攻撃。
奇襲は成功。
ハルは奇跡的に直撃は免れたものの、昏倒している。
すぐに戦闘復帰はできないであろう。
散神の右手は、確実にハルを葬るために、展望エリアへ侵入する。
ビルの麓では、腫瘍神の眷属である白ずくめが、防爆シャッターを魔法で破壊。
ヤマブキとの戦闘を開始している。
あっけない。
やはり、魔法に対する情報量の差が、如実に表れている。
腕っぷしが強くとも、搦め手に対する対処が甘い。
散神の右手は、展望エリアを一瞥する。
背後には、吹き抜けとなった床と天井。
前方には、転がる瓦礫と、ぬいぐるみ。
‥‥‥‥。
ハルの姿が見えない。
外から攻撃するときには、確かに居たはず。
攻撃は命中し、確かに昏倒していたはず。
だのに、こうして展望エリアに侵入してみればどうだ?
ここには、ぬいぐるみしか居ないのだ。
「あー、あー、あー‥‥。」
突如として、ぬいぐるみが声を発し始めた。
機械の電子音声。
ドギツいピンク色の体毛をした、クマさんのぬいぐるみ。
真っ白いお腹から、真っ白い綿が飛び出している。
「あー、あー、あー。
わたし、ハル。わたしは、ハル。
今をときめく、18歳。」
ぬいぐるみからは、なおも機械の音声。
仰向けになったまま、生気の感じられない瞳で天井を見ながら‥‥。
うわ言のように、自分はハルだと言う。
――ぎょろり。
ぬいぐるみが、散神の右手の方を向いた。
ぬいぐるみの瞳と、目が合う。
「みぃ~たぁ~なぁ~‥‥?」
神の右手は、魔法弾をぬいぐるみにぶつけた。
ぬいぐるみは、鉛色の魔力に穿たれ、粉微塵となる。
ビルの屋上に、マーカーの気配。
‥‥罠だ。嵌められた。
「来なさい――、グレイドラグーン!」
ビルの屋上で、本物のハルが厄災を召喚する。
厄災に連れ去れて、彼女は渋谷へと消えた。
ハルとグレイドラグーンは、渋谷に召喚された界王リヴァイアサンの元にフォールした。
首謀者の目論見は、魔導者たちには看破されていた。
展望エリアに居たハルは偽物。
電脳霊体へと変異したマルが、彼女に化けていたのである。
本物は、セツナの武器である、火薬の石棺の中で霊眠。
石棺にハルを詰め込んで、マーカーによる探知をシャットアウト。
武器相術で実体化した石棺の維持は、杏里が魔力を供給し続けることで解決。
あとは、ハルの髪の毛をひと房、お腹の中に詰め込んだマルに身代わりをしてもらえば、準備完了。
ダイナとブーマーが共同開発した、改良型疑似クラスルーンをマルに刻んで、マルが魔法を扱えるように調整。
それから、ハルの人格データや戦闘データを学習させて、呪術的な価値を持つ頭髪をぬいぐるみに埋め込めば、もう本物と見分けがつかない。
外見も、魔力も、立ち居振る舞いさえ、ハルそのもの。
ハルの兄であるセツナでさえ、外見だけでは判断ができないレベルの分身が完成した。
一夜漬けの欺瞞工作は大成功。
敵は、まんまと偽者に釣られ、攻撃をした。
本物のハルは、その隙に出撃。
そして、奇襲をしてきた敵部隊は、残りのメンバーが受け持つ。
「おっ! カワイ子ちゃん、はっけ~~ん!」
散神の右手は、ハルを追うためにビルから飛び立とうとする。
そんな彼女を、軽そうな男が呼び止める。
ブーマーだ。
杏里も、彼の後ろに立っている。
「火遊びが好きなら、俺と遊ばない?
