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【第三部完結】灰に至るまで  作者: からん
番外編 血肉の檻
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第十五話 神官

「伏せてください!」


 この世の終わりかと思わせる衝撃が迸り、続いて爆風が廃れた大地と空を震撼させ、あらゆる存在を食い散らかす。


「雪の精霊よ。その身を持って、われらをま、まもらん!氷壁(アイスウォール)


 慌てて紡がれる詠唱。


 突如一枚の氷壁が形作られ、神官、魔法使い、戦士の前に立ちはだかる。


 この一瞬を見逃さないとばかりに、トリアはすぐそれに手を差し伸べた。


「尊き神よ、どうかこの罪人の願いをお聞きください……」


 爆風にさらわれて、亀裂ですぐさま砕け散りそうになる氷壁。


 トリアが触れた途端ドーム状に引き伸ばされ、頑丈な形になっていく。


 大丈夫。なんとかなる。


 そう自分に言い聞かせるが、それよりもトリアが心配するのは足場となる城壁のほうだ。


 衝撃でガタガタ震えて、石も崩れていく。激戦を経て原型を辛うじて保っていた防御施設がまるで断末魔をあげているように揺れる。


 同じく血液で地下から押し出されたトリア一行は、ベーゼたちと真逆の方向に吹っ飛ばされ、その戦いの一部始終を見届けていた。


 高空から落下するロロを守ったのは、ヒゲオヤジである。


 地面に衝撃を流す鎧とはいえ、着地する一瞬でこれだけの質量を消耗するのは無理があったのだろう。鎧自体が壊れただけでなく、使用者本人もボロボロで――トリアから見て、少なくとも肋骨が数本折れて、足もやばいことになっている。


 当然ながら、動ける状態ではなくなっている。にも関わらず……。


「劣勢、危険!」


 ヒゲオヤジが唸る。


 自身の怪我よりも、明らかに男と巨人の戦況が大事のようだった。


 トリアが合流できていなければ、二人とも死んでいたかもしれないのに。


 間断なくあらゆる方向に力を放つ巨人の自爆は、現れた漆黒に蝕まれる。だが最初は拮抗していた赤と黒は、しかし時間が経つにつれて、黒のほうが明らかに劣勢に傾いていく。


 そんな光景を、ヒゲオヤジは全てを目に焼き付けようとばかりに釘付けになる。太い眉に隠された瞳は尋常ではない熱量を帯びて、興奮し……そして、状況がよくない方向に爆風がにつれて、焦る。


 巨人の身から噴き出して炸裂する血色は、あんまりにも強大だ。


「トリアさん、これを使ってください」


 星槍だ。


 照明のために少年に持たせたSランク冒険者の武具が、今度はトリアのほうに差し出される。


「これは……どういう意味ですか」


「私が持っていても宝の持ち腐れです。トリアさんはベーゼさんに加勢するのでしょう。短剣一本でもあんなに戦えたのです。星槍はあなたが持ったほうが絶対にいいです」


 少年の目は赤い。


 怪我か、それともヒャーナという仲間の死で相当衝撃を受けたのか、話す言葉は鼻声で目元には未だに涙が溢れ出ている。それでも力強く、彼は自分が持っていた武器をトリアに渡そうとした。 


