第十七話 共闘
「神官、ちゃん~~~」
敵に気づかれずに近づく。
そんな慎重さはなぜかこの男は持ち合わせていないようだ。
「おや、相変わらずのシケ面だな、少しぐらいは驚くと思ったぜ。というか、神官ちゃん、半年も一緒に旅した仲じゃないか。おじさん、悲しいな」
『空間』から発する漆黒をロープ代わりに使い、トリアが生成した浮氷の上に着地する男はすぐさま駆け出す。
トリアはそのあとを追う。
なぜなら、筋肉によって貫かれた脊髄剣が凄まじい勢いで薙ぎ 払われ、押しつぶしてきているのだ。
氷霧がせっかく凍らせた血も、肉も、全て木端微塵に砕かれて、轢き潰される。
一方、うしろからの風圧にさらわれそうになりながらも、ベーゼはにんまり笑う。
「もっと驚くと思ったぜ」
トリアはあくまで無表情を貫く。
男の無軌道には慣れていることもあるが、それ以上にベーゼを喜ばせることなら、なにひとつしたくなかった。
たしかに、普通ならもっと驚くだろう。
そもそも、トリアの視点ではベーゼが墜落したように見えたので――だから慌てて駆けつけたというのに――まさか四天王と戦うまっただなかで奇行に走る余裕があるとは。
「ちょっと腰を借りるよ、っと」
そんなトリアの不愉快をいとも気にせず、ベーゼは断りもなく突如トリアの腰を抱えた。
割れて、傾斜する氷を踏み台に、ベーゼは漆黒の糸を頼りに大きく躍り出て脊髄剣の射程外に飛ぶ。
氷霧の冷気に混ざって、男の姿は若干曖昧にトリアの目に映る。
たしかに腰を抱えたほうが安定感はあるが、どうも男はそういう意図で腰を選んだわけではないように思える。
でも、状況が状況なのでベーゼの腕を振り解こうとは思えない。
「ちょっと手を貸してくれないかな」
でないと、このデカブツを片付けられない。
飄々とした口調で、ベーゼはうしろから追いかける衝撃を物ともせずに切り出す。
空中から垂れる細い糸を頼りに、そのまま回旋して巨人の背中に回り込む。
その顔は真剣だ。
「なぜでしょうか。このまま行っても無事に倒せる気がしますが」
その頼みはトリアには断れないものだったが、それでも疑問ぐらいは提示する。
さっきまで劣勢だった黒が、いまや一辺倒となり、巨人の怒号だけ空いっぱいに震撼させる――ゆえに二人はいまこうして話す余裕もできた――様子からして、漆黒が巨人を完全に取り込むのも時間の問題だろう。
「いやいや、なにを言うんだか神官ちゃん。四天王だぞ。そう簡単に封印されるはずがなかろう」
封印……
倒すのではなく、縛り付け。
一瞬違和感を覚えるトリアだが、その思考はベーゼの追加説明で途絶える。
「へニット・ドリが『反転』の力で爆散させ、やっと動きを止めたヤツだぞ。たかが『杖』一本じゃ拮抗した状態から押さえつけるのは無理があるぜ」
だからさ、と、伸縮可能な漆黒を操って、うねって引き寄せる血肉の波を低空で越えながら、ベーゼは言う。
「ちょっと一回無力化させる必要があるのよ」
理屈は分かった。
つまり、無力化してから封印するということだろう。
しかし、だとしても、わざわざ自分に助けを求める必要はどこにある。
男だけでも、十分できるはずなのに。
爆風で乱れる金髪を、トリアは無意識に整える。
そんな彼女の心情を見透かしたように、ベーゼは肩を竦める。
「いまは聖剣の力をろくに使えねぇよ。『杖』がそのまま接続させてるんで、あれから強引に力を引き出したらどうなるか神官ちゃんが一番分かってるだろう?」
不死者になる。
そういうことだ。
トリアは小さいため息をつく。それを見たベーゼは「決まりだな」と得意げに笑う。
「んじゃ、備えろよ!」
その途端、ベーゼが身に纏った雰囲気が変わった。
いや、変わったのはベーゼではなく、巨人にまつわる力の奔流だと、トリアはすぐ認識を改めた。