気が合うと思うぜ。
俺も、それが大好きなんだ。」
‥‥‥‥
‥‥
◆
「さあ、始めましょう。」
渋谷では、グレイドラグーンが、三頭一鼎の界王と相対していた。
灰色の竜が、界王リヴァイアサンに挑む。
しかし、グレイドラグーンのコンディションは、万全とは程遠い。
昨日の傷が、完全に癒えてはいない。
顔の左半分は、装甲が剥がれ落ちている。
頭蓋骨のような骨格フレームが、露出してしまっている。
左腕も、肩関節が異常をきたしているのか、力無くだらりと垂れている。
右腕も無傷とはいかず、指も腕も、骨が露出している。
翼は両方ともに、穴が開いている。
翼膜はボロボロで、痛々しい。
普通のCEであれば、戦闘が困難なほどのダメージ。
だが、グレイドラグーンは戦える。
龍の心臓がもたらす生命力と、闘争心。
それをもって、界王の喉元に食らいつかんと、咆哮を上げている。
グレイドラグーンの体長は、約8メートル。
界王リヴァイアサンの体長は、約12メートル。
自分よりも一回り大きな大蛇を前に、怯むどころか、ますます闘争心を昂らせる。
ますます、凶暴性を剥き出しにしていく。
灰色の竜が、界王に飛びか掛かる。
ハルの操縦を待たずに、勝手に仕掛けた。
半ば屍と化した竜が、本来は動くはずのない体と翼で、風を切り裂く。
飛び掛かりながら、口を開ける。
口から、炎が漏れ出す。
青い、彗星のごとき炎。
竜のブレス。
界王へと迫る。
界王は、それを水のブレスで相殺。
口から放たれた巨大な水球が、火球とぶつかり、攻撃を無力化した。
周囲に蒸気が霧散。
白い霧に包まれ、視界が悪化する。
霧の向こうから、岩塊が飛んで来た。
界王の四肢。
岩でできた前足と後ろ足。
宙に浮いた手足が、グレイドラグーンを殴るように飛んで来たのだ。
ハルが、操縦桿を前へ倒す。
グレイドラグーンの首が下を向く。
高度を落とす。
界王の四肢を躱す。
グレイドラグーンは、右腕を路面へ擦りつける。
骨が剥き出しの腕でブレーキ。
半円を描きながら、界王の背後を取る。
足を踏み鳴らす。
地響きが起き、ひび割れた地面から、黒い炎が噴き上がる。
4本の黒い炎。
剣の鋭さを持つ炎が地面から噴き上がり、界王の背を攻撃する。
炎の剣は、界王の後ろ足に阻まれた。
猛禽の爪に似た足が、変形。
像の足のように巨大化する。
広く、厚く、大きな足。
それを盾として使い、炎の剣を防ぐ。
界王の攻撃。
攻撃に使うのは、巨獣の前足。
ふたつの前足を、人間が両手を組むみたいに合わせると、岩塊がさらに巨大化を遂げる。
小さな山ほどに巨大化した前足を、上から落とす。
ハルは、操縦桿を横へと切る。
しかし、グレイドラグーンは操縦を無視。
前へと飛び出す。
グレイドラグーンの後ろで、岩塊が落ちる。
路面が割れて砕け、前足が埋まる。
前足が、避けたグレイドラグーンを追う。
後ろ足が、グレイドラグーンの前に置かれる。
前足と後ろ足に挟まれた。
直後、界王の四つ足が、グレイドラグーンへ襲い掛かる。
彼を、ぺしゃんこに潰そうと、巨獣の足が閉じられる。
グレイドラグーンは首を上げる。
上昇、足の隙間から離脱。
足元で岩が砕ける。
砕けた破片と衝撃波が、グレイドラグーンの飛行を妨げる。
速度が落ちたところ、顔を殴りつけられる。
界王の、蛇の尾。
尻尾を振るわれ、それが顔に直撃した。
コックピットの中で、ハルの身体が大きく左右に揺れる。
グレイドラグーンは、頭を傾ける。
この竜は、狂っているのだ。
自分を殴った尻尾に、吹き飛びながら食いつく。
ノコギリのような歯で、深くくわえ込む。
吹き飛ばされ、地面に叩きつけられても、口は開かない。
蛇の尾に、噛みついたまま。
右腕で、地面を叩く。
歯の隙間から、炎が漏れる。
炎の剣が噴き上がった。
炎のブレスを吐き出した。
2つの攻撃が、界王の体を焼く。
界王は、尻尾を大きく振る。
グレイドラグーンを持ち上げ、地面に叩きつけ、それからビルへ向かって投げつけた。
