第十六話 気づき
ベーゼ
特殊な子供だけを受け入れる孤児院で育った彼は、保護されてから突拍子も無い言動が多く、またそれらを改める意志もまるでなかったため(くわえて彼自身のたっての希望から)孤児院を出て以後ずっと厳しい外勤任務――特殊な情報収集を専門にしていた。
教会の登録にない祝福を持つ者の捜査。
表向きはそう呼ばれているが、実のところ不死者を嗅ぎつける猟犬のようなものだ。
教会の輪には溶け込めない彼がどこかの災害現場で野垂れ死ぬことなく、異端討伐隊にまで上り詰めたのは、二十五才。
――娘のカルディア・バラトルムが生まれた年であった。
ベーゼの妻は神官だった。
人を疑うことを知らない、ちゃんとした家で生まれた、本来ならベーゼと結ばれることなど万が一にもありえない女性だ。
二人が結婚に至るまでの成り行きは周りの言葉を借りるとこうなる。
『たぶからされましたのよ。ミトロヒア、かわいそうに……』
妻以外、というより、ベーゼ自身を含めてみんなそう思っていた。
なにせ、あの頃のベーゼはただ女とやりたかった。
外勤任務で各地を転々していたため、これをいいことにやり逃げを繰り返していた。
そんなベーゼがすこしだけ真人間に近づいたのは年に一度の報告で聖王国に戻った時。
なんと、年端も行かぬ少女が赤ん坊を抱えて彼を待っていた。
「オレが……父親?」
少女の説明でベーゼはなんとか思い出す。
前戻った時、確かにすれ違い様に「あっ、かわいい」と思って少女に声をかけた。その後はいつものように冒険譚を語っているうちに相手をベッドまで連れ込んだが……相手は初体験で、後腐れなく別れられそうになかったので、「必ず戻るから待ってろ」と言葉を残して旅立った。
――てっきり時間が問題を解決してくれると思ったが……まさか子供ができたとは。
やばっ、まだ遊び足りないけど……
そういえば神職は中絶が禁止だっけ。
あの時避妊はしなかったかな。ほんとうにオレの子供か。
赤ん坊を抱えて泣きそうになった少女と話している間、ベーゼの頭にそんなことばかりぐるぐると回っていた。
でも、ベーゼは結婚した。
ベーゼは小さい頃から天涯孤独の身だ。
仲間と呼ぶ存在がいたとしても、家族と呼ぶ相手はいなかった。
困惑して言われるままに赤ん坊を抱いてみると、その小さな手が彼の指を握った。
その時、なぜかベーゼの胸の底からすべての疑問が吹っ飛ぶほどの熱量が湧き出た。
この娘を、自分がしでかしたことで父親を失わせるわけにはいかないと思った。
そう、ベーゼは直感で動いて、その場で少女にプロポーズした。
責任を取るとか、なんとも自分らしくない馬鹿げた真似だとはベーゼは思う。
しかし、恋ではなく、愛。
もしかして自分はそれに飢えているのではないかと、夜に酒を飲みながら考えた。
だから翌日ベーゼは教会の昇進試験に顔を出した。
ベーゼは父親というものを知らない。
でも子供はみんな親を自慢したがることは知っている。
少なくとも孤児院の頃、外の奴らは自分を野良犬呼ばわりしていたので、たとえ悪意がなくとも、子供の世界はそういうものだと理解しているつもりだ。
娘にがっかりさせたくない。
自分は神職らしく振る舞うことができなくても、せめて娘が周りから後ろ指を差されないぐらいの父親になるべきだと思った。
結果として、ベーゼは討伐隊に腰をおろし、九席しかないうちの一人になった。
与えられた称号は――『誠実』。
「お父さんはね。すごく偉い人なのよ」
娘が言葉を覚えるようになってから、妻のミトロヒアはよくベーゼの冒険譚を絵本代わりに聞かせていた。
確かに、異端討伐隊は一般人にとっては雲の上の存在だろう。
ただ、ベーゼはそういう自覚をあまり持たないタイプの、偉い人だ。
異端討伐隊という名誉ある職務に就いていれば、必然的に以前よりも多忙を極めて、一箇所に留まる時間も少ない。
放浪生活の継続だ。
ベーゼは女性と関係を持つのはさすがに控えるようになったが、仕事の熟し方といい言葉遣いといい、あくまで我流を貫き通してきた。
オレは父親としては下の下だ。
『再現』の祝福であらゆる聖遺物を駆使する戦いの鬼才はいつも自嘲気味にそう言っていた。
少なくとも、妻や娘が求める父親には、なっていないとベーゼは分かる。