ベーゼはあくまでそれに合わせて本気を出そうとしているにすぎない。
『おのれ!ニンゲン!おのれぇぇぇぇ!』
憎悪に塗れた声が炸裂し、背後に回り込まれて標的を失った巨人が無差別に爆撃を仕掛ける。引きずり回す脊髄剣で無尽蔵に足元の氷を叩き壊したあと、その身に纏った気配はより激烈な方向へ傾いていく。
一方、まるでこのタイミングを見計らったように、ベーゼの腕にまとわりつく漆黒が収縮する。
二人は跳ねた。
一瞬遅れて突き上げる血肉を避けて、空の漆黒に近づく。
でも、上昇するにつれて広がる視界に映るものは誰から見ても喜ばしいものではなかった。
「これは、やばいな」
一遍に暴れたあと、巨人はようやく氷霧の影響を解くことができた。
でも、明らかにそこで終わるつもりはないらしい。
己の豪腕で脊髄剣を握りしめる強靭な両腕。
宙を裂く轟音とともに、逆手で握り直す。
なんのつもり……でしょう。
驚愕のあまりトリアの思考が停滞する。
「これは、やばいな」
だがベーゼは明らかに瞬時に状況を飲み込んだらしい。
その声音は普段の飄々とした気迫がまるでなく、低くて、淀んでいる。
山脈が激突したような爆風が巻き上がる。
巨人は、逆手で脊髄剣を持って、己の胸元――心臓の位置へ向けて、突き刺したのだ。
!
「神官ちゃん、これから話すことをよく聞け」
ベーゼが唸った。
口元から血が溢れ出て、激痛を堪えるように。
なぜか巨人の自分への一撃が彼にもダメージを与えたらしい。
「チャンスは一度っきりだ。このデカブツが完全体に戻るまでに仕掛けるぞ、でないとみんな殺られる」
「えっ……」
「バカヤロー。ヤツは心臓に突き刺さっている『槍』を物理的に引き出すつもりだ!その前になんとかするしかない!」
見れば、巨人の肋骨の破片と思われるものが空洞の腹部に落ちて、血潮を巻き上げる。もだえ苦しむような声を発するよりもはやく、剣を握っていない手――強靭な左腕が胸のうちに深く潜り込んだ。
都市全体を見渡す巨体が、じりじりと、鼓膜を叩くような絶叫とともに、真っ赤な何かを引きずり出す。
「分かりました!」
違和感はある。
例えば、『槍』を回収したい男にとってこれはむしろ好都合ではないかという違和感。
しかし考える余裕はない。トリアは即座にベーゼの言葉に従うことにした。
ベーゼは良い人間とは到底言えないかもしれないけど、本物の手練だ。
ここで巨人を食い止められるなら、それに越したことはありませんから。
「指示はあとで出す、陣形は孤児院で習った通りのヤツだ。フォーメーション2でいく。いいな!」
「目標は?」
「行くぞ!」
落下する。
ベーゼに抱えられたまま、漆黒の糸に牽引されて、巨人に近づく。
もっと具体的な指示があると思いきや、たったそれだけの言葉で済まされるとは。
でも、トリアはすぐ思い直す。
このような時こそ、臨機応変が試されるのだ。
ぎしぎしと、巨人が手に握る心臓は力強く跳ねて、鼓動する。しかしどれほど強靭な物体でも限界がある。血管と神経だと思われるものがぷちぷちと音を立てて、弾けていく。巨人の五本指は力が籠もるにつれて心臓に食い込んで、圧迫され……
堰を切ったような轟音――握り潰された音が、気色悪く周り一帯を震撼させる。
街中に跳ねた血が、トリアにもベーゼにもかかる。
それと同時に、すべての力を失ったように、己の器官を破壊した巨人が頭を垂れて、沈静化した。
これが意味することを、トリアも当然わかる。
「備えろ!」
ベーゼが叫ぶ。
宙に浮く聖剣から発する漆黒がたちまち包囲網を完成し、巨人を取り込む。
天上から地下へ、まさにハルトマン領で見た最終防衛法陣と似た構造を成していた。
でも、いままでベーゼを繋いでいた漆黒の糸が突如切れた。
!
