何も知らない君は、ただ無邪気に嗅ぐ
「やったぁ! ありがとーせんぱい!」
ノノは額を僕の胸に擦りつけ、両腕を背中に回してぎゅぅっと力を込めた。体格が幼いとはいえ、加減知らずに抱き着かれては堪らない。
「苦しいよ」と伝えながらやんわりとノノを剥がすと、全く反省していない顔で「えへへ……ごめんね?」と返された。
「ねえねえ、せんぱいの席に座ってもいい? ノノ、せんぱいの席に座りたいな?」
クラスメイトの席ならまだしも、僕の席なら断る理由も無い。僕が頷くや否や、ノノはひっくり返ったままだった椅子を直して席に着いた。
「わぁっ、おっきぃ! せんぱい、おっきぃね! やっぱり体がおっきぃと、机もおっきぃんだ……すごい、すごーい! なんだか、ノノが小っちゃくなっちゃったみたい!」
言うまでもないことだけれど、僕は大きくなんてないし、使用している椅子と机もクラスの中では一番低い。しかしノノはそんな僕よりもずっと小さく、椅子に座ったノノの足はぷらぷらと宙を揺れていた。
「せんぱいはいつもこの景色で勉強してるんだね。教科書を広げて、ノートを取って……やってることはノノと同じはずなのに、何だか新鮮な気分かも。机も広く感じちゃうなぁ」
「あはは、天板のサイズはノノ君のといっしょ……――あっ!?」
「? せんぱい? どうかしたの?」
「あっ、いやっ……えっとっ……なっ、何でもない……よ?」
「?」
大きな疑問符を浮かべながら小首を傾げるノノ。
ノノが泳ぐように机の上に手を滑らせているのを見ていて思い出した。思い出さない方がよかったことを、思い出してしまった。
今日は3時間目に体育があって、くたくたになるまで走らされた。ひどくお腹が空いたので、僕にしては珍しく給食の炊き込みご飯をおかわりしてしまった。昼休みは満腹感に身を任せて机にうつ伏せになって寝てしまった。起きたら机には水溜まりがぽつんと出来ていた。
「おかしなせんぱい――」
傾げた首の角度を保ったまま、ノノはこてんと頭を机に預けた……預けてしまった。
(~~~~っ!?)
声にならない悲鳴が、僕の心の中でこだまする。
ノノが僕よりも小さくたって、同じ椅子に座ってうつ伏せになれば顔の位置はそう大きくは変わらない。数時間前のことではあっても、跡形も無く拭いたけれども、その鼻先に水溜まりがあったという事実は変えられない。
「この机、せんぱいの匂いがするかも……やっぱりいつも座ってるからなのかなぁ? えへへ、嗅いじゃお」
小さな鼻をひくひくと動かしながら、ノノは机の匂いを嗅ぎ始めた。いじわるなど微塵も感じられない、無邪気な笑顔だった。
「くんくん……すんすん……んー? なんだか、変な匂いが混ざってるかも? くんくん……すん、すん……? あっ、勘違いしないでねせんぱい。ぜんぜんくさくないの! ただ、なんだろう? すんすん……はーっ……くん、くんくん……?」
血液が集中しすぎて敏感になってしまったのだろうか。ノノが鼻を鳴らして嗅ぐ音が近くに聴こえて、まるで耳を直接嗅がれているようだった。
「くん、くんくん……せんぱい、もしかして何か零しちゃった? 給食? 当ててもいい? これはねぇ……なんだろ? ちょっとだけツンってするような……でも嫌な感じじゃなくて、もっと嗅ぎたくなる感じで……すん、すんすん……ふーっ……すんすん」
どれだけ恥ずかしくたって、正解など今更言えるはずもなく。ノノの興味が他に移るまで、僕はノノに嗅がれ続けることしかできなかった。