執拗に食らいついていたグレイドラグーンが、尻尾を離してしまう。
歯が‥‥折れた。
ビルに激突、大きな風穴を作る。
空が、暗くなる。
曇天の空が、黒紫色へと変わる。
天気が、雨となった。
空から、鋭い雨が降る。
局所的に、大量に。
水の塊。
巨大な水のつららが、ビルに何本も落ちた。
ビルは崩壊。
グレイドラグーンもろとも、瓦礫に埋める。
界王が、大口を開く。
ブレスを吐くため、息を吸い込む。
‥‥‥‥。
界王の足場が崩落した。
爆発の後、崩落。
渋谷の地下。
そこでは、竜の瞳が怪しく光っていた。
グレイドラグーンだ。
彼の脳には、渋谷のマッピングデータがインプットされている。
地下の空間だって、把握済み。
彼は、地下鉄や貯流施設の空間を移動し、界王を下から攻撃したのだ。
翼があるのに、飛ぶのをサボっていた界王。
傲慢な王の喉元に、竜が食らいつく。
自分よりも一回り大きな獲物を、顎の力で持ち上げ、左右に振るう。
自傷も気にせず、界王を壁にぶつけ、獲物の体力を削る。
界王は、とぐろを巻く。
巨体で、竜の体に巻き付き、締め上げる。
CEのフレームが悲鳴を上げる。
コックピットが前後左右から圧迫され、スペースが狭まっていく。
地下に、潮が満ちる。
界王が、海を創り出し、あっという間に地下空間を海に沈める。
コックピット内に、水が浸入。
上と下、それと前から水が満ち、ハルは頭まで海に沈む。
界王は、このまま竜を締め上げて、パイロットもろとも、海の藻屑にしようと試みる。
コックピットの中では、息を止めたハルが、操縦桿を握っている。
強く握り込み、操縦桿のボタンを押した。
――ゼナス、発動。
竜の牙が帯電する。
黒い稲妻。
稲妻により鋭さと強さを増した竜の顎が、界王の喉を食い破る。
稲妻を界王へ流し込む。
竜の唾液が、界王の肉体を捕食していく。
竜が羽ばたく。
水中を、蛇に巻き付かれたまま、飛ぶように泳ぐ。
海となった地下から脱出。
暗い空を飛び、急降下。
蛇の体を地面に叩きつける。
蛇の力が抜ける。
拘束を振りほどく。
コックピットから、水が抜ける。
グレイドラグーンは、界王の顔を踏みつけ、跳躍。
空を飛び、口を開ける。
起き上がった界王に、砲撃の嵐が襲う。
支援射撃。
警察が保有する、水陸両用の戦車。
AIで制御された、10機の戦車が、同時に同じポイントへ向けて攻撃。
それからすぐさま、離脱して距離を取る。
界王は、逃げていく戦車の集団を睨む。
空から、つららのような雨が降り注ぐ。
――鋭い雨は、黒い稲妻に掻き消された。
ゼナス。
竜の体が放電。
体から放たれた稲妻が、触手のように伸びていく。
手当たり次第に、食べられそうな物を、捕食していく。
空の雨を吸収し、地下の海を吸収し、陸の文明を吸収する。
ネクスト式発電機から、エネルギーを奪う。
ハルを介して、ネクストを魔力に変換する。
彼女の左手には、ギアが装備されている。
そこにネクストを流し込み、ハルを変換器として使い、彼女の身体から魔力を食らいつくす。
周囲の建物の発電機が、急速に劣化していく。
黒紫の空の下、文明の光が食われていく。
変換器として使われているハルの身体を、この膨大なエネルギーが通っていく。
「あ゛か゛‥‥、あ゛あああああ!!」
竜の機能として使われ、無事で済むわけが無いのだ。
ハルの身体が、流入するネクストに耐えられず、傷つく。
皮膚に、雷紋と言われる、木の根のような痕が広がっていく。
厄災。
敵の魔力を喰らい、文明を喰らい、力を集め――。
厄災の幼体は、土砂の如きブレスを放った。
攻撃の余波で、竜の体は宙で錐もみする。
ブレスが界王に直撃する。
周囲のどの建物よりも高く伸びる、魔力の柱が立つ。
魔力が広がり、辺りは嵐となる。
戦線離脱している戦車の、車体後部が浮き上がるほどの風が吹き荒れる。
ハルは、操縦桿を握ったまま、前傾姿勢となっている。
握力が利かず、それでもシートベルトによって、座席に拘束されたまま。