――男がとうとう聖剣に対する制御権をすべて失ったようだ。
浮遊感。
慣性のおかげで、二人は転がるように巨人の肩で着地する。
さすがに戦い慣れしているため、二人とも咄嗟の反応で受け身を取りすぐさま立ち上がって突き進む。
トリアはサイズを振るい、氷の道を作り出す。
なぜなら、熱い。
赤い閃光が巨人の身を包む。
周りだけでなく、使い手自身ですら焦がす熱さだ。
巨人の身に纏った肉が泥状に溶けていく。その途端阿鼻叫喚の声が連なるように響き渡る。
人だ。
それとも人だったと呼ぶべきなのか。
まるで寄生する芋虫が強引に吐き出されたかのごとく、人の形をするものが這い出て、転がって、巨人の身から落ちていく。
トリアの心は、すっと見知らぬ穴が開いたような、寒気がした。
きっと、これが血肉の中で生き、巨人に取り込まれた住民だろうと、理解したからだ。
人間の身で異形の病に感染されたあげく、『槍』によって中途半端な不死を付与された彼らは巨人が本来の力を取り戻した現在、異物として扱われて、吐き出されていく。
中には猟犬のような肢体型と斜面をいとも容易く這う関節型も混じっている。
あらゆる方角から押し寄せてくる漆黒はやがて巨人の身にまとわりつく。
しかし膨大な質量を持つ巨人はそのたびに、束縛を引きちぎって、捻り潰していく。
口から漏れる怒号とともに、空も大地も容赦なく揺らす。
このままでは、きっと封印から逃れることになるだろう。
なぜなら、巨人の下半身。
目覚めてからずっと血肉に浸かっていたそれは、いまやしっかり受肉して、本来あるべき姿を取り戻しつつある。
移動できれば、限定な空間に左右する聖剣から逃れられる。
このままでは、確実に巨人は漆黒を払い、外へ行くことになる。
「足を止めるな!」
ベーゼは再び指示を出す。
フォーメーション2。
前衛が突き進み、後衛が援護する、突貫の陣形である。
男はいったいどうやって仕掛けるつもりだろう。
トリアには分からない。
巨人の首を狙っているのか。それとも、ほかの算段があるのか。
反撃剣を手に、襲いかかる異形の攻撃を捌きながら、ベーゼは流れるように切り込む。
「あっ」
すると、トリアは気づいた。
氷で作った道に、ちらほらと赤の雫が残っている。
それは男の左足から溢れるものだ。
じんわりと、長い痕跡を残して。
まったく気づかなかった。
ずっと普通のように振る舞っているベーゼが、とっくに負傷していたとは。
この男も限界が来ているのか。
いや、考えるまでもないのに。
こんな巨大な封印を操りながら戦い、余裕なんてあるはずがない。
「トリア・ファベル・ヒルンド!」
ベーゼが叫ぶ。
ぎしと、トリアの心が軋む。
半年にも及ぶ間で、男は初めて、自分の名前を呼んだ。
「ヤツの頭部を狙え!そしてすぐ離れろ!」
迷う暇はなかった。
近づく肢体型をサイズで薙ぎ払い、その勢いで回転し立ち止まり、トリアはすぐさま詠唱する。
一方、巨人の肉が再び動き始める。
一度溶けた肉が、繊維となり再び絡み合い、重なり合う。強靭で弾力の含んだ筋肉となったそれは、しかし留まらず、さらなる進化を求めて固まっていく。
「内に秘める氷雪よ……私の願いをお聞きください!」