 トリアは思う。


 どうやら、この場にいる二人は何かを誤解しているようだ。


 たしかに地下に入ってからトリアはずっとロロを守っていて、二人がさっき宙高くから落ちてもすぐ合

流に駆けつけてきたのだが……


 ベーゼを助けるという話になると、話は違ってくる。



 ――――――



 トリアは迷っていた。


 数ヶ月の間、ずっと。


 最初は、とにかくベーゼから逃げようとした。


 元次席の男がまだ生きていて、人魔戦争の混乱に乗じて四英雄の持つ聖遺物を奪おうとしている。


 それを、聖王庁に伝えなければ、と思った。


 トリア自身は祝福を持たず、討伐隊ところか、偵察隊にすら入れてもらえなかった身だ。


 それでも、特殊な子供を収容する施設に入ったのは、彼女がヒルンドー王国の姫だったからにほかならない。


 王家唯一の生き残り。


 そして不死者に成り果てたシーベル・ファベル・ヒルンドー。その双子の姉でもあった。


 家族と死別する瞬間、凍りつく王国の光景はいつまでもトリアの夢に蘇る。


 要観察対象であるトリアは結局孤児院を出るまで祝福を持たなかったが、不死者に対する畏怖はずっとその心を鷲掴みにして、彼女を誰よりも練習と勉学に励ませた。


 最終的にハルトマン領という西大陸の重鎮に配属されたのも、彼女の努力の賜物だ。


 無論、ベーゼが娘を助けようとしていること自体、トリアは理解しているつもりだ。


 あの日、もし自分に力があって、弟を止められるとしたら、自分もきっとそうしただろう。


 だが、一度起きた悲劇を、より過酷な悲劇で覆すわけにはいかないとトリアは思う。


 ベーゼは不死者すら利用する。


 ハルトマン領で『杖』を回収するためだけに、ファルミを殺し、領主のズィーゲルも手にかけ、最後に至っては勇者の妹さえ利用する始末だ。


 巻き込まれて、多くの人間が死に、第一次防衛線まで異形に突破された。


 これはれっきとした悪である。


 トリアは、この情報を一刻も早く後方に伝えようと、最初は思った。


 ベーゼから脱走しようと考えたのはハルトマン領から出てすぐのことで……その結果、悉く捕まえられて、ときには拘束されることもあった。


 異変を迎えたのは、一ヶ月過ぎた辺り。


 ベーゼが根無し草の大魔導メヤトを探し出そうと各地を転々として――トリアが断食で抗議していた頃。


 なぜか、四日間水一滴すら摂っていないのに、身体になんの違和感もなかった。


 そして、いつのまにか氷が生成できるようになった。


『お姉さま、これを見て』


 それは、ヒルンドー王国が滅ぶ直前弟が自分に見せたもので……ハルトマン領でトリアが『杖』を手にする時だけ、許されていたはずの力だ。


 過去の思い出が走馬灯のように蘇って、トリアは受け止めるしかなかった。


 ――自分自身が、不死者になったことを。


 その瞬間、トリアは自分を見失った。


 どうして自分がこうなったのか、トリアには思い当たるふしがある。


 かつて自分が使っていた錫杖。


『不死』の祝福を持って生まれた娘――カルディアをバラバラにして作り上げた聖遺物。


 ベーゼと戦う時、トリアは身に余る力を身体に取り入れていた。そのせいで皮膚が裂け、いまも身体のあちこちに青色の模様が残っているが……まさか人間を不死者にするほどの力があるとは思いもよらなかった。