ハルとグレイドラグーンが狙ったのは、短期決戦。
こちらは万全からは程遠い。
だから、短期で隙を作り、強力な一撃を叩き込む。
相手に全力を出させ、それを自滅覚悟で吸収し、ぶちまける。
作戦は、功を奏した。
そして、無意味であった。
魔力の嵐が収まる。
厄災の如き嵐。
その向こう。
界王が、平然と立っている。
確かに攻撃は命中した。
しかし、界王を討つには、弱すぎた。
‥‥彼はまだ、戦っているつもりなど、微塵もなかったのだ。
厄災の一撃でもって、やっと戦う気になった。
戦うために、界王は鎧を纏った。
顔に、牛の面を被り。
胴体に、象牙の鎧を着こみ。
翼は、岩盤の装甲で守られる。
その姿は、大海を囲む陸。
あるいは、大海に浮いている島。
有翼の大蛇を、分厚い鎧が守っている。
「‥‥げほっ! ‥‥‥‥げほっ!」
ハルが咳き込む。
肺が焼けて、思うように呼吸ができない。
性質の悪い咳が、彼女の背中を丸くする。
弱弱しい。
そんな状態では、厄災の手綱など握れない。
グレイドラグーンは止まらない。
ハルの手元で、操縦桿が勝手に動く。
竜は、臨戦態勢となった界王へ突進。
ブレスを吐きながら、無貌にも突撃をする。
界王は、得物を取り出す。
猛禽の四肢。
宙に浮く、4つの手。
それぞれが、武器を握っている。
剣・槍・盾・弩。
岩を削って作られた手が、岩を削ってつくられた武器を握る。
剣を振るう。
無造作に振るい、無慈悲に大地を切り裂く。
剣を竜が避けたところを、盾で制圧。
面の攻撃で、竜を空から叩き落とす。
叩き落としたところを、剣で上から攻撃。
これは、右の翼を半分ほど切り落とすに留まる。
弩を射る。
岩の矢じりを持つ矢が、地面に刺さり炸裂。
大地を隆起させ、ふらついた竜が、そこに激突する。
槍で突く。
竜の喉に当たった。
隆起した壁が砕け、ビルに激突する。
死に体の竜は、黒雷を纏う。
自分の周囲と、死にかけのパイロットから、エネルギーを奪いつつ立ち上がる。
しかし、彼の劣勢は、誰の目から見ても明らか。
AIの戦車隊が界王へ攻撃をするも、盾で受け止められてしまう。
界王は、武器と防具を装備してから、少しもその場から動いてはいない。
界王と、竜。
遊びにはなっても、戦いにはなっていない。
界王から、海が広がっていく。
渋谷が、海に沈んでいく。
戦車は水陸両用のため、海には沈まない。
砲撃を行いながら、ビルの壁をキャタピラで駆け上る。
この戦車は、第3世代型のギアを内蔵しているプロトタイプ。
人間のように、ギアを扱うことができる最新型。
――しかし、文明の最先端の兵器でも、三界を統べる王には届かず。
空から降った雨で、装甲を貫かれ、あっけなく全滅する。
戦車隊の方へと視線を向けていた界王。
その背後では、グレイドラグーンが磔にされている。
戦車と戯れていた隙に、自分の背後を狙った竜を、雨で海へ落とし、波で攫い、盾で掬い上げ、槍で磔。
ビルに磔て、磔刑に処している。
そして‥‥。
剣と弩で、処刑。
――剣が、竜の首を撥ねた。
弩が、竜の腹を貫いた。
「‥‥‥‥あっ。」
竜の腹は、CEのコックピット。
ハルは、脱出する力も残っておらず――。
「‥‥けふっ。‥‥‥‥。」
口から赤い泡を吹き、血反吐を吐いた。
目を開けたまま、首がゆっくりと、前へ倒れる。
竜の装甲を貫ぬき、ハルの腹六分を貫いた矢じり。
矢じりの方へと倒れる自分の体重で、自分に深く突き刺さっていく。
痛くない。
痛く、ないのだ。
ハルは、目を開けたまま、夢でも見ているかのように、自分の腹に沈んでいく矢じりを見ている。
腹一杯に岩の感触が満ち、腹は八分。
戦いでくたびれてしまったシートベルトが切れる。
ハルは、眠るように、矢じりに顔を預け‥‥‥‥。
息絶えた。
‥‥敗北は悔しく、死は、あっけない。
青い瞳には、何も映らない。
明晰な頭脳は、何も考えない。
勝気な心は、何も感じない。
‥‥‥‥
‥‥
(‥‥おい、寝ている暇はないぞ?)