妻は夫が危険なところに行くのが心配で、娘も父親には側にいてほしかった。
しかしベーゼは家族との付き合い方も、子供の育て方もよく分からなった。
そのうえ一箇所で落ち着いていられるほど心境が穏やかではなかったし……正直仕事を言い訳にしていろいろ逃げている自覚はある。
だからベーゼは心の中で決めていた。
『誠実』のベーゼとして。
せめて、自分が思う父親のあり方は全うする。
たとえ、世界を敵に回したとしても。
――――――
視線の先にどこまでも続く翠緑の池。
蛍が舞うように光の蕾が飛び交う中、ひとりの少女が立っていた。
ベーゼの記憶にある娘の姿より大人びた、少女。
妻の面影を濃く受け継いで、しかし髪は脱色し、瞳まで赤く染まってしまっている。
これが幻覚だと、ベーゼはすぐ分かった。
それで、なぜこうもはっきり見えたのかも、理解した。
『封印』と『空間』を兼ね合わせた領域展開――ハルトマン領では最終防衛法陣だと呼ばれる術式は、とてつもなく膨大な魔力を要した。
いらく小細工を弄しても、祝福を兼ね合わせただけでは決して届かない、絶対的な力の塊。
つまり、あのハルトマン領のどこかで、これほど魔力を用意できる仕掛けがあるということだろう。
思い出すのは、クリシスを背負ってくぐったあの長い地下通路。
いくら勇者の家系とはいえ、数十キロにも及ぶトンネルを、ただ避難のためだけに作るとは思えない。きっと、娘の頭と胴体はあの地下にあるのだろうと、ベーゼは確信した。
その推測で生み出した空間が、これだ。
少女の後ろに、巨大な魔石が宙に浮かぶ。
時に白、時に紫、時に青、時に赤。
透き通った表面から迸る魔力の色彩が大気の容量を余すところなく乱射し、その数え切れぬほどの色が
交互に自分を主張する様は、この世のものと思えないほど美しかった。
見れば、魔石を包むように何十枚もの魔法陣が重なって、緩やかに回転している。周りの石碑や岩壁にもやたらと複雑な魔術記号が満遍なく綴りこまれて、明滅を繰り返す。
「お父さん」
いつもの幻聴が、今回はっきりとベーゼの耳に届く。
少女は片手で池に浸かったスカートを握り、恐怖を抑えつけるように、右手を伸ばした。
涙が赤い瞳の端から溢れ、頬を伝って落ちる。その顔に悲しみが溜まっていて……なぜか、自分に謝っているように見えた。
「ディア……」
反射的に、ベーゼは手を伸ばした。
しかし、お互いの手は空中に浮いたまま重なることなく、固まる。
ベーゼは自分の腕を見る。
すでに人間の温もりを備えていない人の造物は、やや黒く、若干錆びれて、にも関わらず血の赤が通っていた。
どれほどの覚悟で、はたしてなんのためにそれを接続したのか、ベーゼはひと時たりとも忘れたことがなかった。
これからやろうとすることを考えて――必ず 救おうと誓っておいて、結局娘の力をいいように使う野郎たちと同じことをするなど――その手をとることは、何かどうであれ、決して許されていいことではない。
自分には、その資格はない。
「ごめんな、ディア……」
残された寿命はそう長くない。
――それに、まだやるべきことがある。
拳を握り、ベーゼは妻の面影が濃く映る少女の顔をもう一度瞼に焼き付けるように見つめて、振り返る。
背中にあるのは、漆黒に包まれた闇。
『あたくしはどうなってもいい。でも、この娘は守ってくださいませんか!』
一瞬、妻が娘を抱えて、自分を待っていたことが頭に過った。
極力考えないようにしたのに……
息を吸って、吐く。
「分かってるよ。ミトロヒア、約束、だもんな」
胸に詰まった多くの言葉をむりやり抑えつけて、歯を食いしばる。そして、ベーゼはあるき出す。
ベーゼが思う自分の、いるべき場所へ。
――――――
「さてと、どうしたもんかね」
左足が痛い。
すでに切り落とされて、なくなったはずの左足が。
いや、痛いのはたぶん左足ではなく、義肢と接続する部分なのか。
とにかく、ベーゼはすかさず身体の状況を確かめる。
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使える祝福の上限がひとつ減っている。
つまり、自分の身代わりになったということか。