『この程度じゃ異端討伐隊に籍を置くことはできないとおじさんは思うなぁ。そもそも、自分がいったい何を使ってるかも分かってないんじゃ……』


 あの時のベーゼの言葉が耳に蘇って、トリアはただただ混乱した。


 不死者は恐ろしい。

 不死者はみな災厄だ。


 そう思って訓練を積んできただけに、自分が不死者になった途端、トリアは世界がひっくり返されたように混乱した。


 この身体では教会に戻れない。


 ベーゼの情報といい。不死者の提供したものなんて、信じてもらえないだろう。


 だから、数ヶ月の間、行き場を失ったトリアはずっとベーゼの後ろについていた。


 ぐるぐると思考がまとまらなくて、昔のことばかりが頭に浮かんでしまう。


 これからどうすればいいか、分からなかった。


 死ぬ、と考えた。


 しかし不死者にとって意識の消失は災厄を意味することぐらい、トリア自身が誰よりも知っているつもりだ。


 生き方がわからず、死という選択さえ奪われてしまった。 


 この状態がしばらく続いていると、次第にトリアは口を開くことも嫌気が差して、無表情を貫くことになった。


『あの槍に触れてはいけない!』


 数ヶ月の間、初めてトリアの心を揺さぶったのは、ある母親の叫びだった。


 ベーゼと一緒にこの町まで来て、トリアはすぐ住民たちの正体に気づいた。


 いろいろ混ざってはいるが、おそらく『槍』の力で、辛うじて不死の状態を保っているのだろう。


 彼らは自分と同じ、人間だった存在たち。


 トリアは見極めたいと思った。


 果たして、人ならざる者になり果てた存在には心があるのか。


 最初は、がっかりしていた。


 殆どの者は意識すらない状態で……それどころか、異端討伐隊の力を取り入れた二人――お年寄りのアズルと子供のコメル――は人間を誘い込んで食らう始末だ。


 やはり、肉体に変化が生じれば、いずれ心に影響を及ぼし、やがて道を踏み外してしまうだろう。


 そう、自分を含めて、どこか諦めていた。


 でも、違ったのだ。


 コメルの母親は、冒険者たちが危機に陥るのを止めていた。


 自分の命を代償に、人間とは何かを、娘に教えようとした。


 これがトリアの凍りついた心にわずかな救いをもたらした。


 ――もしかして、自分も何かできるかも知れない。


 だから、数ヶ月ぶりに、あの場で、トリアは口を開いた。



 ――――――



「そうですね。いまあの巨人を止められるのはあの男しかいませんわ」


 短い迷いを見せたあと、トリアは星槍を握った。


 途端に心臓から熱が過って、柄を握る掌から吸い込まれるような感覚がした。


『杖』を使っていた時とは真逆。


 あの時は、耐えきれない苦痛が体に雪崩れ込むだけだった。


「二人ともこれからどうします?」


 そう聞くと、横たわるヒゲオヤジとロロは一度視線を合わせてから、固い面持ちで答える。


「冒険、潮時、これから、英雄の戦い」


「先生たちと合流しようと思います」


 トリアは冒険者について疎い。


 でも、これが嘘だと分かる。


 自分がここにいなければ、もし再び爆風が起きたら、きっと、この二人は巻き込まれるだろう。


 見ればロロはかすかに震えてもいる。


「わかりました」


 トリアは頷いた。


 つまり、二人は自分の安全よりも巨人を倒すことを選んだことになる。


 聖書第五章第七節――欲望を求めるなかれ。


 ほしいものばかりを求めていると火傷してしまう、ときには必要なものを選ぶべきという教えだ。


 いま、二人は確実に自分にとって危険な選択をしている。


 でも、これは人間にとって必要で、合理的な選択だ。


 このような至近距離にいたからこそ分かる。


 もしこんなものを前線に行かせてしまったら、どれほどの災厄が生まれるのか。


 これは決してあってはならないことだ。


「二人とも、どうか気をつけて」


 最後に一度二人の顔を見て、トリアは城壁から飛び降りる。


 周囲は依然巨人が吸収しきれない血肉が漂っている。


 ざわつく強風に逆らって、トリアは液面と接触するとほぼ同時に凍らせる。


 弟と同じ能力を駆使するのは決して本意ではない。が、いまはそれによって何かを証明したい意志のほうが上回っている。


 手に持つ星槍は時間が経つにつれて朦朧とした白を纏い、やがてトリアが使い慣れたサイズになる。足元の氷を操る神官は、逆巻く血潮を凍りつかせて渡る。


 トリアは自分が果たして何をすればいいのか考えた。


 いま拮抗している黒と赤。


 巨人の総身から血潮が遡る滝の如く立ち昇り、宙に浮く漆黒に間断なく吸い込まれていく。


 だが、しかし、漆黒が及ぼす範囲は時間が立つにつれてしぼんでいき、明らかにベーゼのほうが劣勢で、巨人が勝っている。


 あの男が本気を出せば、いともたやすくこの衝撃を退けるだろうに。


 迷っている、のか。


 自分で娘の欠片を使っていることを。


 正直、トリアはベーゼのことがずっとよくわからなかった。


 聖遺物を回収して娘を救うというたしかな目的があるにも関わらず、取る行動は気まぐれである。一見誰の意見にも流されず自分のやり方を貫いてきたように見えるが、運任せのところが多い。


 たしかに男の実力は申し分なく、臨機応変も効くだろう。


 それでも、慎重を重ねて任務を執行する元異端討伐隊とはとても思えない。


 ――傍から見て、ただ死に場所を求めてさまよっているようにも映る姿だ。


 トリアでは四天王の相手は務まらない。


 そもそも、人の身で魔族の長と渡り合えるように、『剣』『槍』『弓』『杖』があるのだ。


 呼び起こした以上、巨人を止められるのはもはや『杖』を持つあの男しかいない。


 前後左右から襲ってくる血の波。


 トリアはサイズを振り抜くとともに凍らせて、すり抜けていく。


 不要な戦いを避け、体力を温存し、やるべきことをこなす。


 これが孤児院で叩き込まれた教えだ。


 慎重に、音を立たず、できるだけ巨人の注意を引くことなく……この不気味な魔境を渡る。


 狙うべきは、あそこでしょう。


 観察して、トリアは結論を出す。


『槍』がなお突き刺さっているせいか、巨人は不完全な形で復活している。


 おそらく、力を駆使するには渦巻く血肉に依存しているところが大きい。


 果たして、男はどこまで計算してやっているのか。


 それは分からない、分からないけど……


「内に秘める氷雪よ……」


 トリアは詠唱する。


 だが、それは神に対する嘆願ではなく、魔法使いが口にする呪文。


 魔法使いは、信じる心で自然に影響を与えて魔法を成す。


 神官は、神に対する信仰で人体に干渉して奇跡を呼ぶ。


 両者の違いと言えば、使用者それぞれ外部と内部に関する知識の多寡にある。


 そして、祝福を持つ者は、このような知識と経験がなくとも、外部の魔素と関係なく己の内に秘める力で異能を駆使できる。


 トリアは考えた。


 不死者として暴走状態に陥ることなく力を最大限に引き出す可能性を。


 神官の知識で祝福(からだ)を制御し、かつ魔法という形で定着させるのはどうだろう、と。


 ヒルンドー王国の姫として生まれた少女は、神官になるまで何年にもわたって魔法を学習したことがあった。それが神官になってからも治癒魔法で開花することはなかったが、知識だけは拙く頭に残っている。


 場所は氷魔法に適したこの北国……加えて外部の魔素ではなく自分自身の力なら、こんな自分でも、ここで賭けてみる価値はあると思った。


「内に秘める氷雪よ……神の名のもとに、正しい形として顕れなさい……氷霧(アイス・フォグ)!」


 手に星槍を握りしめて、トリアは慎重に言葉を運んでいく。


 赤と黒が交じる北方都市モルトと呼ばれる場所。


 一面の白が静かに血肉の上に沈殿した。

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