龍の心臓が鼓動する。
(やっと、面白くなってきたのだ。)
黒雷が、腹の中で弾ける。
(‥‥起きぬか。ならば――。)
黒い雷が竜の腹を満たしていく。
遺産のように溜まり、触手のように伸びる。
喰い始める。
腹の中のモノを。
(貴様が首輪を手放したからのだから、こうしてやろう。)
竜の胃酸は――、腹の中で寝ている亡骸から、心臓を抉り取った。
竜の前で、隙を晒すからいけないのだ。
死んで手綱を手放したから、こうなるのだ。
心臓が、竜の体に取り込まれる。
竜の好物。
最も美味であるところを、一口で飲み干した。
心臓の中身が空となる。
血袋だった心臓は、肉の皮と化し、機械の体に沈みこみ、動きを止める。
竜は酔いしれる。
美酒とは、竜さえも虜にする。
(ふむ‥‥‥‥。)
竜は死体を消化しながら思案をする。
竜に首輪を掛けられず、最も価値のある部分を失ったこれに、もう価値はない。
この酒は美味かった。
それゆえ、今さらそれ以外で腹を満たそうという気になれぬ。
‥‥だが、そうか。
我は今、酔っているのだ。
気分がいい。
(貴様に、少しばかりの特権を与えよう。)
魔法の世界は弱肉強食。
弱者が強者に、無償の奉仕と献身を提供するのは、当然の摂理。
強者を裁けぬ弱者の法など、魔法の前では価値が無い。
しかし、これは気に入られた。
心臓が、血が、魂が、美味かったのだ。
せめてもの礼に、人間の習性に習ってやろう。
(知る権利を貸し与えてやる。
我の悦びを――! その身で享受する権利を――!)
――界王が振り返る。
異変を読み取った。
首を撥ねた竜が、こそこそと死肉を貪っていることに感づいた。
剣を上から振り下ろす。
まるで半島の如き大剣。
細く長く、巨大な剣が、竜を真二つにせんと空から振りかざされる。
剣が弾かれる。
竜が動いた。
切り落とされた自分の頭を右手で掴む。
陸の剣を、その肉体ひとつで空へと打ち返す。
界王の剣を、無造作に掴んだ自らの頭で弾き飛ばしたのだ。
頭を、首の上に戻す。
ギクシャクと、首を動かす。
腹に刺さっていた矢を、右手で引き抜く。
矢によって負った腹の傷から、胃酸が零れる。
黒い雷が、外へと漏れ出る。
胃酸のように広がり、触手のように伸び、竜とは独立した意思を持って、界王へと伸びる。
盾を構える。
剣を振るう。
触手が絶たれ、雷に祟られる。
絶たれてなお、得物を侵食する雷を、界王は自らの威光で焼き切る。
大陸の如き獲物に、青き川が広がり、黒い力を圧倒的な水量で流し清める。
浄化された得物から川の水が滴り、その下は大雨となってアスファルトを濡らす。
彼の眼前では、胃酸を腹の外に出し切った竜。
竜の中では、胃酸に浮いていた死体が、竜の腹の中で転がっている。
手入れのされていない人形のように曇った瞳を開いたまま、転がって寝ている。
竜は、首の上に置き直した頭から息を吐く。
酒気を帯び、上気した吐息。
焦げた肉の匂いがする。
焦げた鉄の味がする。
脳を痺れさせ、食欲を口から吐き出してしまいそうな、醜悪な匂いだ。
竜の異常性に、界王の動きが止まる。
理性も、闘争心も、下手に手を出すなと告げている。
下手に触れれば――、この儀式に自らも巻き込まれてしまう。
界王の前で、血の儀式は続く。
竜の腹に、再び胃酸が滴り伸びる。
(さあ座れ! 死んだくらいで、我との契約は終わらぬ!)