ったく、直せば使えるようなもんじゃねぇし、もうすこし付き合ってもらいたいんだがな。まさか限界まで『空間・封印』を引き出すと、こうなってしまうとは……。
周りの漆黒を頼りに虚空に浮いたまま、ベーゼは手を伸ばして、取り出す。
『杖』。
無骨で、華麗な装飾もなく、聖職者の清廉潔白さを裏付けるように拵えた武装。
「結局使っちまったがな……」
『空間・封印』を行使した瞬間、違和感を覚えたベーゼが咄嗟の反応で『空間』に預けた『杖』を掴んだ。
でないと、今頃とっくに最終防衛法陣が必要とする魔力で吸い尽くされていただろう。
娘の聖遺物を使い、足一本で済んだのは、たしかにやすい対価かもしれない。
でも、それと同時に、どこか、踏み外した音がした。
ベーゼはベテランだ。
戦いの時は己の感情を一切殺して臨む。
どんな時でも、大きな挫折であればあるほど不真面目を貫いて、やり抜く。
――絶望しても笑え。
これはいつしかハルトマン領でベーゼが勇者の妹にかけた言葉であり、「いくら強い信念を持っても、人は引き締まれば引き締まるほど壊れやすい」という男の経験則による信条でもあった。
いまは、自分の無能ぶりを受け入れるほかない。
だから、頭をかいて、男は嗤う。
「でも、まぁ、よく見れば面白いことになってるじゃねぇか」
さっきまで巨人の身から間断なく放たれ続ける血色の波は突如力が弱まった。
言うまでもなく、現在辺り一面 に広がる氷の霧が血肉を凍らせたおかげだろうが、ベーゼが面白いと思ったのは使い手のトリアがそれを実現した方法だ。
教会と魔術の知識を兼ね合わせて、自分の力を引き出す。
それはある意味東大陸の武装と近い構想を成している。
「いや、どうだっていいか」
トリアが不死者になったことは最初から気付いていたわけで――だから追い払おうとしたのだが――暴走しないならそれなりに使えるというのは確かだ。
それに、様子からして一緒に戦ってくれるようだし。
娘の頭部と胴体の居場所が分かった以上、ベーゼはより長い目で遂行できるようになった。当面は
『槍』をいかに回収するのかが問題だが……決戦のための切り札が必要だ。
「じゃ、こうしよう……一石二鳥だしな」
まともな人間ではまず考えられない計画を、ベーゼはすぐに実行に移そうとした。
その第一歩……
ぎしぎしと、聖剣を中心に湧き出る漆黒が激しく蠢く。まるで翼のように広がる一面の障壁は、やっともとの形を取り戻したかのごとく巨人の身から噴き出る血を押しのけて、強固になっていく。
『おのれ!人間ども!おのれぇぇぇぇ!!』
巨人が咆哮する。
足元の氷で血肉が凍ったのが原因だと思っているのか、脊髄剣を手に目の届く場所すべてを叩き壊す。
でも、肝心なのはそれではない。
劇的変化をもたらしたのは、ベーゼの行動。
――『杖』を聖剣にくっつけ、一体化した。
力の奔流としての『杖』が人間のか弱い身体を通さずに力を発揮するとなれば、当然最初とは比べ物にならない力を発揮する。
だがそれだけではベーゼが望んだ結末にはまだ遠い。
聖剣を空中に残したまま、ベーゼは飛び降りる。
無論、別に制御を放棄したというわけではない。
小さな漆黒の糸を引いて、自分の身体を重力に任せる。
「ったくよ。やっぱ勇者の力なんて人間の身には余るよ」
手にするのは使い古された剣――反撃剣。
そしてファルミが持つ『気』の祝福を行使する鞘。
使える『再現』がひとつ減って、加えて『杖』を持ち出した以上、もはや聖剣を意のままに操ることはできない。
――あとはすでに起動した『空間・封印』が勝手に巨人を封印することを期待するほかない。
いや、勝手に、という言い方は語弊があるか。
正しくは、封印できるようにお膳立てする、なのだ。
溢れる僅かな力を、ベーゼは『空間・変形』で漆黒を操って、なんとか立体的な機動をはかる。
せめてほかの武装があれば、もっとうまく立ち回れたんだがな。
例えば、『雷電』と『同化』。
無論、これは意味もない妄想だということぐらいベーゼも弁えている。
いまは、むしろいま氷霧を生成している不死者を探したほうが手っ取り早い。
空中の漆黒から糸を引っ張って落下の衝撃を殺して、ベーゼはそのまま空中を旋回する。
そして、一面を覆う薄氷の中から、ベーゼはサイズを背負い浮遊する見習い神官の姿を捉えた。




