【17-1】狂気の芸術家
王都アウロラの一角に、他とは一線を画す空気が流れる区画があった。 石畳の道は不規則にうねり、建物の壁には極彩色の壁画が踊る。窓からはバイオリンの調べや、オペラを歌う声、あるいは何かが爆発したような音が漏れ聞こえてくる。そこは、王都の芸術家たちが集う「芸術地区」だった。
その中でもひときわ巨大で、庭に奇妙なオブジェが林立するアトリエの前に、護、メル、カゲロウの三人は立っていた。
「すげぇ……なんか、変な形の岩がいっぱいあるぜ。あれも芸術ってやつか? 俺にはただの岩に見えるけど」
護が首を傾げながら、庭に置かれたねじれた金属や、叫んでいるような岩の塊を指差す。
「あれは彫刻だ、脳筋。前衛芸術というやつだよ。君には理解できないかもしれないが、この地区にあるものすべてが、一流の芸術家たちが魂を込めて作った作品なんだ」
メルがやれやれといった様子で説明するが、彼女自身もその奇抜なセンスには若干引いているようだった。
「……騒々しいな」
カゲロウがポツリと呟く。彼にとっては、静寂こそが至高。芸術家の情熱という名の騒音は、頭痛の種でしかないようだ。
「なぁ、メル。そのヴィンチって爺さん、本当にそんなにすげえ奴なのか? 夜会で見た時は、ただの変な爺さんにしか見えなかったけど」
護の素朴すぎる疑問に、メルは呆れたように答えた。
「『すげえ奴』などという陳腐な言葉で表現できる人物ではない! マエストロ・ヴィンチは、生きる伝説だ! 彼の絵は、描かれた人物の魂そのものを写し取ると言われている。各国の王族が肖像画を描いてもらうために列をなすほどの巨匠だぞ。彼に協力してもらえれば、これ以上ないほど心強い!」
メルは深呼吸をして、重厚な木の扉をノックした。 コン、コン。 返事はない。 ゴン、ゴン、ゴン! 強めに叩く。それでも反応がない。
「おい、留守か?」
「いや、中に気配はある。……入るぞ」
護が扉に手をかけると、鍵は掛かっておらず、ギィィと重い音を立てて開いた。
「お邪魔しまーす!」
中は、混沌と創造が混然一体となった空間だった。 天井の高い広大なフロアには、描きかけの巨大なキャンバス、無数のデッサン、石膏像、そして錬金術の工房にも似た様々な画材や鉱物が、無秩序に、しかし不思議な調和を保って散らばっている。絵の具とテレピン油の強い匂いが鼻を突く。
「おお、来たかね、我が英雄よ! 待ちわびたぞ!!」
部屋の奥から、芝居がかった大声が響いた。 脚立の上から飛び降りてきたのは、派手な紫色のスモックを着た初老の男、マエストロ・ヴィンチだった。白髪を振り乱し、その目はギラギラと輝いている。
「よう、爺さん! 約束通り来たぜ!」
「歓迎する! さあ、こっちへ来たまえ!」
ヴィンチは護の手を取ると、強引にアトリエの中央へと引っ張っていく。 メルが一歩前に進み出た。彼女はヴィンチという伝説的な芸術家を前にしても物怖じせず、丁寧な敬語で、しかし単刀直入に用件を切り出した。
「マエストロ・ヴィンチ。お初にお目にかかります。我々は……」
「静かに!!」
ヴィンチの一喝が、メルの言葉を遮った。
「今、インスピレーションが降りてきているのだ! 俗世の雑音で私の『天使』を追い払わないでくれたまえ!」
「なっ……!?」
メルが絶句する横で、ヴィンチは護の肉体に熱っぽい視線を這わせ、まるで恋人に触れるかのようにその筋肉をペタペタと触り始めた。
「素晴らしい……! なんと完璧な肉体美! 夜会で見た時も衝撃だったが、こうして自然光の下で見るとまた格別だ! その筋肉の一つ一つが、苦難と勝利の歴史を物語っている! 君は、神が創造した最高の芸術品だ!」
「(ピキッ)」
メルのこめかみに青筋が浮かぶ。
(このジジイ、ボクの話を完全に無視しおった! ボクは天才だぞ!? このボクが、わざわざ頭を下げてやっているというのに……!)
そんなメルの内心の怒りなど露知らず、ヴィンチは護に詰め寄る。
「うおっ!? お、おい、爺さん、近えって! くすぐったい!」
「おお、この大胸筋の張り! この広背筋の広がり! 完璧だ! 若者よ、ぜひ、私の新作のモデルになってくれたまえ!」
「モデル?」
「そうだ! 君という英雄を、この私が、歴史に残る最高の作品として、永遠に刻んでしんぜよう!」
護は、ヴィンチの尋常ではない気迫に少し困惑していたが、「筋肉」と「英雄」と「永遠」というパワーワードの連発に、悪い気はしなかった。
「おう、いいぜ! 俺の筋肉が芸術になるなら、本望だ!」
「話が早い! では、脱ぎたまえ!」
「え、ここで?」
「当然だ! 芸術に隠し事はなしだ!」
「話は、その後だ!」
ヴィンチはそう言うと、有無を言わさず護をモデル台に立たせた。 護はヴィンチの勢いに押され、言われるがままに服を脱ぎ、パンツ一丁の姿でポーズを取らされる。
「もっと力を! そう、君が巨大な敵と対峙する時のように! その瞳に、仲間を守るという強い意志を宿すのだ! そうだ、そこだ! 動くなよ!」
ヴィンチは狂気的な集中力で、猛烈な勢いで筆を走らせていく。キャンバスに叩きつけられる絵の具の音が、静かなアトリエに響く。
「……(イライラ)」
その様子を、メルは腕を組み、貧乏ゆすりをしながら、忌々しげに見つめていた。カゲロウは部屋の隅で、興味なさそうに置かれていた壺を眺めている。
(いつまでやっているんだ、あの二人は……! こっちは一刻を争うというのに……!)
一時間後。 ようやく筆を置いたヴィンチは、額の汗を拭い、満足げに頷いた。
「ふぅ……。今日はここまでにしておこう。素晴らしい。実に素晴らしいセッションだった」
「終わったか? 身体中が痛えよ……」
護がストレッチをしながら台から降りる。 ヴィンチはようやく、メルとカゲロウの方に向き直った。
「さて、待たせたね。君たちの用件を聞こうか」
「(やっとか……!)」
メルは深呼吸をして怒りを鎮めると、改めて公爵邸への潜入協力を依頼した。
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