身体の奥から冷たい感触が溢れ出し、やがて巻き狂う吹雪となる。過去一度学んだ知識に沿って、トリアは身体中の力を捻り出す。
「氷棘!」
――――――
さきほどトリアが氷で作った道を基盤に、そこからものすごい質量の氷塊が走る。
おそらく急ごしらえに加えて魔法の知識に疎いせいだろう。
とにかく荒々しく、原始的だ。
でも、ベーゼにとってそれでこと足りる。
左足の激痛を堪えて、ベーゼは右足で踏み込み、跳ねる。
本来なら、この状態で、この一瞬を見極めるのは至難の業だろう。
幸い、具現化した氷は物理攻撃の範疇に当てはまる。反撃剣の力を使い、ベーゼはすかさず連続して発生する氷壁の上にのって便乗する。
通常なら、城壁などいとも容易く破壊する魔法の一撃。
しかし、完全体を取り戻した巨人は、その筋肉はもはや 金属
に匹敵するほどの硬度を持つ。
こんな化け物を相手に、むしろへニット・ドリが無理やりこんなもんを封印できたのが褒めたくなるぐらいだ。
いまの状態じゃ、精々相打ち……いや、いくら倒しても復活するから、こっちが負けるか。
これが、今回の人魔戦争。
おぞましい物量だけでなく、四天王もまた規格外。
ほんとうに、この戦いが終わったあと、魔族と呼ぶべき種族はまだ存在するのだろうか。
――まるで、総力戦だ。
氷塊が巨人の顔面にぶつかる。
その勢いでベーゼは身を翻し、そこに空いた穴に突進する。
耳だ。
皮膚に覆われていない、そして脳に直通する弱点の一つ。
神官を連れてきたのは、本来頭ごと破壊させるつもりだったからだ。
だがこうなってしまった以上、もはや自力でなんとかするしかない。
ベーゼは自分の分析が正しいものであれと祈っていた。
冒険者たちの話では、巨人は最初城壁の二倍ぐらいの身長しか持たないはずだ。
このような異変が生じて、体が大きくなったとしても、脳が合わせて成長できるとは考えにくい。普通なら、動くどころかそのまま廃人になるはずだ。
だとしたら……やはりどこかに魔石があると推測したほうが妥当だろう。
人間にも魔族にもないが、異形と魔獣にはあるもの。
それが脳の代わりとも言われている。
無論、それが頭蓋骨の中にある確信はどこにもない。
それでも、ベーゼは賭ける。
頭部を破壊すれば、巨人の意識がしばらくの間沈黙するという賭けを。
とにかく、『空間・封印』が完成するまで抵抗できないようにすればいい。
抜刀。
『ガ……』
外ではなく、内からどよめく振動。
おそらく巨人の心臓の修復が完了し、再び活動し始めたのだろう。
でもそんなの関係ない。
人ひとりがギリギリ通る外耳道の中で、ベーゼは剣を鞘に収めて、一気に放つ。
――――――
この男、ほんとうにとんでもないことをする。
氷に自分ごと凍らせて、トリアは重力に任せて、巨人の身から吐き出される人間だったものたちと一緒に落下する。
『ガガガガガガが……!』
人間の声で喩えれば、蛙が踏み潰された悲鳴に似ているかもしれない。
威勢よく己の強靭さを誇示する巨人が、膝をつく。
顔に、表情。
固まった筋肉が引きつってぐちゃぐちゃになり、腕で自分の頭蓋を抱えて全身を捻って震え出す。
そしてぐっと硬直し……倒れ込んだ。
その隙を狙い、漆黒が一斉に巨人の身を覆う。
これは、勝利を意味する光景であった。