コックピットに転がる人形のような死体。
シートベルトが壊れたせいで、操縦桿の前で寝転がっている。
機内の座席は、汚れ穢れている。
乾燥を始める赤い粘液。凝固を始める白濁の脂肪。
腹から出た穢れ。
乾き固まり、時を止めようとする。
冷たい鍋の中から噴き出た有機物のスープが、人形の髪に滴り、絡まる。
腹の中は静かだ。
腹の壁に備え付けらたモニターは、外の景色を映し出している。
雄大な海と陸の大蛇。
今が昼か夜かさえ分からない濃紫色の空は、気まぐれに明滅をして、地上を真昼のように照らす。
外は終末。
天気は厄災。
大自然の大蛇と、終わりの空。
うねる大海。
渇きを知らぬ大陸。
空は昼夜を忘れ――。
たまに、自分が海と陸の上にいることを思い出し、地上を光で染める。
そして、それらの一切、すべてに背を向けて、転がり眠る人形。
背を丸め、膝を折り。
頬を枕の形に添って変えて、指を宙で開いたまま。
寝息も立てず、寝返りもうたず、眠る。
腹の上からは、龍の心音。
酒に酔い、早く乱暴に駆動し、人形の髪を掴み揺さぶっている。
人形は、竜に浸りとしか答えず。
空いた口からは、骨と水の反響。
龍の鼓動と同じ音を、意味も分からずに返す。
――黒雷。
水が弾けた。
沸騰して蒸発した。
焦げる。
流れる。
充満する。
知らぬ。
腹に鼻は無い。
死体人形の身体を、雷が貫く。
四肢を何本もの雷が貫き、死体を動かす。
「あ゛‥‥‥‥っ! あ゛‥‥‥‥っ!?」
できの悪い人形でも、もう少し上手に動いてみせるだろう。
死体は身体を痙攣させながら、雷に引かれ操られ動き出す。
操縦席に、亡骸を座る。
雷に、縛り付けられる。
雷の力が、更に強まる。
「あ゛ぁぁぁぁぁぁああああ!!」
竜の腹から絶叫が響いた。
絶叫は界王にも聞こえるほどだった。
死体は、自らの意思で喋りはしない。
これは竜の雷に当てられ、肺が痙攣し、声帯が震えているだけなのだ。
声ではない、音だ。
火葬場で人を焼く時だって、鉄の扉の向こうから、悲鳴に似た声が聞こえることがある。
それと一緒だ。
一緒だから、竜は雷をさらに強める。
「あぁあああああ‥‥。あ‥‥‥‥。
‥‥‥‥‥‥‥‥。」
鉄の扉の向こうは、静かになった。
雷により、筋線維は破壊され、痙攣すら起こらなくなった。
――竜は、自らの腹の中で、死体を容赦なく嬲る。
これは自分の眷属。
どう使おうが、竜の勝手。
もう一度、雷が起こった。
これまでよりも一等強く、光を伴う。
竜の体という物理的な壁を飛び出し、雷が腹の中から飛び散る。
胃酸を、渋谷の街にぶちまける。
胃酸は触手となり、渋谷の街を喰い散らかす。
街の写真を小さく破りとっていくみたいに、街を喰い散らかす。
黒い蛇の群れが、街を喰らう。
人類にとっては絶望であっても、竜にとっては些事。
彼の興味は、腹の中の眷属。
これ以外に有り得ない。
――腹の中の死体が、操縦桿を握った。
死に、筋線維が破壊された人形が、糸の力も借りずに動く。
動力を得たのだ。
竜の雷は、彼女を貫き、彼女を縛ったまま。
だが時折、雷の鎖を通り、赤い魔力が流れる。
鎖を赤い魔力が通り、死体に流れ、青い魔力が、死体から竜へと流れる。
静かに、魔力は竜と死体を循環する。
死体の肌が剥がれ落ちる。
汚れた白い肌が、脱皮をするかのように剥がれ落ちる。
人の肌の下から、灰色の鱗が生える。
口元では、歯の犬歯が異常に発達し始める。
唇の中に、歯をしまっていられなくなる。
雷の鎖は、魔力を循環させる。
(‥‥甘く、美味であろう?)
(自らの血の味は?)
美酒に酔った竜は、特権を与えた。
知る権利だ。
人間の礼に習ってやった。
人間は社会的な動物で、共有することを喜びとするらしい。
だから教えてやった、共有してやった。
‥‥強者から貸し与えられた特権など、弱者にとっては救いにならないのだ。
龍の心臓が脈を打つ。
強く、大きい。
津波の如き威圧感。
竜の存在感が凄まじい勢いで高まる。
自らの強き心音に昂揚し、昂る。
その威圧感と存在感は、彼を圧倒せしめた界王を怯ませるほどだった。
たかが心音で、海と陸と空を統べる界王の、比肩することなき巨体を後退させたのだ。
厄災の幼体は、真の力を解放する。
それは、酒に酔っているのか?
あるいは、人の礼に酔っているのか?
どちらにせよ、彼が悦ぼうとも、人類の助けになることはなく‥‥。
ただただ、龍として存在し、龍として振る舞うだけなのだ。
――我が身は厄災。
――人類が創りし厄災。
(八匹目の厄災と呼ばれた龍の力‥‥。
終末と奈落の龍‥‥、その恐ろしさ、思い知るがいい‥‥‥‥!!)
――その時、地球に龍が出現した。
‥‥‥‥
‥‥




